120. 龍興包囲網
日比野ら率いる斎藤軍を討った俺たちは、そのまま墨俣城を占拠した。
ここが対龍興への最前線になる。なれば改修工事だ、と日曜大工の神・信盛を召喚した。長秀が高く評価するくらいに、信盛の建築技術は素晴らしい。城造りで有名な奴は他にいたような気もするが、検索ツールも探している暇もない。
何故ならっ、早く清州へ帰りたいからだ。
「近くに砦もほしい。何かアイディアあるか?」
「さすれば、十九条城がござる。今は廃城になっておりますが、一から縄張りを作るよりも早く完成できますな。城主には勘解由左衛門殿がよろしいでしょう」
「信清の弟か。まあ、妥当だな」
尾張を追放された信清は、この美濃国へ入ったという噂がある。
弟の信益は勘解由左衛門広良と名を改め、正式に織田家の一員になった。信清追放後に犬山城主となった信純が預かっていたはずだが、いつまでも遊ばせておけば甘やかしていると勘違いされる。当の本人は気が弱い性格が災いして、信純に顎で使われていた。実態を知らなければ、表面的な情報で判断してしまうものだ。
「半介、ここを任せる」
「清州へお戻りになられますか」
「当たり前だ。もう何月になったと思ってやがる!? 7月だぞ! モタモタしていたら、また出産に間に合わなくなって、顔を見るたびに泣かれるんだ。そんなの耐えられるわけねーだろっ。つーか、五徳を最後に見たのはいつだ? 奇妙丸のことを父親だと思ってないだろうな」
「それはさすがに。若様はまだ幼くおられますので」
「赤ん坊の心理なんて分かるわけねーだろ!!」
ウンザリした顔の信盛を置いて、俺は清州へ戻った。
入れ替わりに広良が美濃入りして、十九条城の建築も手伝ったらしい。半泣きで駆け回る姿が目に浮かぶ。丸尾・鷲津の両砦みたいなことにならないことを祈るばかりだ。
「成程。では、兵力を削ぎましょう」
懸念事項を持ち帰った俺に、盛次がそんなことを言った。
当分は戻らないはずの人間が慌てて戻ってきたので、すわ何事かと大騒ぎになった翌日のことである。帰蝶は一足早い雪女と化し、また寝込んでいる吉乃は面会謝絶、身重の奈江にも興奮させると危ないから会わせてもらえない。あの奇妙丸でさえ、顔を見せない徹底ぶりだ。
聞こえてくる赤ん坊の泣き声だけが、最後に残った家族の絆。
俺の方が泣きたい。
ションボリしていても事態は好転しないし、そもそもの元凶は斎藤家である。帰蝶の実家だからといって遠慮してきたが、もう知らん。何を今更、という視線も知らないふりだ。
「兵力を削ぐ、か。確かにそれがいいかもしれないね」
「おい、又六郎。納得していないで分かりやすく説明しろ」
すっかり軍師役が板についた信純は、お艶と別居中である。
機嫌が直るまで城に置いてくれと言うので、寂しい者同士で今後のことを話し合うのもいいだろう。盛次がいるのは、墨俣に信盛を置いてきたからだ。いずれは盛次も墨俣へ出向いてもらうことになる。
美濃侵攻の足掛かりはできた。これからだ。
「道三の代にいた武将たちが離反しつつあるのは覚えているかな」
「もちろんだ」
蜂須賀は義龍を認められなかった。利治は死を恐れて逃げ出した。
六角家は過去に義龍との同盟を結んだが、今はほぼ無効状態になっている。そもそも六角家が保護している美濃守護土岐氏は、舅殿が美濃国を手に入れる際に追い出してしまったのだ。因縁のある関係で同盟を結ぶのは珍しいケースだが、現当主の六角義治が問題児だった。好意的に見れば、近所同士で仲良くしたかったとも取れる。
土岐氏に仕えていた者は、六角家などに再仕官したようだ。
美濃国を出ていった将もいれば、美濃国に入った将もいる。尾張国から追い出した織田姓の何人かが該当する。奴らが生きていれば、の話だが。ついでに明智家の情報も入ってきた。土岐氏追放後、美濃から西へ向かったようだ。そのまま一生出会わなかったら本能寺の変回避でき、ないよな……。
「どうしたの、三郎殿」
「なんでもねー」
「そう? 話を戻すけど、これまでにも勇将・猛将と呼ばれる斎藤家の将を討ち取ってきたよね。今、斎藤龍興に従っている重臣で注意すべき者は」
「西美濃三人衆、斎藤六人衆ですな」
「それから竹中半兵衛重治。家督を継いだばかりの若者だと侮ったら痛い目を見るよ。ああ、西美濃三人衆は龍興との仲はよくないみたいだねえ」
「よく知っているな」
「情報は金なり。三郎殿のやり方を倣っただけさ」
何でもないように笑う信純の方が、俺は怖い。
竹中半兵衛なら知っている。今の時期は斎藤家の家臣だったことと、諱が重治だというのも驚いた。そりゃあそうか。通称で呼び合うのが普通だから、諱よりも知られていてもおかしくない。
俺は似たような名前が多すぎるので、諱と通称を使い分けている。
言霊を信じないとは言わんが、迷信は迷信だろう?
少なくとも家臣たちで嫌だ、と反抗してきたのは恒興だけだ。左近がダメなら、勝三郎でもいいと訴えてきたが、恒興の方が慣れているから今更呼べない。却下されてションボリする背を、一益がぽんぽんしていた。うん、一益も一益だからな。
話が逸れた。斎藤家のことだ。
「西美濃といえば、安藤守就に繋ぎをとれないか?」
「那古野城の守備に来てくれたんだっけね。6年前のことだから、忘れているかもしれないけど。一応、文を送ってみようか」
「応じれば良し。応じなくても、龍興が疑心暗鬼になって家中にヒビを入れられる」
「ふふっ、三郎殿も悪い男だねえ」
それまで黙って聞いていた盛次がしかめっ面になる。
「信純殿」
「ああ、いやいや。褒めているつもりだよ。私にとって三郎殿は尊敬すべき師であり、唯一無二の主君でもあるからね」
「冗談でも笑えんぞ、又六郎」
「ええ、こんな冗談は言わないよ」
「とにかく斎藤家の結束を弱める、という点については賛成です。文を送るなら、六角や朝倉にも送ってみてはいかがでしょう。返答次第では今後の方針も決められます」
「同盟に誘うのか? まだ元康達の話も進んでいないのに」
「それはそれ、こっちはこっちだよ。三郎殿。せっかく同盟を組むなら、六角よりも浅井を勧めるね。それから武田、というのも面白いかな」
とんでもない名前にぎょっとする。
今、武田っつったか。いや、それよりも浅井家は将来的に同盟を組む相手だ。父を追放して現当主になった新九郎がおそらく、お市の婿になる男だと思われる。
「浅井とは……、嫌だ」
妹はやらん。
だってお市がいるのに俺を裏切って、戦を仕掛けてくるような男だぞ。しかも戦いの名前は忘れたが、信長の生涯でも三本指に入る窮地である。織田家臣がたくさん死んだかもしれない戦を起こした奴を信じようとは思えない。
あとイケメン武将なのも気に食わん。美男美女でお似合いだとか、うっさいわ!
「うーん、結構オススメなんだけどなあ。三郎殿が嫌なら仕方ないね」
「そんなに有望な将なのですか?」
「実際に見たわけじゃないから、はっきりしたことは言えない。でも主君である六角家の大軍を、半分にも満たない軍勢で打ち破ったんだ。その時、彼はまだ十五歳だった」
「じ、じゅうご!?」
「なんだかね、三郎殿に似ているから」
「似てねーよ」
「はいはい。三郎殿は浅井新九郎が嫌いみたいだから、この話は聞かなかったことにしておいて。六角義賢殿……今は承禎殿か。家督を譲る前だったら、龍興に対する抑えとして有効だったかもしれないなあ」
「そうなりますと、武田という選択肢も無視できなくなりますね」
「うん、そうなんだよ。でも甲斐の虎と言われるだけあって、相当に食えない性格だ。同盟を結ぶ結ばないにしろ、文の内容から使者に至るまで厳選しなければならない」
「又六郎が行けばいいだろ」
「えっ、ヤダ」
それまで饒舌に語っていた男が、幼子みたいにブンブン首を振った。
俺がじーっと見ていると、両手を顔の前でぶんぶん振った。
全力全身で拒否を示す信純だが、武田信玄が厄介な男であるということを正しく理解している者は他にいないだろう。家老職なら、信玄と対等に話せる。対等じゃあダメだ、と俺の勘が囁く。
かつて平手の爺が、舅殿と交渉して織田との同盟を結ばせた。
息子の久秀では老獪さが足りない。あいつは馬鹿じゃないが、性根が真っすぐすぎる。頭の回転が速いというだけなら何人か思いつくが、信玄と直接対話できる身分が必要だ。間接的に話をしたところで、相手にどこまで正確に伝わるか分からない。
俺は、盛次に視線を移した。
心得たとばかりに頷いた男は、がばりと頭を下げる。
「信純殿!」
「うわっ、はい!?」
「桶狭間での策、見事でありました。信純殿の献策がなくば、織田の勝利はなかったでしょう。皆が信長様の英断であると褒め称えておりますが、信盛様も信純殿のことは感嘆しておりました。……自分も一歩間違えば、大学助と同じ運命を辿っていたことでしょう」
信純は何も言わない。言えないのだ。
密かに練り上げた策の中では、盛次も討ち取られる予定だった。大きな犠牲を払うことで今川軍の油断を誘い、勝利を確実なものにする。ただ休憩をしているだけでは足りない。気が緩みきっている状態を生み出す必要があった。
尾張国が、織田家がもっと強大であったなら、こんな策はいらなかった。
「信長様!」
「えっ、俺?!」
「その深い洞察力と遠い未来まで見通す力は、自分のような凡人には測りかねます。ですが、信清の弟まで案じる信長様なら、分かっているはずです。百歩譲っても六角、万全を期すなら浅井の協力は不可欠であると。朝倉にも文を届けねばならぬというのなら、自分が使者として向かいましょうっ」
俺は信純と顔を見合わせた。
一人の覚悟を決めた男に対して、話を混ぜっ返して茶化すのはダメだ。この決意を踏みにじることは、人間の尊厳を泥に捨てるのと同じだ。いいや、植物を育てる泥にも失礼だ。
盛次は平伏したまま、一向に頭を上げない。
ぽりぽりと首の後ろを掻いた。
「……全く、いっぱしの男が情けない格好をするんじゃないよ」
「おい、又六郎」
「ここまでされたら、嫌だって言えないじゃないか。さすがは退かぬ佐久間の一族だね」
信純が降参のポーズだ。
俺は天井を見て、それから特大の溜息を吐いた。
「同盟を結べるかどうかは別問題だからな、久六」
「できるか、できないかではない。やるか、やらないかだと信長様は申しておられました」
「俺、そんなこと言ったっけ?」
「逆だと思うけど」
三人で顔を見合わせ、唐突に噴き出した。
大いに笑いながら、膝をばしばし叩く。そのうちに誰かの拳がクリーンヒットして、笑いながら平手打ちが炸裂し、肘置きと刀が鈍い音を立てた。ガッガッガッ、と激しく打ち合う。
「お二人は仲がおよろしいですなあ」
のほほんと告げた盛次は、どこか遠くを見つめていた。
義元討ち取る前に情報戦略による義龍封じをやらかしたという記事を読んだんですが、ノブナガは尾張国内と美濃&今川(特に三河)しか見えていなかったので考える余裕もなかっただろうなと思いまして、外交問題は今頃やっています。
ノブナガの妹がお市しかいないため、勝頼との政略結婚は発生しません。勝頼の嫁は北条夫人だけという設定にします。いいですよね、甲斐国。おねだりしたら少しくれないかな、甲州金や鉱山、隠し湯、ほうとう鍋(結局食べ物につられる)