11. うつけ者、蝮に遭遇する(後)
利政は俺に座れ、と手振りで示した。
「見ての通りのあばら屋ゆえ、うつけ殿には窮屈かもしれぬがの」
「いえ、風情ある庵で羨ましいです。隠居して、終の棲家にするにはよさそうだと思っていました」
「まだ若い身空で、隠居とは。覇気があるのだか、無いのだか分からぬなあ。されど、世辞でも褒められて悪い気はせぬ。礼を言おうぞ」
「恥ずかしながら、お世辞は苦手です」
口八丁手八丁は俺の領分じゃない。
大将は決して前に出ないをモットーに、厄介事は全て舎弟をはじめとする織田家臣団に任せる予定である。そのためには俺の意を汲んで、俺の狙い通りに事を運んでくれる才能が必要だ。これが育たないと、俺の人生計画は49年で終了する。
そんなのは嫌だ。
歴史の陰でこっそり生き延びてやる。孫の顔を拝まずに死ねるか。
そのためには、まず未来の舅殿と戦わねばならないことを失念していた。帰蝶姫に関しては、初夜で短刀を忍ばせてくるのは確定しているので諦めた。結婚生活なんていう未知の世界に関して、俺が考えられることは一つだけ。
拝み倒してでも子供を産んでもらう。
夫婦の共同作業だ。一人で頑張っても到底無理なわけだが、生憎と前世を通して未経験である。これも練習しておいた方がいいんだろうか。童貞は敬遠されるし、ヘタクソな男は軽蔑されるらしい。
どこぞで初体験を済ませ、技を磨いておくべきか?
ヘタクソすぎて姫を怒らせた挙句、隠し持っていた短刀で殺されたくない。
「そのように睨まずとも、茶は逃げぬよ」
「はは。緊張して、つい……」
悪い想像ばかり突っ走って、茶碗を睨んでいたようだ。
利政を睨んでいた、にならなくてよかった。本当に良かった。
少なくとも泰然と構えている様子からして、俺をどうこうしようという考えはないようだ。巧妙に本心を隠しているのが分かるだけ、我ながら驚いている。
「緊張、か」
空気が変わった。
ヤバイ、沢彦(と同じ)現象だ。
俺の迂闊な台詞で、地雷を踏みぬいた感じがする。考えるべきは蝮に殺されるか、蝮の娘に殺されるかの違いだったのだろうか。いや、どっちも御免だ。
平手の爺に伝えた夢の欠片すら達成していない。
「わしは今日、ぬしに会うのが楽しみじゃった」
「俺もです。いや、それがしも楽しみでした」
「そうか」
「はい」
ははは、と笑い声が唱和する。
俺の背中は冷や汗でびっしょりだ。
会うのが楽しみと言いきったぞ、蝮のおっさん。一益が掴んだ情報は、蝮がわざと流した罠情報だったわけだ。恒興は罠を警戒していたが、そもそも俺が草庵に来た時点で策が成立している。あんなに騒がなくたって、遠からず発見されていたか。
「帰蝶の婿をうつけ殿を指名したのはな、このわしよ」
「へ?」
とろりとした液体の入った茶碗が、ずいと寄越される。
「作法など気にせずともよい。ぬしの思うまま味わい、感じるのだ」
「いただきます」
右手から添え、両手で抱えて持つ。
一度回すんだったか?
茶道で使われる茶碗は銘品であることが多い。落とさないように細心の注意を払いながら、ゆっくりと口に含んだ。うっ、苦い。確かに苦いが、さらりとした喉越しは悪くない。むしろ飲みやすい。
一気に干して、口を拭う。
「いいお点前でした」
うろ覚えの台詞の後に、これまた慎重に茶碗を置いた。
割らずに済んだことに安堵して、ため息が出る。
「意外や意外。うつけ殿には、茶道の心得がおありかのう」
「いや、これが初めてです。思ったほど苦くないんですね」
「ほほう」
利政がにやにや笑っている。やっぱり沢彦に似ている。生き別れの兄弟か?
それはそうと、茶の苦みはとっくに気にならなくなっていた。砂糖を固めた落雁が添えられるくらいだから、とんでもなく苦いものだと身構えていたのに拍子抜けだ。あるいは比較対象が沢彦の薬だったのが幸いしたかもしれない。
「話の続きだが、……婿殿」
「あ、はい…………はいぃ!?」
「そう驚くことでもあるまい。帰蝶が嫁ぐは決まったことじゃ。なれば、うつけ殿は婿にあたる。わしが婿殿と呼んで、何か不都合でもあるのか?」
「仮に利政殿が認めてくださったとしても、姫が認めてくださるかは別問題でしょう」
「婿殿は己に自信がないと申されるか」
「俺の価値は、俺に関わる人間が決めることです。姫にも理想がありましょう。俺も噂でしか知らない姫のことを、婚儀の場で見極めるつもりです」
「ほお、言うてくれるわ。蝮の娘が怖くないと?」
「毒を仕込むなら、とっくに」
とんっと茶碗を転がす。
この程度では割れないという力加減をした上で、わざと回転させた。無作法なのは今更だ。茶道の心得があると褒められたのに、この不手際はマイナス点だと思う。
毒を仕込むなら、茶に混ぜられる。
「分かっていて含んだか、毒を」
「蝮は毒を持つ生き物ですよね」
「くくっ、ふはは…………ははははは!! 痴れ者めがっ」
ガシャンと背後で音がした。
勢いよく引き戸が開け放たれ、さっきまで締め切っていたのだと気付く。そんなことも分からないくらいに、俺は緊張していた。利政の一挙一動に集中していた。
「利政様!?」
「利政様、いかがなさいましたか!」
「騒がしいわ。よい、ほんの戯れよ。其の方らの目は節穴か? 耳は塞がっておるのか」
「若様!? お怪我を――」
「これ、薬。ちょっと痛い」
「い、痛い痛い! ちょっとどころじゃなく痛い!! 一益、擦りこむなっ」
「よく効く」
気持ちはわかるが、八つ当たりはやめてほしい。
状況からして、怪我をさせた犯人が利政であると気付いている。それでも俺が止めるのを見越して、一益は手当てを優先させてくれたのだ。恒興もまたどうすればいいのか分からず、物言いたげな目で俺を見つめている。
「見て分かるだろ、大した傷じゃない」
茶碗自体は鋭利な部分などなかった。
飛んでいく途中で割れたのでなければ、真空波が頬を切ったのだ。高価そうな品を惜しげもなく擲つ度量と、真空波を起こすほどの腕力。
そのどちらも、俺には備わっていない。
最初から勝てるとは思わなかった。なのに何故か、悔しい。
「ますます惜しいのう。其の方が姫であれば、逃さぬものを」
「そうしたら、噛み切って逃げます」
「ははは! そうきたか、婿殿はやはり面白い。尾張のうつけとは、よう言ったものよ」
実は俺も、その二つ名が嫌いじゃない。
上機嫌で膝を叩きつつ笑う利政と、声を出さずに笑う俺。それぞれの臣下は戸惑いを浮かべ、主たちを見守るのだった。
この時代の茶道は、武家のステータスでもあったようです。
茶道具蒐集も同じく。
茶碗が量産品だからって、投げたり割ったりするものじゃありません。よいこはマネしないでね!
2/7 道三の名を利政に修正