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ノブナガ奇伝  作者: 天野眞亜
飛翔編(永禄2年~)
133/284

110. 狙うは誘い受け

 年明けて永禄3年、俺はとうとう今川義元を討つ宣言をした。

 少なくとも表立って反対する者がいなかったのは、何を言っても無駄だと諦めているせいだ。箝口令を敷いたにも関わらず、利家が浪人へ身を落とした理由まで誰もが知っている。橋介の傷は癒えても、諍いの原因を作ったことは消えない。

 傍仕えの仕事に差し支えがあるとして、橋介は正式に小姓衆から外された。

「頭がいてえ」

「何を弱気な。この程度のこと、予想できていたのでしょう?」

「お濃が冷たい」

 ぐすんと鼻を啜っても、愛しい妻はツンツンモードだ。

 合同結婚式以来、奥様連合だか奥様戦隊だかが結成されたらしい。筆頭はもちろん帰蝶で、側近たちの妻が名を連ねている。夫を支え、家を守る妻たちの結束は固い。結婚した途端に夫が職を失い、貧乏生活を強いられているおまつに同情が集まっている。

 生粋の姫だっただけに心配していたが、彼女は図太かった。

 ねねに家計のやりくりを教わって、元気にやっているようだ。良かったよかった。

「全然よくねー」

「はいはい」

「いつの間にか娘生まれてるし! 俺は自分の子供の出産に全て立ち会うっていう崇高な使命があるんだよ。あったんだよ。一人だけ間に合わなかったとか、五徳がでかくなったら冷たい目で見られる! お父様、サイテーとか言われたら死ねるっ」

「はいはい」

「お濃、ちゃんと聞いてんのか!?」

「聞いているわ」

 未来の娘以上にひんやりクールな声に、ぞくっと震えた。

 これは、あれだ。いつぞやの嫉妬のあまりに俺を殺そうとした夜に似ている。彼女は絶対認めないが、娘を生んだ吉乃に嫉妬しているのだろう。次は娘だ、とさんざん言っていた自覚はある。吉乃が春頃から具合を悪くしていたのは悪阻が原因で、俺が籠っている間に生まれてしまった。

 名は五徳姫。俺の四人目の子にして、織田家長女である。

 産後の経過が悪くて、吉乃は寝込んだままだ。生まれたばかりの赤ん坊を一緒に置いておくわけにはいかず、別々にしていたせいで気付くのが遅れた。いや、報告自体はあったと思う。

 俺が聞いていなかっただけだ。

 道理で吉乃がしょんぼりしていたはずである。せっかく待望の娘を生んだのに、見舞いに来た俺が何も言わないのだから。早々に誤解を解かねばならない。このままだとお五徳が織田家直系どころか、別の家からもらわれてきた養子みたいな扱いになってしまう!

 だが容体が悪化したとかで、今は面会謝絶だ。

「吉乃に会いてえなあ」

 そう呟いた時、目の前にドスッと何かが刺さった。

 ガチッと固まる俺、にっこり微笑む帰蝶。まさしく極楽から地獄への転落。自業自得とはいえ、哀れな俺に救いの手を差し伸べてくれる奴はいないのかっ。

 ひょこっと子供が顔を出した。俺を見つけて、ぱあっと顔を明るくする。

「父上!」

「奇妙丸!! おお、我が息子よっ」

「あら、いらっしゃい。奇妙丸、今日はどちらに行くの?」

「鷹狩です」

 またか、という帰蝶の視線から逃げるように部屋を出た。

 信純の言う通りだとするなら、鷹狩は戦上手になれる近道なのだ。時間の許す限り繰り返し行っておけば、奇妙丸のためになる。厩へ向かいながら、課題として与えていた書物の話をする。

 特に軍記物が好きで、三国志の話になると目が輝く。

 そのうち一人で読めるようになれば、軍略書なども理解できるようになる。武術に関してはまだ本格的な練習に入っていないが、俺の真似をして素振りは毎日欠かさない。

 最近は鷹に夢中だ。

 降りてくるのを待ちかねたように近づいて、キラキラした目で観察している。手を出すと噛まれたり、爪で威嚇されたりするので見ているだけだ。

「父上、法空に餌をあげてもいいですか?」

「ダメだ」

「どうしてですか」

「法空は俺の鷹だからだ。奇妙丸は、颯斗に茶筅が乗っていたら嫌だろう?」

「茶筅はまだ馬に乗れません」

「もしもの話だ。お前だって、まだ一人で乗れないだろ」

「もうすぐ乗れます」

 ムスッとして言い返す息子の頭をぐりぐり撫でる。

 勝気な性格は母譲りか。

「一つずつ確実に己のものにするんだ。覚えたからといって安心するなよ。何度も反復練習をして体に叩きこめ。読み書きも、軍略も、武術も、乗馬も、何でもだ」

「はい、父上」

「すごいと褒められても、調子に乗ると痛い目に遭う。卑屈になりすぎると周囲を悲しませたり、ガッカリさせたりする。できることはできると言え。できないことは、できるようになれ。分からないことは質問しろ」

「はい、父上。ひくつ、って何ですか?」

「ヘタレってことだ」

「へたれって何ですか?」

「……ダメ人間のことだ」

「父上のことですか? でも父上は皆を悲しませたり、ガッカリさせたりしていないです。よく分かりません」

 難しい顔をして考え込む息子は、俺以上に頭がいい。

 やっぱり自分の手で養育するのは限界があったかもしれない。この時代で教師を担当するのは坊主が多く、沢彦のような高僧の知り合いがいないのは悔やまれる。

「殿!」

 鳥見より、獲物の報告が来た。

 丸々と太った鴨を発見したようだ。焼いても美味いが、たっぷり葱を使った鴨鍋も捨てがたい。かつての教訓を踏まえ、鍋などの道具は全て揃えている。

「行くぞ、奇妙丸。ちゃんと捕まっていろよ」

「はいっ」

 子供の成長は早い。

 やっぱり死ねないな、俺。何が何でも生き延びねば。


**********


 家族との憩いの時間を過ごした俺は、その足で那古野城へ向かった。

 信包が出迎えてくれて、懐かしさに顔が緩む。

「久しいな。三十郎、変わりはないか?」

「はい。信広兄上とも何とかやれています」

「そうか。彦七郎がいる古渡城の様子はどうだ」

「今のところ、問題ありません。物資の運び込みも順調です」

「よし」

 今川軍に目立った動きはない。

 最前線となる鳴海城と大高城は厳戒態勢が続いている。山口親子の裏切りによって落城してから7年の月日が経った。俺たちは奪われたものを取り返すだけだ。

 信包と互いの近況を話している部屋へ、騒々しい足音が近づいてきた。

 喜色満面の馬鹿兄貴が登場である。

「ようやくか! いい加減、待ちくたびれたわ。さあ、三郎! どこから攻める? 鳴海か、大高か」

「品野だ」

「は?」

「尾張品野城ですよ、信広兄上」

「はあ?!」

 脳筋兄貴の相手をしていると日が暮れてしまう。

 尾張侵攻が現実味を帯びてきてから半年、今川軍がいつ動いてもおかしくない。尾張国が豊かになるのを待っていたのか、信元の降伏を待っているのかは分からない。こちらを侮ったままでいてくれるなら、それに越したことはない。

 那古野城で軍議を開くにあたって、飯尾親子や信盛たちも呼び寄せていた。

 もちろん利家の姿はここにない。

「まずは周辺から固めていくぞ。鳴海城と大高城の周辺へ、このように複数の砦を築く」

 信純たちと何度も話し合って決めた通りに、地図へ印を書き加える。

「ほほう、村木砦の戦いを思い出すな。あの時とは攻守逆転しているが」

「堅牢な砦を作る必要はない。兵を詰めさせ、城を包囲できればいいんだ。兵糧の補給源を断ってやれば、長くはもたないだろう。ただし」

「二つの城は海に面している。我々は海から上陸して、緒川城の窮地を救ったのだったな」

「兄貴の言う通りだ。今回も運良く(・・・)嵐になるとは限らない。海側の警戒も十分行わないと、足元をすくわれることになるだろう」

「成程。そのための砦ですな」

 感心した風の信盛とは違い、定宗は難しい顔で地図を睨んでいた。

 今川軍にとって最前線の城は、織田軍にとっても最前線だ。今川義元が信頼する猛将が城主となって守っているはずで、眼前に砦ができるのを黙って見ているとは思えない。信元が村木砦の完成を止められなかったのも、大軍が建築途中の砦を守っていたからだ。

 兵力の差ゆえに、同じ真似はできない。

 一つずつ城を攻略するには時間がかかりすぎるし、後詰軍が大量に押し寄せてきたら潰される。まあ、それが本当の狙いだ。城の奪還は、義元の首級を取ってからでいい。氏真がよほど覇気ある人物じゃない限り、国内の動揺を鎮めるのに手間取るはずだ。

 元康にその気があるなら、三河国で独立も不可能じゃない。

 いや、今は戦のことを考えよう。

「複数の砦を作るなら、同時に進めるしかないでしょうな」

 定宗がずーっと沈黙していると思ったら、砦について考えていたらしい。

 墨俣の一夜城も、城どころかハリボテの砦だったという。攻城戦のための砦なので、包囲網を維持している間だけもてば十分だ。俺も地図を見つめ、信純の言葉を反芻する。


『砦用の資材をどうするかって? 船を分解して、木材にしてしまえばいいよ。森から木を切り倒してくるより、ずっと早くて簡単だよね』


 伊勢湾に面していることを最大限に利用しろ、と彼は言っていた。

 俺は信純のアイディアをそのまま伝える。船にも資材を満載して、上陸と同時にどんどん運び出していくのだ。かなりの人数を動員しなければならない。砦が完成した後は、そのまま詰めてもらうことになるだろう。

「最近、部屋に籠りがちだと聞いていたが。三郎、そんなことを考えていたのか」

「負ける戦はしない主義なんだ」

「兄上、品野城はいつ攻めるのですか?」

「近いうちに出陣する。というか、三十郎はここに留守番だからな」

「またですか!?」

「信包殿、城を守るのも大事な務め。ご当主の決断に異を唱えるものではありませぬぞ」

「すみません」

 定宗に諫められて、しょんぼりと肩を落とす。

 ちょっと可哀想な気もするが仕方ない。品野城攻略は前哨戦だ。それに信包についてこられると困る理由があるので、定宗のフォローはとても助かる。信盛が佐久間一族の威信にかけて砦建築に尽力すると宣言し、この日の軍議は終了した。

 皆が解散していく中、信広を捕まえる。

「兄貴、ちょっと」

「何だ? 内緒話か」

「俺抜けるから、後頼んだ」

「抜けるぅ?!」

「ば……っ」

 とっさに口を封じようとしたが、男の唇なんかに触りたくない。

 慌てて周囲を見回し、誰もいないことを確認した。

「声がデカい! 影武者を立てていくから、適当に誤魔化しておいてくれ」

「どこへ行くつもりだ」

「それ言ったら、てめえもついてくんだろうがっ」

「当然だ! 面白そうなことを抜け駆けされてたまるか」

「却下。兄貴がついてくると悪目立ちする。断固拒否」

「うぬぬ」

 信広はしばらく唸っていたが、渋々了承してくれた。

 行き先を告げるのが条件だと言われて、仕方なく白状する。驚かれるかと思いきや、意外にも納得顔で背を押してくれた。これは信純の助言に基づく行動じゃない。俺が勝手にやろうとしていることだ。

「船酔いするなよ?」

「陸路を行くから大丈夫だ」

 馬鹿兄貴め、嫌なことを思い出させるなよ。

飯尾定宗(大叔父)は津島の盆踊り以来の再登場であります…。

鳴海・大高城の周辺に建てた砦については後程


忘れられし長女・五徳姫...徳姫と伝わる。

 当時の記録には「おごとく」とあるので、本編では「お五徳(様)」と呼ばれる

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