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ノブナガ奇伝  作者: 天野眞亜
飛翔編(永禄2年~)
131/284

108. 犬を野に放つ

「うむ、美味い」

 ガツガツと飯を貪り、焼き味噌を齧る。

 しかる後にたくあんを睨みつけ、ばりばりと噛み砕く。葱の旬はいつだったか。葱味噌を握り飯に塗って炙った焼きおにぎりが食べたくなった。塩漬けの魚はあるのだから、ほぐし身にしたものを握り飯の具にしてやれば、一つで二度美味しい。

「茶飯が食いたいな」

 何杯目かの飯に、汁をぶっかけて一息にかき込む。

 お茶漬けを思い出して茶をかけてみたこともあるが、楠屋敷で食べた味にならなかった。やはり、飯を炊く段階で茶葉を使っているのだろう。伊勢国の伊勢茶が飲みたい。そういえば長利が戻ってきたのに、長益は戻ってこない。

 何かあったのだろうか。

「又十郎以上に研究肌だからなあ。茶の湯に目覚めて、そのまま茶人の道を突き進んでいたらどう……もしないな。今じゃ、茶の湯は武家の嗜みだ」

 ハマりすぎると道楽者扱いにされるが、長益なら大丈夫だろう。

 美味くもないが不味くもない茶を干して息を吐く。

「相変わらず独り言が多いねえ、三郎殿は」

「いつからそこにいた」

「少し前から」

 信純の全く悪びれない様が、なんだか懐かしい。

 お艶はどうしたんだと聞いてみると、起きられないから大丈夫という返事をもらった。うむ、ノーコメントだ。食事が終わった後でよかった、マジで。

 数日程籠っていただけだが、随分心配していたと言われる。

「私以外の皆が、ね」

「素直じゃないなあ、又六郎は」

「京で出会った南蛮人から書物をもらったんだって? 幕府に知られたら、大変なことになるかもしれないねえ。没収されちゃうかも」

「単に言い損ねていただけだ! 見たければ見ろっ」

 聖書を箱から取り出し、畳に放った。

 信純は拾い上げた聖書をぱらぱらとめくったが、内容はさっぱり分からないようだ。すぐに諦めて、俺に返してきた。なんだか悔しそうに顔を歪めている。彼にしては珍しい表情だ。

「三郎殿には読めるんだよね、それ」

「いや、ほとんど読めん。単語を拾いつつ、推測しながら和訳している」

「訳を見せてもらってもいい?」

「あのなあ。そんなことを話に来たんじゃないんだろ」

「本当に皆が心配しているから、私が様子を見に来ただけさ。三郎殿が部屋にこもるって、今までになかったことだからね。上杉輝虎うえすぎてるとらも、考え事をする時には毘沙門堂に籠ったそうだよ。軍神と名高い彼にあやかって、観音堂でも建ててみるかい?」

「嫌だ」

 即答しておいて、脳裏に浮かんだのは観音像のある古寺だ。

 昔は足繁く通っていたのに、今はすっかりご無沙汰になってしまった。地下の管理をしていた長利も何かと忙しくなり、別の者に甘味蔵を任せている。確か、お清という娘だ。平手家の娘で、久秀の妹にあたる。

 長益と仲がいいと聞いていたのに、会えなくて寂しい思いをしているだろう。

 俺にも責任があることだし、何か手を考えなければならない。

「……ということなんだけど、付き合ってくれるよね?」

「よきにはからへ」

「全く聞いていなかったのは分かったよ」

「正直すまんとは思っている」

 信純は「気にしていない」と笑い、鷹狩に行こうと改めて誘ってくれた。

 狩猟は好きだ。鷹は猛禽類のくせに可愛いところがあって、自分の腕から大空へ羽ばたく様は一瞬見惚れてしまうくらい美しい。それに鷹狩なら、家臣たちも止めない。武家の嗜みだからだ。

「名手と評判の腕を見せてもらおうかな」

法空ほうくうは頭がいい鷹だ。又六郎もびっくりするぞ」

「本当に、君はどうしようもないうつけだよ」

「よし、分かった。その喧嘩は高値で買ってやろう。獲物の数で勝負だ!」

「元気になったのなら何でもいいか、うん」

 よく分からないことを言う信純の襟首を掴み、意気揚々と厩へ向かった。

 鷹狩には2人組の鳥見役、獲物の気を引きつける騎馬を用意する。もちろん、それだけでは足りない。俺は弓や槍を持たせた6人編成のチームを率いて、絶好のタイミングで鷹を放つ。獲物が落ちてくると、近くに潜んでいた捕獲要員が押さえて完了だ。

 自由に飛び回る鳥は弓で狙いにくい。

 落下してすぐに捕まえないと逃げられるか、肉食獣に奪われてしまう。そんな風に何度も悔しい思いをして、ようやく辿りついた万全の策である。猪と兎も見つけて、それぞれ捕獲した。毛皮を傷つけないように注意するのは、もう慣れとしか言いようがない。

 半日足らずで10の獲物を手に入れることができた。うむ、今日も調子がいいぞ。

 やっと3羽捕まえた信純が、恨めしそうに俺を見た。

「三郎殿、少しは手加減してくれてもいいのに」

「勝負にはいつでも全力投球だ。悪いか」

 胸を張る俺の腕で、ピィーッと法空が応じる。

 褒美の餌を食べてしまったので、空へ戻りたくなったのか。それっと上げてやれば、大きな翼を広げて飛び立っていく。くるりと旋回してみせるのは、俺への合図だ。

 いつも、あの雄々しい姿が見えなくなるまで見送る。

 最初は腕に止まらせるのも怖くて無理だったのが嘘のようだ。今は自由の効かない俺の代わりに、法空が大空を謳歌しているように思える。

「羨ましそうだ」

「否定はしないが、鳥になりたいとは思わん」

「どうして?」

 人間が好きだから、と答えようとしたのに喉で詰まらせた。

 いつ頃からか、俺は心の奥底に獣を飼っている。全身真っ黒で、目だけが血のように赤い獣だ。外へ出られるのを虎視眈々と狙っている。そいつの好き勝手にさせれば、俺は楽になれる。そいつこそが本当の「織田信長」かもしれない。

 だが俺はみっともなく足掻きながら、こうして己を維持している。

「ああ、そうだった」

 信純が観音堂とか言い出すから、古寺の誓いを思い出した。


『俺は決めたぞ、尾張国を統一する。このクソッタレな世の中を変えてやる』


 そう宣言して、舎弟どもと酒を酌み交わしたのだ。

 美人の嫁と子供たちに恵まれたが、尾張国の統一はまだ果たしていない。東の知多郡、西の河内郡が残っている。世の中を変えてやるなんて大言壮語もいいところだ。まあ、俺も青かったということだろう。

 歴史はそう簡単に変わらない、という根拠のない確信があった。

 織田信長が時代の革命児だと知っていたから、あんなことが言えたのだ。今はもう、同じことを言って笑うことはできない。ともすれば、爺との約束も違えそうになる。

 こんな俺によくもまあ、後を託す気になったものだ。どいつもこいつも、うつけばかりだ。

「三郎殿、知っているかい?」

「何がだ」

 思考を遮られて不機嫌な俺に、信純はニヤリと笑った。

「鷹狩が上手い人は、戦上手と呼ばれるんだよ」

「…………」

「否定できないだろう?」

 ニヤニヤニヤと笑う信純に、何一つ言い返せなくて無性に腹が立った。




 だから、これは八つ当たりだ。

 眼前には血にまみれて倒れる橋介がいて、抜き身の刀を持った利家がいて、状況を止められなかった馬鹿どもが様々な感情を抱いて俺を見ている。

「出ていけ」

「信長様! お、おれ……っ」

「馬鹿は嫌いだ。我が前から消え失せろ、又左衛門利家」

 蒼白になった利家の手から、刀が落ちた。

 殿中でござる、は江戸末期の話だったなと頭の片隅で考える。斬った方が処罰を命じられて切腹。それを不服とした家臣たちが、主君の仇を討ちにいく。前田家の分家でしかない利家には妻と、わずかばかりの与力が従っている。

 そいつらが仇討ちに乗り出して、橋介を今度こそ殺すのか。

「聞こえなかったのか?」

「大殿! お考え直しくだされ」

「柴田殿の言う通りです。又左は、殿の腹心ではございませぬか!」

 雷のような声で勝家が吠え、可成が這いつくばって訴えてくる。

 だが、俺の心はわずかたりとも揺れなかった。

「黙れ」

 死刑を命じないだけマシだ。

 せっかく家老級の二人が免罪、あるいは減刑を望んでいるのに利家は突っ立ったままじゃないか。橋介は死ぬような傷じゃないものの、痛みで声も出ないようだ。歪んだ顔が、ひたすらに俺を見つめている。何か訴えようとしているようだが、口が震えて動かない。

 この場面で、誰が一番悪いかは明白。

「三度は言わぬ。清州から去れ」

「……っ」

「殿!!」

 利家が背を向けるのを確認してから、俺も廊下に出た。

 惨事の現場になったのは、よりによって合同結婚式を行った大広間だ。畳がいくつかダメになっただけだから、取り換えれば何とでもなる。本日中に箝口令を敷いて、余計な噂が広がらないようにしなければ。

「この大事な時期によくも、やってくれた」

 冷たく吐き捨てる。

 本当は分かっていた。昔から血の気の多い男の筆頭格として知られている利家だが、成政の方がよほど熱くなりやすい。カッとなったら手も付けられないのは長秀だ。利家はちっとも馬鹿じゃないどころか、冷静な判断力と忍耐力を併せ持っている。

 そんな利家が刀を抜いて切りつけるほどのことを、橋介がやらかしたのだ。

 悪いのは地雷を踏みぬいたであろう橋介で、利家は我慢できなかっただけで。

 おそらく聞き流せば、利家の信念を曲げることになった。そこまで理解しているのに、俺は利家を許せなかった。いよいよ今川軍との大戦が始まるというのに、仲間内で刃傷沙汰を引き起こしたことが信じられなかった。

 腹心だから、看過できなかったのだ。

「うわああああ!!」

 柱を斬りつける。

 何度も、何度も切っているうちに不格好な杵みたいになった。

「オラアッ」

 蹴って、トドメを刺す。

 めきめきと音を立てて折れたものの、天井に繋がっている部分はそのままだ。視界の端で揺れるのが腹立たしく、もう一度刃を振りぬこうとして止めた。正確には、止められた。

「父上」

 小さな息子が、泣きながら足に縋りついている。

 情操教育に悪いことをしてしまった。狂ったように柱を斬りまくる父の姿は、恐怖以外の何物でもなかったろうに。奇妙丸は精一杯の力で、俺を止めようとしていた。

 奇妙丸、と呼びたいのに乱れた呼吸では上手く言えない。

「は、は……は、はあっ」

「父上」

「あ、ああ。もう、大丈夫だ。心配を、かけた」

「ううん」

 首を振る息子の額が、足でこすれる。

 無性に泣きたくなった。奇妙丸が泣いているからかもしれない。

 父上としか言わないのは、幼い頭の中では言葉にできないからかもしれない。俺は奇妙丸よりも長く生きているのに、言葉が上手くまとまらない。

「奇妙丸」

「…………」

「一度言った言葉は、取り消せない。人の上に立つ以上は、常に己の発する言葉の重みを自覚するべきだ。自分の言葉で、他者が傷つく。そういうこともあると、心得よ」

「うん」

「はい、と答えろ。お前はもう、兄なのだから」

「はい、父上」

 まだ舌足らずな物言いをする奇妙丸だが、「父上」「母上」だけはちゃんと言える。

 弟たちを呼ぶのに噛むことはあっても、両親への呼び名ははっきり発音する。誰が教えたわけでもない。奇妙丸が自分で考えて、そうしたいと願ったからできるようになった。

 俺はどうだろう。

 何かをやりたいと思って、できるようになったのはいくつあるだろう。

「お前は、父のようになるなよ。俺を目指すな。お前が正しいと思う姿を、目指せ」

「父上みたいになりたい!」

「ダメだ」

「なりたい!!」

「ダメだ」

「なりた……っ」

 噛んだ。

 悔し涙を流す息子を、全身で抱きしめる。俺にはきっと、こんな記憶はない。親父殿に抱きしめられたことなど、一度もない。だが息子を抱きしめることはできる。

 いつか思い出して心の支えにすればいいと思いながら、ずっと抱きしめていた。

法空...ノブナガが可愛がっている鷹。ホークと呼んでいたが、皆が「法空」と記憶したので定着した。

 仏教用語とはあまり関係ない(たぶん)

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