表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ノブナガ奇伝  作者: 天野眞亜
飛翔編(永禄2年~)
137/284

113. 無文字の旗印

 とうに賽は投げられた。

 なーんて格好つける気もないが、事態は動き始めている。

 俺がウダウダごねている間にも砦は着実に完成へ近づいていた。鳴海城から見て北東に位置する丹下砦には水野忠光みずのただあきを、東の善照寺砦には信盛、南東の中島砦には梶川高秀かじかわたかひでがそれぞれ入った。忠光と高秀は、水野家からの援軍だ。

 信盛を通じて、信元の文が清州城へ届く。

 コキ使っていいからヨロシク、というざっくりした文面に思わず笑った。この思い切りの良さは見習った方がいいかもしれない。主君の動揺は、家臣に伝わるものだ。

 俺からは各砦へ、激励文を送った。

 他に言うべき言葉はない。皆を信じて、戦う。かの地で誰が死のうとも俺は死なない。だが何が何でも、義元だけは討ち取る。奴の首が、勝利条件だ。

「殿! 丸根砦、鷲津砦からも文が届いております」

「うむっ」

 盛重と盛次も揃って砦の完成を報告してきた。

 鳴海城周辺の砦に数日ほど遅れてしまったのを悔しがっている。早く完成させた方に報奨を与えるなんて約束した覚えはないが、こういう冗句を言える余裕はありがたい。

 盛重にはポン酢を、盛次には酒を添えて激励文を送る。

 すると、間を置かずして信盛から「贔屓だ」と恨み言の文が飛んできた。清州まで往復する使者の気持ちも考えてやってほしい。二人の事情は分かっているくせに、こういう時こそ図々しくなるのが信盛らしい。何でもいいからくれ、とねだるので柑橘水の輸送を約束した。

 砦建築に合わせて兵糧も運び込んでいるが、柑橘水は日持ちしない。

 出陣する日だけ配られる限定品が『織田の柑橘水』として広まっているようだ。足軽たちの中には、これを飲むと負ける気がしないと言う者もいる。柑橘水のおかげで生き延びた、と宣伝している奴もいるくらいだ。

「そういえば、定宗と尚清はどうしているんだったか」

「はっ、久六と共に鷲津砦へ入っております」

「そうだったな」

 いつ注進が来てもいいように、長秀は清州城に詰めていた。

 成政は黒母衣衆と共に、戦支度に追われている。留守中の守備を頼んでいる貞勝はここのところ、全く見ていない。秀吉は那古野城で合流すると言っていた。それまでは、妻のねねと一緒に過ごすのだろう。利家のことは誰も何も言わない。

 一益は相変わらず忙しそうにしているし、恒興には東春日井を任せている。

 この機に美濃が動きを見せる可能性はゼロじゃない。6年前は援軍を寄越してくれたな、と懐かしむ余裕もなかった。どこから急使が来ても対応できるように、何度でも地図を確認する。

 そして暦は皐月へと変わる。

「今川方に動きあり!」

 たまたま広間に家臣団が集まっていたところへ、注進が来た。

 ざわっと一同が反応する。

「義元が動いたか!?」

「いえ、先陣の松平軍のようです。数日以内に沓掛城に到着。兵糧がわずかになった大高城へ物資の輸送を試みるのではないか、と申しておりました」

 俺は信純と目配せをする。

 ここまでは予想通りだ。元康が救援物資を運ぶために動いた。砦建築は見逃しても、落城するのはいただけない。しかし義元は、後詰軍による救援よりも物資輸送を選んでしまった。

 信元には、元康の大高城入りを見逃すように指示してある。

 そうすれば義元は、水野家の従属を信じるだろう。大高城に無事入城した元康には、攻勢へ転じるように命じる。だが元康は、兵の疲労を理由にこれを固辞する。

「ご注進!! 大高城に松平軍が物資を運んでおりますっ」

「申し上げます! 今川本隊に動きありっ」

 次々と駆け込んでくる兵に、柑橘水を与えて休息を取らせる。

 日が落ちて、夜になった。

「殿! 今川軍は潮が満ちる19日に仕掛けるつもりです。我らも出陣いたしましょうっ」

「戦の準備はできております!」

「治部大輔など恐るるに足らぬ。我らには信長様がついておるのじゃ!」

「おおっ」

 広間が熱気に包まれた時、気の抜けた声が割って入った。

「あ、しまった」

 ぽむっと手を打ったのは俺、ノブナガ。

 呆気にとられて見守る一同をぐるりと見返して、首を傾げた。いつでも出陣できるという言葉通りに、皆が揃って具足をつけている。命令一つで、全員が飛び出していける。

 見事に落ち武者ヘアばっかりだ、と思うのは俺くらいだろう。

 髷を外してしまえば、ロン毛集団の出来上がりだ。月代のせいで、河童が雁首並べているようにしか見えない。いや、前髪のある宣教師の方が河童らしいか。

「と、殿? いかがなされたのですか」

 何も言わない俺に、おそるおそる問いかけてくる奴がいた。

「ん~、大したことじゃないんだが。俺の旗印を用意するのを忘れていたなあと、思ってさ。織田家紋といったら、五つ木瓜だろ? つまり織田家の者はみんな五つ木瓜だから、俺がどこにいるか分かんねーじゃん。それはちょっと困る」

「いや、今更そのようなことを仰られても」

「ダメだ! 久しぶりに俺が前線に出るんだぞ。尾張守護職織田上総介信長はここだー!! 大将首をはここだー! って、叫ばなきゃ分からないようじゃ困るんだよ。恒興メガホンいないし」

「池田殿は、美濃の抑えで動けぬはずでは」

「そうなんだよ。だから俺の旗印が」

「いい加減にせい!!」

 突如として大喝が轟いた。

 何とかして俺を宥めようとしていた家臣も、予想外のことに呆然としていた家臣も、とにかく広間に集まっていた全員が一点を見つめる。そこには髭と肩を怒らせた勝家がいた。

 ふーっ、ふーっと息を整えてから俺を睨む。

「御免!」

「あ、柴田殿っ。どこへ行かれるんじゃ」

「気安く声をかけるでないわ、猿めが!」

「ひえっ」

 立ち去ろうとした勝家に怒鳴られ、秀吉が腰を抜かした。

 那古野城で合流するとか言っていたくせに、そろそろヤバイと聞いて清州城へ駆けつけたのだ。その無駄な行動力を別のところに活かせよ。本当に後世へ伝わる豊臣秀吉なんだろうか。

 いや、そんなことよりも俺の旗印だ。

「藤八郎」

「は、はい!」

「又助を呼んで来い。あいつは速筆ができる。さくっと仕上げるよう伝えろ。そうだな、十枚もあればいいか」

「な、何を十枚……」

 ぎくしゃくとしながら問い返すので、俺は思わず溜息を吐いた。

「話を聞いていなかったのかよ」

「申し訳ありませんっ」

「俺の旗印を作るの。おっ、閃いた! 無の文字がいい。白地に墨でばばーんと」

 あちこちでガタガタッと音がした。

 小姓たちが青ざめているので、振り向かなくても分かった。俺の態度に呆れ果てて、家老衆を含めた織田家臣が広間を去っていくのだ。軍議の最中に中座とか、不敬にも程があるぞ。

 旗印の話だって、立派な作戦会議の一環なのになあ。

「やれやれ」

「……だ、大丈夫なのでしょうか」

「大丈夫じゃねえよ。さっさと無文字の旗印作ってこい」

「ええっ、本当に作るんですか!?」

「こんな時に冗談言ってどうするんだ。お前も馬鹿か」

 冷めた目で見やれば、藤八郎は蒼白になってブンブン首を振った。

 転がる勢いで走っていく背は「哀れ」の一言に尽きる。俺はもっと穏便に事なかれ主義で、流され系男子だったのに不思議なものだ。勝家を怒らせて、家臣たちにも見限られても、何にも感じない。寂しいとも、悔しいとも、辛いとも思わない。

「猿は、五郎左を追いかけていったか」

 俺は一人、広間に残っていた。

 信純も成政もいない。子供はとっくに寝る時間だ。こんな日だから、嫁たちも城奥で大人しくしている。襖を閉じる者がいないから、好き勝手に夜風が吹き抜けていく。

 そうして、どれくらい待っていただろう。

「も、申し上げま……!?」

 新たな注進が、不自然に途切れた。

 俺がいることには気づいているのに、ものすごく挙動不審だ。他に誰もいないから当然か。相当に急いで来たらしく、武装は泥まみれだ。

「さっさと報告しろ」

「は、ははっ。今川方は桶狭間山に本陣を定め、鷲津砦および丸根砦を包囲! 今すぐご出陣をお願いいたします。どうか、我が主をお救いくださいっ」

 声を枯らして叫び、這いつくばるように頭を垂れる。

 俺はそれを静かに見下し、席を立った。

次は、いよいよ桶狭間の決戦です(たぶん)


水野忠光...通称は帯刀左衛門たてわきざえもん

 水野信元に仕えていたが、丹下砦の守備を担当する


梶川高秀...通称は平左衛門尉へいざえもん。信元の父・忠政ただまさの代から仕える水野家臣。

 弟・一秀と共に、中島砦の守備を担当する

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ