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ノブナガ奇伝  作者: 天野眞亜
雌伏編(天文13年~)
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11. うつけ者、蝮に遭遇する(後)

 利政は俺に座れ、と手振りで示した。

「見ての通りのあばら屋ゆえ、うつけ殿には窮屈かもしれぬがの」

「いえ、風情ある庵で羨ましいです。隠居して、終の棲家にするにはよさそうだと思っていました」

「まだ若い身空で、隠居とは。覇気があるのだか、無いのだか分からぬなあ。されど、世辞でも褒められて悪い気はせぬ。礼を言おうぞ」

「恥ずかしながら、お世辞は苦手です」

 口八丁手八丁は俺の領分じゃない。

 大将は決して前に出ないをモットーに、厄介事は全て舎弟をはじめとする織田家臣団に任せる予定である。そのためには俺の意を汲んで、俺の狙い通りに事を運んでくれる才能が必要だ。これが育たないと、俺の人生計画は49年で終了する。

 そんなのは嫌だ。

 歴史の陰でこっそり生き延びてやる。孫の顔を拝まずに死ねるか。

 そのためには、まず未来の舅殿と戦わねばならないことを失念していた。帰蝶姫に関しては、初夜で短刀を忍ばせてくるのは確定しているので諦めた。結婚生活なんていう未知の世界に関して、俺が考えられることは一つだけ。

 拝み倒してでも子供を産んでもらう。

 夫婦の共同作業だ。一人で頑張っても到底無理なわけだが、生憎と前世を通して未経験である。これも練習しておいた方がいいんだろうか。童貞は敬遠されるし、ヘタクソな男は軽蔑されるらしい。

 どこぞで初体験を済ませ、技を磨いておくべきか?

 ヘタクソすぎて姫を怒らせた挙句、隠し持っていた短刀で殺されたくない。

「そのように睨まずとも、茶は逃げぬよ」

「はは。緊張して、つい……」

 悪い想像ばかり突っ走って、茶碗を睨んでいたようだ。

 利政を睨んでいた、にならなくてよかった。本当に良かった。

 少なくとも泰然と構えている様子からして、俺をどうこうしようという考えはないようだ。巧妙に本心を隠しているのが分かるだけ、我ながら驚いている。

「緊張、か」

 空気が変わった。

 ヤバイ、沢彦(と同じ)現象だ。

 俺の迂闊な台詞で、地雷を踏みぬいた感じがする。考えるべきは蝮に殺されるか、蝮の娘に殺されるかの違いだったのだろうか。いや、どっちも御免だ。

 平手の爺に伝えた夢の欠片すら達成していない。

「わしは今日、ぬしに会うのが楽しみじゃった」

「俺もです。いや、それがしも楽しみでした」

「そうか」

「はい」

 ははは、と笑い声が唱和する。

 俺の背中は冷や汗でびっしょりだ。

 会うのが楽しみと言いきったぞ、蝮のおっさん。一益が掴んだ情報は、蝮がわざと流した罠情報だったわけだ。恒興は罠を警戒していたが、そもそも俺が草庵に来た時点で策が成立している。あんなに騒がなくたって、遠からず発見されていたか。

「帰蝶の婿をうつけ殿を指名したのはな、このわしよ」

「へ?」

 とろりとした液体の入った茶碗が、ずいと寄越される。

「作法など気にせずともよい。ぬしの思うまま味わい、感じるのだ」

「いただきます」

 右手から添え、両手で抱えて持つ。

 一度回すんだったか?

 茶道で使われる茶碗は銘品であることが多い。落とさないように細心の注意を払いながら、ゆっくりと口に含んだ。うっ、苦い。確かに苦いが、さらりとした喉越しは悪くない。むしろ飲みやすい。

 一気に干して、口を拭う。

「いいお点前でした」

 うろ覚えの台詞の後に、これまた慎重に茶碗を置いた。

 割らずに済んだことに安堵して、ため息が出る。

「意外や意外。うつけ殿には、茶道の心得がおありかのう」

「いや、これが初めてです。思ったほど苦くないんですね」

「ほほう」

 利政がにやにや笑っている。やっぱり沢彦に似ている。生き別れの兄弟か?

 それはそうと、茶の苦みはとっくに気にならなくなっていた。砂糖を固めた落雁が添えられるくらいだから、とんでもなく苦いものだと身構えていたのに拍子抜けだ。あるいは比較対象が沢彦の薬だったのが幸いしたかもしれない。

「話の続きだが、……婿殿」

「あ、はい…………はいぃ!?」

「そう驚くことでもあるまい。帰蝶が嫁ぐは決まったことじゃ。なれば、うつけ殿は婿にあたる。わしが婿殿と呼んで、何か不都合でもあるのか?」

「仮に利政殿が認めてくださったとしても、姫が認めてくださるかは別問題でしょう」

「婿殿は己に自信がないと申されるか」

「俺の価値は、俺に関わる人間が決めることです。姫にも理想がありましょう。俺も噂でしか知らない姫のことを、婚儀の場で見極めるつもりです」

「ほお、言うてくれるわ。蝮の娘が怖くないと?」

「毒を仕込むなら、とっくに」

 とんっと茶碗を転がす。

 この程度では割れないという力加減をした上で、わざと回転させた。無作法なのは今更だ。茶道の心得があると褒められたのに、この不手際はマイナス点だと思う。

 毒を仕込むなら、茶に混ぜられる。

「分かっていて含んだか、毒を」

「蝮は毒を持つ生き物ですよね」

「くくっ、ふはは…………ははははは!! 痴れ者めがっ」

 ガシャンと背後で音がした。

 勢いよく引き戸が開け放たれ、さっきまで締め切っていたのだと気付く。そんなことも分からないくらいに、俺は緊張していた。利政の一挙一動に集中していた。

「利政様!?」

「利政様、いかがなさいましたか!」

「騒がしいわ。よい、ほんの戯れよ。其の方らの目は節穴か? 耳は塞がっておるのか」

「若様!? お怪我を――」

「これ、薬。ちょっと痛い」

「い、痛い痛い! ちょっとどころじゃなく痛い!! 一益、擦りこむなっ」

「よく効く」

 気持ちはわかるが、八つ当たりはやめてほしい。

 状況からして、怪我をさせた犯人が利政であると気付いている。それでも俺が止めるのを見越して、一益は手当てを優先させてくれたのだ。恒興もまたどうすればいいのか分からず、物言いたげな目で俺を見つめている。

「見て分かるだろ、大した傷じゃない」

 茶碗自体は鋭利な部分などなかった。

 飛んでいく途中で割れたのでなければ、真空波カマイタチが頬を切ったのだ。高価そうな品を惜しげもなく擲つ度量と、真空波を起こすほどの腕力。

 そのどちらも、俺には備わっていない。

 最初から勝てるとは思わなかった。なのに何故か、悔しい。

「ますます惜しいのう。其の方が姫であれば、逃さぬものを」

「そうしたら、噛み切って逃げます」

「ははは! そうきたか、婿殿はやはり面白い。尾張のうつけとは、よう言ったものよ」

 実は俺も、その二つ名が嫌いじゃない。

 上機嫌で膝を叩きつつ笑う利政と、声を出さずに笑う俺。それぞれの臣下は戸惑いを浮かべ、主たちを見守るのだった。


この時代の茶道は、武家のステータスでもあったようです。

茶道具蒐集も同じく。

茶碗が量産品だからって、投げたり割ったりするものじゃありません。よいこはマネしないでね!


2/7 道三の名を利政に修正

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