106. 合同結婚式
※ねつ造設定あります
※シスコンブラコン警報
土産もしっかりゲットして、俺たちは清州城へ戻ってきた。
町中でチラッと見かけたのはやはり外国人だったようで、公方様こと足利義輝がキリスト教の布教を許したのだという。なんて心の広い御方だろうか。宣教師の持ってくる外国の文化は、日本(の主に食事情)に大きな影響を与える。
幕府の役人どもはダメだ。
あからさまに見下した目が気に入らない。あんな奴らと取引しようと思っていた俺が馬鹿だった。そんなことよりも宣教師ともう少し親しくなるべきだった、と手の中の十字架を見つめる。半裸のおっさんがいない方で良かった。
「実に精巧な細工でございますな。大陸には素晴らしい細工師がいるのでしょう」
「これは銀の塊だぞ? 銀山があるのだから、さぞ豊かな国に違いない」
「信長様はそのような国と貿易をなさるおつもりなのか」
「いやはや、先見の明には驚かされるばかりです」
素晴らしいと皆に拍手喝采を受け、笑顔で応じた。
内心で今すぐ穴掘って地中深くへ逃げ込みたいと切実に願っていても、突然落とし穴にハマって地球の裏側へ転移できたらいいなと思っていても、愛想笑いだけは崩さない。
うん、状況が落ち着いたら英語を勉強しよう。
聖書があるのとないのとでは大きく違ってくる、はずだ。
通訳の存在を過信するのは危ない。どっち側に有利な訳し方をするか分からないし、直接会話できる方が評価は高くなると前世の上司も言っていた。とうとう真面目にやらなかった英会話だが、今生ではきっと頑張れる。皆の笑顔のために!
「それにしても、道家の用件はなんだったんだろうなあ」
「美濃の刺客の話では?」
「それは、道中でたまたま見つけたって言ってたじゃねえか。まあ、清州へ戻ってきちまったから改めて聞けばいいか。急ぎの用事なら、本人が来るだろ」
なんて呑気に構えていたら、城門に女の影がある。
既視感に目を擦っているうちに、その女はこちらへ走ってきた。
趣向をこらした精緻な刺繍が、日の光を浴びてキラキラ輝いている。ええと、加賀友禅? 友禅染めっていうくらいだから、刺繍のことじゃないな。とにかく高そうな着物が泥をつけたら大変なので、俺は慌てて馬から降りた。
「お兄様っ」
抱き着かれて、ふわっといい匂いがした。
一人前に香を焚き染めることを覚えたらしい。黒い絹のような髪に、完璧な天使の輪が乗っている。俺の妹は宇宙一可愛いので当然だ。触るのも勿体ない輝きに、そっと手を置いた。
ゆっくり撫でてみると、滑らかな手触りに感動する。
「ああ、久しぶりのお兄様の匂い」
「…………」
「あん。どうして離れてしまいますの? お義姉さまたちみたいに、しっかり抱きしめてくださいませ。市はずーっと清州で待っていましたのよ」
「那古野城から移ってきたのか?」
聞いていないぞと俺が眉を寄せれば、お市はぷくっと頬を膨らませた。
紅をさした唇を尖らせて不満顔だ。
「だって信行お兄様ったら、意地悪ばかり言うんですもの」
「そりゃあ、お市が可愛いから仕方ない」
「や、やだ、お兄様ったら……そんな本当のことを言われたら照れてしまうわ」
ぽっと赤く染めて、いやいやと首を振る美少女。
そんな仕草も可愛くてたまらない。吉乃たちが遠慮するため、お市を那古野城に移すと決めた時には断腸の思いだった。こうして久しぶりに会えると、喜びもひとしおだ。
「あら、素敵な飾り。京で見つけてきたんですの?」
「そんなところだ」
お市にプレゼントしようか考えて、十字架を懐に戻す。
宣教師が京の町に来ているくらいだから、まだキリスト教に対する弾圧は始まっていない。それでも宗教には政治的な思惑が絡むものだ。可愛い妹をそんな生臭いことに巻き込みたくなかった。お市自身がキリスト教に入りたいと思ったなら、十字架を託すのもいいだろう。
「そういえば、お兄様。市は最近、薙刀を習い始めましたの」
「なんでだ!?」
「あら、織田家の女は頭がよくて、強いのがいいのでしょう? 吉乃と奈江に小柄を贈ったこと、ちゃあんと知っていますのよ」
「あれは自衛手段というか、実際に使うことよりもお守り的な意味であって」
「お兄様」
腰に手をやって、びしりと指を立てた。
誰だ、こんなポーズを教えた奴は。
気が付くと周囲にギャラリーの輪が出来上がっていて、俺の新しい側室だの天女様だの言われている。若い男たちがぼおっと見惚れているのがまた腹立たしい。
「お市、とにかく城へ入るぞ。俺も旅装を解きたい」
「お兄様」
「……何だよ」
「市はちゃんと覚悟ができています。その時が来たら、教えてくださいね。我儘なんて言いませんから。お兄様のためなら、頑張れますもの」
「お市?」
怪訝そうな問いかけには応えず、にこりと笑って手を差し出した。
「だっこしてください。昔のように」
「いや、旅装で汚れてるから」
「そんなの抱き着いてしまったから、手遅れですわ。さあさあ」
結局、俺は妹のおねだりに弱い。
横抱きにする「お姫様抱っこ」よりも、片腕に乗るような形を好む彼女のために兄は耐えた。次第にプルプル震えてきた腕に、お市が小さく噴き出している。屋内へ入る前にひらりと降りた身軽さに目を瞠った。
「お兄様、大好き!」
「お、おう」
よく分からないが妹の機嫌は直ったのでヨシとする。
上洛の供をしてくれた長秀たちにもねぎらいの言葉をかけ、ここで解散にした。定例評議会になったら、また面倒くさいことを話し合わなければならない。それまで十分に体を休めてほしい。
「信長様! ご無事でっ」
「猿と犬が揃ってどうした? 内蔵助は一緒じゃないのか」
「一纏めにしないでくださいよ。いいですか? オレとアイツはいわば、好敵手。信長様の言葉を借りると、らいばるっす」
「分かった分かった」
今日はもう疲れたから休みたい。
お市に抱き着かれたからか、どうにも嫁の顔が見たくて仕方ないのだ。いわゆる京女はたくさん見たが、作り物みたいな美しさはどうにも合わない。お面と喋っているような気分になる。
初めて上京したばかりの田舎者の心地というか、何というか。
尾張国は田舎じゃないと声を大にして言いたいのに、誰もが「田舎者」と馬鹿にしているような気がしてならなかった。帰蝶と南近江を散策した時にはそんなことを思わなかったし、津島の賑やかさも好きだ。
それから忘れちゃならないのが、狙撃未遂事件。
「信長様? 何か、あったんスか」
「そのうち話す。それよりもお前ら、用があったんじゃないのか? 今まで出迎えなんかしなかったくせに、どういう風の吹き回しだ」
すると二人は顔を見合わせ、がばっと頭を下げた。
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永禄2年6月吉日、清州城は最高に浮かれていた。
地中から青く輝く巨大石が現れ、そのまま天空へ飛び立ちそうなくらい浮かれていた。尾張国で初めての号外――有志による渾身の手書き――が出され、各地にばらまかれる。文字が読める者も読めない者も、その知らせにとても驚いた。
『織田家主催 合同結婚式』
それは身分問わず結婚したい奴らをこの俺、織田信長が祝福するというものだ。
清州城内が戦支度をはるかに上回る多忙を極め、ちょっと後悔したものの後には引けない。やると決めてしまったら、最後まで貫き通す。それは平手の爺に誓ったことでもあるから、曲げるわけにはいかなかった。
どうしてこうなったかというと、発端は馬鹿犬と禿げ鼠にある。
『嫁をください!!』
声を揃えて叫ぶものだから、俺は自分が嫁として求められているのかと思った。
すぐに勘違いだと判明し、彼らが結婚したがっている旨を訴えられることになったのである。馬鹿犬こと利家にはおまつがいたし、禿げ鼠こと猿には北政所がいた。そのうち嫁に来てくれるだろうと言っても納得しない。
俺には前世の記憶があって、大まかな戦国時代の知識もある。
確か北政所には子が生まれずに養子をもらったり、晩年になるまで側室にも子ができなかったりして、秀吉なりに苦労していた気がする。その頃には信長が本能寺の変でお亡くなりになっていたため、完全にノータッチであった。俺はなんとか生き延びるつもりだが。
嫁嫁うるさい奴らのために、荒子城からおまつを呼び寄せた。
更に、ねねという娘を清州へ呼び出した(人違いだと困るので猿に確かめた)。
俺が側近の嫁探しをしていると聞きつけた信広が、あろうことか自分の娘を連れてきた。行かず後家の恐怖に囚われたお艶が、縄で縛った信純を引きずってきた(何かのプレイだと思った)。
いい機会だと思ったらしいおちよが、息子のために荒尾という娘を連れてきた。
何故か女嫌いになってしまった成政には、貞勝の娘・はるが嫁ぐことになった。恒興と成政だけは政略結婚のような形になってしまったが、これから愛を育めばいいのである。
「なんで、お前はとっくに結婚してんだよ! しかも茶筅たちと同じ年の子供まで作りやがって」
「もう少し育ちましたら、遊び相手をつとめさせましょう」
「ナイスだ、半介」
思わずハンズアップする俺。
馬鹿兄貴の娘は長秀に一目惚れし、そのまま嫁ぐことが決まったので側近たちの正室が揃ったことになる。この辺りで合同結婚式を思いついたわけだが、お市が言っていたのはこのことだったと気付いた。
帰蝶と俺の仲良しぶりをひどく羨ましがっていた。
俺のお嫁さんになる、というのは小さかったお市の口癖だ。
年頃になって、実の兄へ嫁ぐのは不可能だと悟ったのだろう。織田家のために、どこかへ嫁ぐことになる。誰かの入れ知恵かもしれないが、浅井家に嫁ぐのはずっと先だ。浅井家の同盟を結ぶまでは織田家の姫でいられる。
夫(になる予定)の長政は、いずれ俺を裏切る男だ。
悲しい思いをさせるくらいなら、最初から嫁がせないという選択肢もある。しかもお市と長政の長女・茶々は確か、秀吉の側室として豊臣家最後の男児を生むんじゃなかったか。残る二人の娘はよく覚えていない。
「ねね、なんだか信長様がわしを睨んどる気がするんじゃが……」
「う、うん。あたしもそう思う。お前さまが何かやらかしたんじゃないの?」
「わしは何もしとらんっ」
「ほんとーに?」
「本当じゃ。ねね、信じてくれ!」
「猿の言っていることは正しい」
「あ、信長様。信長様が言うなら、そうなんですよね」
「ねね~っ」
今はまだ、という注釈付きだが。
俺の言葉は信じられるようで、ねねはホッとしたように表情を緩めた。
秀吉は早くも尻に敷かれる予感がしている。平時の役職は普請奉行まで昇格したものの、戦においては足軽頭のままだ。馬廻衆の認知度も広まりつつあるが、まだまだ秀吉は軽んじられている。しかも普請奉行の木下秀吉と、足軽頭の藤吉郎秀吉は別人だと思われていたようだ。
ねねとは結婚の約束をしたものの、ねねの実家からは大反対されていた。
そこで俺の出番というわけだ。
「まさか皆で一斉に婚儀を挙げるとは、……殿も思いきったことを考えなさる」
「全くだよ。そのせいで、私も覚悟を決めねばならなくなった」
「なあに? わたくしの婿になるのが不満だとでもいうのかしら」
「いえいえ、大変光栄だと思っていますよ」
「伊予も、五郎左さまの妻になれてうれしいです!」
「そ、そうか」
お艶の真似をして、信広の娘が長秀にアピールしている。
色々足りないせいで、とても残念なことになっているのはご愛敬だ。今年で12歳の伊予は、おまつの二つ年下になる。そのおまつは、偶然見つけた貞勝の娘と話し込んでいた。そして利家はといえば、何やら利太と言い合っている。放っておこう。
「ふああ、すごく賑やかですねえ」
「吉乃、もう起きても大丈夫なのか?」
「平気です。ご心配をおかけして、ごめんなさい」
「あたしがついているから大丈夫よ、上総介様」
まだ顔色の悪い吉乃を支えるように奈江が立つ。
春先に体調を崩していたのだが、城の賑やかさに寝ていられなくなったのだろう。
帰蝶はと探せば、奇妙丸と共に歩いてくるのが見えた。合同結婚式をやると聞いて、なんだか複雑そうにしていた彼女も今は穏やかな微笑みを浮かべている。大広間もこれだけの騒ぎになっているのだから、城の外はもっと騒がしいはずだ。
「どれくらいの人が集まっているのかしら」
「さあな。ここのが終わったら、領民の番だ。お濃はどうする?」
「言ったでしょう、あなたと共に行くと。よく知らないけれど、わたくしたちは良縁の象徴だと思われているようだから」
「ほっほう、ラブラブ夫婦ってやつだな!」
「らぶらぶふーふ?」
「よしよし。奇妙丸も元服したら、父がお嫁さんを探してやるぞ。楽しみにしてろよ」
「うんっ」
「元服してすぐは、さすがに早すぎるでしょう」
「そうか?」
帰蝶の反論に首を傾げつつ、裳着を終えたばかりの少女たちを見やる。
子を授かるのは天運任せだとしても、早いうちに伴侶を得るのはいいことだと思う。少なくとも俺は三人の嫁をもらって、後悔したことは一度もない。ああ、弟たちの縁談もそろそろ考えないとな。だが、お市は駄目だ。どこにもやらん。
「あなた」
帰蝶が頬をつんっと突く。
それだけで俺の顔はでれんと崩れた。
「さあ! 皆の者、宴の始まりだ。各々、席につけ」
パンパンと手を鳴らして、皆を誘導する。
合同結婚式なので、関係者各位がぞろぞろ集まってきて大変なことになっていた。主催側であり、尾張守護職織田家当主となった俺は上座に、婚儀の主役たちがこれに続き、家老や親族はいつもより下座に並ぶ。揃いの羽織が見栄えよく、新年の宴よりも豪勢である。
乳母たちが赤ん坊を連れてきたのを見計らい、軽く息を吸い込んだ。
「今日の佳き日、この素晴らしい縁に感謝しよう。……俺は信長。尾張守護職織田上総介信長である――」
願わくは。
乞い願わくは、彼らの幸せな笑顔が長く続かんことを。
永禄2年に婚儀を挙げたと分かっているのは利家とまつだけで、他の夫婦は時期を早めています。恒興の正室は信長の弟の妻(未亡人)ですが、本作には弟の信時が存在しないので「荒尾」という女性にしました。
貞勝の娘は大河ドラマで「はる」という名前だったそうなので、そちらを採用しています。信広の娘は、ノブナガが「いよかんたべたいなあ」の呟きで伊予になりました。
利家と利太が喧嘩している理由はご想像にお任せします。
感想欄でおつやの方の結婚についてありましたが、本作ではこのようになりました。織田一族は情熱的(?)なのであります。