表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ノブナガ奇伝  作者: 天野眞亜
飛翔編(永禄2年~)
139/284

115. 桶狭間決戦(後)

久しぶりの戦場描写です。

前回に引き続き、非人道的な表現もあります

 どいつもこいつも、ギラギラとした目をしてやがる。

「よくぞ我が下に集った、織田の精鋭たちよ」

 前にもこんなことをやったな。そう、村木砦の時だ。

 信広をはじめとする将らは、あの戦いを覚えているだろうか。

 つくづく俺は無茶な戦いしかしていないように思える。勝てないと思ったことは一度もないし、勝つための努力は怠らなかった。それでも足りないと悔やみ、迷い、逃げ出したくもなった。

 今の俺は違う。

 岩室重休いわむろしげやすから、一枚の長い紙を受け取った。書状じゃない。俺は紙の両端を持って、皆が見えるように掲げてやった。

「これを見やがれ!! 貴様らの名前は全て、ここにある。命を惜しめ、名を惜しむな! 心配しなくても、俺が一人残らず記憶している!!」

 一同のどよめきが伝わる。

 そりゃあそうだ。身分が下になるほど、扱いが酷くなる。人間として見てもらえない奴だっている。そんなこと言ったら、俺だって何度化け物と言われたか知らない。俺の場合は見た目じゃなくて内面が醜いってことなんだろうが、今はどうでもいい。

「6年前の戦いを思い出せ。あの時も今川の恥知らずどもが、この地に攻め寄せてきた。数に頼んで大勢やってきたが、俺たちはコテンパンにのしてやった! 丸坊主にされて、這う這うの体で逃げていったのをもう忘れたらしいな」

 どっと笑いが広がる。

「鳴海城や大高城はもともと織田のものだ。そろそろ返してもらう時だ!」

「おー!!」

「ただ……普通に返してもらうのも、つまらん。我々は尊い犠牲のもとに、この地へ辿り着いた」

「…………」

「俺のために死んだ奴らのことを、俺は絶対に忘れん! 聞け、我が精鋭たちよ。佐久間大学助、飯尾近江守らの死は天上の美酒となり、今川兵どもを大いに酔わせている。しかも奴らは砦攻略で疲労困憊し、戦の最中に休憩するような軟弱者である!」

 怒りで声が震えてきたので、一旦止めた。

 つい長く語ってしまったが、もう終わりにしなければ。時が来るまで待って、そのまま機を逃してしまえば俺たちの負けだ。無様に屍を晒すなんざ、絶対御免だ。

「我らは一度も戦っていない。むしろ、清州から走ってきたおかげで体は温まっているだろう! 弓を持て、槍を掲げろ!! 貴様らは織田の精鋭、信長が命を預ける!」

「俺たちは織田の誇りだ!!」

「信長様! 一生ついていきますっ」

「えいえいおーっ、えいえいおーっ」

 うむ、すごい熱狂ぶりだ。ちょっと引いたぞ。

 戦において士気の向上は勝利への必須条件だ。戦略ゲームのことはほとんど思い出さなくなったが、何度も戦を経験してきて実感している。前夜の軍議で中座していった家臣たちも、顔を真っ赤にして叫んでいる。俺の名前と織田の名を誇らしげに、何度も何度も――。

「やかましいわ!!!」

 恒興がいないので、名簿をくるくる巻いてメガホン代わりにした。

 なおも熱狂が止まらないので、そこにいた橋介に鉄砲を撃たせる。たちまち轟いた銃声に、ぴたっと騒ぎが収まった。チッ、今ので今川軍にも気付かれたかもしれん。

「ここで体力使ってどうすんだ、このド阿呆どもが! 俺はもう行くからな。遅れても待ってやらんぞ。……出陣!!」

 と息巻いたはいいが、目下の敵は地形だ。

 どうしても細い道を突き進むことになって、騎馬の速度も落ちる。槍や弓を持つ歩兵が追いつけるから良しとすべきかどうかは分からない。考えている暇なんぞない。

「ひょえっ、冷たい。何事じゃあ!?」

「雨が降ってきただけだろ。騒ぐな、猿めが」

「犬っころに言われとうないわ!」

 そんな会話が聞こえてきて、ハッとした。

 いつの間にか空が黒雲に覆われているのだ。海路を使わないつもりだったので、天候のことはすっかり忘れていた。成政に命じて、鉄砲隊に雨避けを使わせる。俺たちはずぶ濡れになってしまうが、持ち合わせがないのだから仕方ない。

「こ、これは」

「痛い、痛い! 天から石が降ってきよったっ」

「またとない好機ぞ!」

 そう叫んだのは盛次だった。あいつ、生きていたのか。

 雹が降りしきる中を、また別の声が叫ぶ。

「豪雨が我らを隠してくださる。信長様の勝利を、熱田明神様が約束してくださったのだ」

「え、本当に?」

「信長様は、天を味方につけたのか」

「とんでもない御方じゃ」

 喋っている暇があったら走れと言いたい。

 士気が上がりまくって、織田軍の熱気で山火事を起こしかねないというのは妄想だが。こんな時でも尻込みして逃げ出しそうな俺を、織田軍の熱が後押ししてくれる。まるで黒い大玉が、桶狭間山を目指してゴロゴロ転がっていくような錯覚に陥る。

「信長様、上!」

 反射的に槍を振るい、枝を落とした。かつての俺とは違うのだ。

「後続の邪魔になりそうな枝は片っ端から落とせ! 旗指物はひっかける前に下ろしておけと伝えろ。こんなところで破いたら、末代までの笑い者になるぞっ」

「承知しました!」

 伝令が逆走していき、次々と旗が下ろされていく。

 せっかく作った俺の無文字も同様だ。まあ、これで今川軍からも見えなくなったに違いない。旗指物は目立てばいいと、やたら長いのだ。どれだけ大樹が生い茂ろうとも、そこからニョキッと生えたカラフルカラーは格好の的になる。

 いくら義元が上機嫌で舞に興じていようとも、物見兵はいるはずである。

「あとは……仕掛けた罠にかかっていれば」

 手綱を握る手に汗がにじんだ。

 これはでっかい鷹狩である。獲物に近づいて注意を引き、任意の地点へ誘導しながら機を狙う。鷹は真っすぐに獲物のところへ飛んでいき、確実に仕留める。落ちてきた獲物は、すぐさま確保して狩りは完了。

 俺たちは鷹だ。鷹は迷わず、獲物を目指す。

「ん? 雨が上がったな」

 あれだけ激しかった雨が止んでいる。水溜まりだらけだが、走れないことはない。

「信長様! この先は崖ですっ」

「分かっとるわ!! 速度を緩めるな。信長に続け!」

「ちょ、ちょ……まっ」

「うわあああぁ!?」

「おおおおおっ」

 悲鳴や怒号が交錯する中、バキバキと枝が折れていく。

 馬には可哀想なことをしたなあ、とものすごくどうでもいい思考が頭をかすめた。人間、臨界点を突破すると無我の境地に達するらしい。無我の無か、俺って天才だな!

 そうだ、忘れるところだった。

「旗を掲げろ!」

 俺の叫びに織田木瓜が立つ。皆が雄々しく吠える。

「そうだ、もっと掲げろ!! 本陣が敵に奪われたことを今川軍のド阿呆どもに教えてやれっ」

「三郎!」

「おう、兄貴」

「判官九郎を気取るとは、貴様もやりおるな」

「あん?」

「一乗谷の再現をしたのだろう?」

 信広の言っていることが分からず、ポカンとする。

 その瞬間、森を抜けた。崖が終わったのだ。

 飯を齧ろうとしていた雑兵その1と目が合う。ぽろっと飯が落ちた。ああ、勿体ない。その米粒に7人の神様がいるんだぞ。金色の草原作るのに、農民の皆様がどんだけ苦労して――。

「お、おっ織田軍だああっ」

「なんで織田軍が、ここに!?」

「待て、逃げるな貴様ら! 槍を持て、弓を番えろっ」

 今川軍大混乱なう。

 プギャーと指差し笑ってもいいだろうか。後方から出現した武装集団が敵軍であることは馬鹿でも分かる。鎧が違う、気迫が違う。何よりも俺たちはとっくに抜刀し、臨戦態勢に入っていた。

 そこへダメ押しの旗印だ。

「ぎゃああっ、ここからも現れたぞ!」

「囲まれたのか!?」

「ひいい、どこへ逃げればいいんだっ」

「こら、逃げるんじゃない! 義元様をお守りしろっ」

 南東から佐々隊の到着に合わせ、伏兵の毛利隊も一斉に鬨の声を上げた。

 毛利新助自身は俺と一緒に清州城を出たものの、信盛たちと一緒に砦建築に励んでいた一部の兵士が茂みに潜んでいたのだ。タイミングが良すぎて感動ものである。やっぱり織田軍最高だ!!

「雑魚はほっとけ。狙うは義元の首ただ一つ!」

「橘と巴はどこだ。分かるか、兄貴」

「……濃姫に嫌われるぞ?」

「違う! 定宗と大学助の仇だ。お前らあっ、井伊と朝比奈の首を取った奴には特別褒章をくれてやる!!」

「よっしゃあっ」

 どこぞで誰かが応じて、乱戦模様の桶狭間は土煙がもうもうと立ち込める。

 戦場に女連れで来るわけがないだろう。脳筋兄貴の余裕が憎たらしい。

 言い返してやろうにも、既に信広の姿はなかった。俺は一人で、怯えた目の今川兵とかち合った。震える手で槍を握っているのを確認した瞬間、俺の槍が胴を貫く。

 断末魔は聞こえなかった。

 こぼれた涙は泥にまみれ、どさりと倒れた体は馬に踏みつぶされる。この兵士の名を、義元は知らないだろう。知ろうとも思わなかったはずだ。彼の生還を祈る者がいても、彼の名を知らない者の方が多い。元服前の子供であろうが、四十を過ぎた老兵であろうが、戦場においては皆等しく死兵となる。

 俺は死なない。

 俺は生きて戻る。どんな傷を負っても、どんなに血を浴びても、槍が折れても、恨まれても、憎まれても、怨嗟の叫びに晒されても、俺は絶対に死ねない理由がある。

 俺に降りかかる刃を払い、朱塗りの巨槍がぬうっと現れた。

「信長様!!」

「おう、犬。ナイスタイミングだ」

 ぬかるんだ大地を踏みしめ、俺と利家は背中合わせになった。

「やっぱり信長様は信長様っすね! 自分から本陣に突っ込んでくとか、信長様にしかできねえ戦です。俺、そんな信長様についてきて良かったっす」

「辞世の句か?」

「ええっ、違うっすよ! 辞世の句を詠むべきなのは、義元の方っす」

「大殿には近づけさせぬ!!」

 力強く吠えたのは、親父殿くらいの年頃か。

 手の込んだ前立てに、そこそこ上等な胴巻きに目をやる。視線を相手の顔に戻せば、向こうも俺を睨んでいた。立派な髭が憤怒に歪んでいる。

「名のある将とお見受けいたす」

「上総介信長である」

「貴様、尾張のうつけか! 我が名は井伊次郎直盛、いざっ」

「はっはあ、オレの目の前でやらせるわけねえだろ!」

「ぬうっ」

 文字通りの横槍を入れられて、直盛がたたらを踏んだ。

 一騎打ちを邪魔されて不満なのだろうが、俺たちにそういう理屈は通じない。そもそも義元の傍を離れているのに、大事な主君を守るとかよく言えたものだ。最前線どころか、敵本陣に来てしまった俺が言うことではないな。しかも護衛は利家だけだ。

 獲物は、無事に確保しただろうか。

 なんとなく意識が逸れた瞬間、直盛の体が大きく揺れた。

 利家の朱槍が首を貫いている。たちまち首級を上げてしまうのを、俺はぼんやりと見守っていた。これで盛重の仇を取ったことになるのだろうか。朝比奈の旗は、見当たらない。

 返り血を浴びた重休が、俺の元へ駆けつける。

「信長様!」

「おう、長門守。墨持ってるか!?」

「もちろんでございます。しかし旗にする布がございませぬ」

 常備している紙では小さすぎる。

 残念そうにする重休に、ごそごそしていた利家が白いものを差し出した。おあつらえ向きに紐もついているが、それってアカンやつだろう!? 慌てる俺をよそに、重休が素早く『無』を書きつけた。

 利家が倒れた敵兵の槍に取り付け、背中に固定する。

「よし!!」

「おい、馬鹿犬」

「うおおおお、織田上総介はここじゃああ!!」

 止める間もなく駆けていく背を、俺たちは呆然と見送った。

 その直後。

「今川治部大輔の首、討ち取ったりいいぃ!!」

 その声は、泥と血にまみれた合戦場によく響いた。

 義元討ち死の報は、瞬く間に両軍へ伝わるだろう。俺たちは勝った。念願の大将首を上げ、勝利条件を満たしたのだ。感極まったらしい重休が珍しく全身で叫び、喝采を上げている。戦場のあちこちで似たようなポーズで叫んでいる奴がいた。

「殿」

 重正が馬の手綱を引いて、俺の前に膝をつく。

「毛利新助が、義元の首をとりました。お味方の勝利でございますぞ」

「うむ」

「後はお任せを!」

「だが」

「首実検は清州でもできます。いち早くお戻りいただき、我が軍の大勝利をお伝えくださいませ。皆さまも、信長様のご帰還を首長うして待っておられますぞ」

 重休がそう言うので、俺は大人しく馬上の人となった。

 高揚感はない。戦が始まるまで酷く長い時間を過ごしてきたように思えるのが嘘のように、何も感じなかった。重正が誘導する馬に揺られて、中島砦まで戻る。

 そこから先は、よく覚えていない。

 今川軍追撃は事前に禁止しておいたので、掃討戦は鳴海城奪還で終わりを告げた。尾張侵攻を目論んでいた義元の死によって、大高城を含めた複数の城が織田領に戻ってくる。

 義元の首実検は、義元の傍に仕えていた者によって検められた。

 本人であることが確認できればそれでいい。討たれた将兵の確認をさせた今川の者は、義元の首と一緒に故郷へ返してやった。淡々と進む戦後処理を、俺はただ見つめる。

 もともと家臣任せにしてきたから、俺が動かなくても何も言われない。

 負傷したことで吉乃や奈江には泣かれ、叱られた。そんなに深い傷でもないのに絶対安静といって床に縛りつけられ、子供たちの夜泣きで寝不足にもなった。帰蝶は女たちのアフターケアに努めたようだ。結婚して初めての出陣で、不安にならないはずもない。

 清州・那古野ラインの素晴らしさは、尾張国内で語り草になった。

 神速を貴ぶ織田軍は、いつだって努力を怠らない。そして田植えを間近に控えた尾張国を戦場にしなかったこと、大将首を挙げた後は素早く撤収したことも高く評価された。

 俺たちは、強大な敵に勝った。

 とりあえずの脅威は去ったといえる。

 口々に褒め称える家臣たちの声も、俺の心に響かなかった。

真っ白に燃え尽きたノブナガ

桶狭間へは信長本隊(騎馬)が北から迂回し、成政隊(混合)が南東の進路を取ったということにしています。毛利隊(刺客)は各砦完成に前後して、桶狭間付近に駐屯していました。馬廻衆と母衣衆は揃わなかったので、本人たちの意志で各部隊に参加しました。



岩室重休...通称は長門守。小姓も務めていたが、馬廻衆としての仕事が多かった。太田又助と共に秘書的な役割を果たし、織田軍を影で支えるスーパー事務員さん

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ