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ノブナガ奇伝  作者: 天野眞亜
上洛偏(弘治3年~)
124/284

102. 新しい命

年号は永禄に変わりました

 岩倉織田氏を潰したことで、俺は実質的な尾張国の統治者となった。

「武衛様は大人しくしているようだな」

「はい、信賢を追放したのが効いたようです」

「そうしてくれ。しばらく外に出たくない」

「殿らしくもない」

 そう言って、からから笑う信盛をじろっと睨む。

 東春日井の水路整備について呼びつけたのは俺だが、からかわれて喜ぶ性格でもない。信盛もそれが分かっていて、からかうのを止めないのだ。機嫌がいいのはこいつだけでなく、織田家全体が浮かれた空気になっていた。

「楽しみですなあ」

「お前の子供じゃないけどな。娘が生まれても、お前にはやらん」

「早くも子煩悩を発揮して……いや、殿は奇妙丸様が生まれてから子煩悩でありましたな」

「やかましいわ、半介」

 俺がイライラしているのは、吉乃が産気付いたからだった。

 どうにも悪い想像ばかり浮かんできて落ち着かない。どこぞのスーパードクターは見つからないし、相変わらず楠家は沈黙を守った――長利の落ち込みようは激しかった――ままだし、帰蝶のように危篤状態に陥ったらどうしよう、と後ろ向き思考が止まらない。

 男かなー、女かなー、と浮かれていられたのは臨月になる前まで。

 兄が心配だと激しく動揺していたのも、妊娠による精神不安定が原因だろう。こういう時にバシッと言ってもらいたい奈江も何故か腹が大きくなっていて、帰蝶がまとめて面倒を見ている。

 おちよは「御方様のおかげ様」と何度も繰り返していた。

 そう、女の一大事に男は役立たずなのだ。

「ちちうえ」

「奇妙丸、お前も心配だよなあ。腹違いの弟か妹になるが、ちゃんと可愛がるんだぞ。身分が違うとか言って虐めたら、父が許さんからな」

「うんっ」

「よしよし」

 頭がもげそうな勢いで頷くのを、顎を抑えてフォローする。

 生まれたばかりの頃はふにゃふにゃで、ハイハイができても軟体動物にしか見えなかった奇妙丸はお行儀よく座っている。人形遊びが好きなお市は、何故か奇妙丸を触りたがらない。悪戯をされると怒っていたが、奇妙丸はお市が大好きである。

 一方的な思いはいつか通じ合える時が来る、かもしれない。

「おっと、言い忘れておりました」

「まだいたのか、半介」

「出て行けと言われても残りまする。道悦様の件、片がつきましたぞ」

 俺の眉間にぐぐっと皺が寄り、奇妙丸が「だめ」と言って叩き始めた。

 子供の力はそんなに強くない分、遠慮なくやられると痛い。あ、普通に痛い。脇を持って抱き上げれば、遊んでくれるのかと期待されて非常に困った。ぽいと放り投げれば信盛がキャッチする。

 俺が手を出すと、今度は信盛が腕を振った。空飛ぶ息子。

「あー? きゃははっ」

「ん、ちょっと重くなったか? よく動く分だけよく食べるらしいから、成長も早いな。んで、信行がどうした。噂の件なら、一益に頼んでいたはずだぞ」

「耕地開拓のついでに噂を集めたところ、主犯とおぼしき者たちを特定。こちらの一存で始末した由、殿に申し伝えるようにと頼まれてござる」

「そうか」

 一益が不要と断じたのなら、俺は何も言わない。

 それよりも信盛が伝令役を引き受けたのが意外だった。いつもなら一益自身が報告しに来るのに、ここしばらくは顔を見ていない気がする。利家は完全に小姓の立場から独立したついでに、荒子城へ蹴り飛ばした。こそこそ会いに行くくらいなら、堂々と行けばいいのだ。

 成政は鎌倉街道まで下見に行っているし、秀吉は相変わらず清掃業に勤しんでいる。

 恒興や貞勝らも通常業務で忙しそうだ。

 戦が終わればこんなもの。そのうちに折を見て、会社形式の組織分けについて話そうと思っている。尾張国の下四郡を統治していた頃から随分変わった。この先のことを考えるなら、隅々まで俺の意志が行き渡るようにしなければ国を守れない。

「殿、また考え事ですかな」

「悪い、何か言ってたか」

「名実ともに尾張国の主を名乗ってもよろしいのでは、と申し上げたのでござる」

「…………」

「武衛様は、もう今川への盾になりますまい。明確に敵意を示していないとはいえ、あの方は存在しているだけで争いの火種でござる。それとも大和守何某のように、傀儡として飾っておきますか」

 相変わらず嫌な言い方をする男だ。

「お前の言いたいことは分かる。今の尾張国には守護代・守護職もまともに機能していない。空席になっているも同然だ。武衛様は、義銀様は俺のことを疎ましく思っているらしいしな」

「いつぞやの会見で、今川治部大輔に愚痴を漏らしたとか」

「……雑談の範疇だろ」

「火のない所に煙は立たぬものでござる。服部党の動きが沈静化し、美濃国の義龍殿も沈黙を保ったまま。将軍に謁見を申し込むのは、今しかありますまい」

「へ、あ?」

 変な声が出た。

 正面からのジャブを警戒していたら、真横からストレートを受けた気分だ。

 この時代で将軍といったら大軍勢を指揮する最高権力者である。そして信盛が勧めんとしているのは時の征夷大将軍・足利義輝公の謁見だった。幕府の一番偉い人に、俺が尾張国の統治者であることを認めさせろと言っているのだ。

 尾張守護職の地位を得れば、今川義元と同格になれる。

 急に手が震えてきた。

「お、おま、おま何言って」

「上洛でござる」

 なおも言うか、この野郎。

 ぶわっと全身から汗が噴き出した。チキンハートをなめんな。肉体は織田信長だが、中身は未だに前世の影響が強いヘタレ野郎なのだ。情けなくたって、格好悪くたって、怖いものは怖い。だって相手は剣豪将軍だぞ。暗殺されそうになって畳に無数の刀を顕現させるチート野郎だぞ。

 信長が上洛して謁見したのは、義昭の方じゃないのか。

 まだ代替わりする気配もないから、まだ先だなあって安心していたのに迂闊だった。尾張国の主権を宣言するのに、幕府の力を借りるなんていう発想はなかった。

 かつての威光がほとんどなくなっても、幕府は幕府である。

「な、なあ、半介」

「はい」

「どうしても会わないとダメ?」

「ダメでござる」

 即答された。にこりともせず、真顔で返された。

 だって剣豪将軍だぞ。非礼を働いたら、斬られるかもしれん。

「嫌じゃあああぁ!!」

「おぎゃあああぁ!」

 俺が渾身の叫びを上げた時、甲高い声が響き渡った。

 どこからと考える間もない。奇妙丸と信盛を置いて、部屋を飛び出す。生まれたばかりの赤ん坊は己の存在を世界に知らしめるかのように、何度も叫ぶ。ここにいるぞ、と誇らしく。

 出入りの慌ただしい部屋に駆け込んだ。

「吉乃っ」

「あ……かずさの、すけ」

「喋らんでいい。よくやった。頑張ったな、吉乃。偉いぞ」

「は、い」

 真っ白い肌に、ほんのりと朱がさす。

 汗まみれの顔を拭ってやれば、申し訳ないと言いかける。俺は笑って首を振った。ちょっと泣きそうになっているのは仕方ない。子を取り上げたらしい侍女が「若君です」と告げた。ちょっと色素の薄い毛が、ぴょんぴょん跳ねている。

 やはり奇妙な顔だと思う。真っ赤に顔をしかめて、ぎゃあぎゃあ泣いている。

「若君の名はいかがいたしますか?」

「明日決める。吉乃、ゆるりと休め。動けるようになったら、いくらでも抱いてやるからな」

「まあ」

 そうして吉乃が眠ったのを見届けてから、俺は部屋を出た。

 今回は不浄がどうのと言われなかったなあ。怒っても無駄だと分かってくれたら別にいいのだ。疲れた顔の女たちにも労いの言葉をかけて、俺も早めに休むことにした。

「…………はあ」

 床の用意までしたのに、目が冴えて眠れない。

 子が無事に生まれたことは、素直に嬉しいと思っている。俺にとって二人目の息子である。あれだけ元気に泣き叫んでいるなら大丈夫だ。今度はまともな名前を決めてやらねばならない。

 いや、格好良くしすぎて奇妙丸が拗ねてもいかん。

 生母が違うからと兄弟に差をつけるのは、俺の主義に反する。何もかも平等に、といかなくても差別の種になりそうなことは避けたい。それに奈江の子供も、来月には生まれそうだ。あらかじめ二つ考えておくと、悩まなくて済むだろうか。

「眠れないの?」

「お濃」

「奇妙丸が父上に置いていかれた、と泣いていたわ」

「あ、しまった」

 ばつの悪い顔をすると、帰蝶はくすりと笑う。

 彼女は子を産んで、更に美しくなった。ぼうっと見惚れている俺に、ぴったり寄り添ってくるのは甘えたい気分だからだろうか。薄い夜着越しに腹を撫でると、見事にぺったんこだ。体型はちょっとふくよかになったかもしれない。

 多少肉付きが良くなったくらいで、帰蝶のスタイルは崩れないが。

「信行様は、もう戻られないのかしら」

「龍泉寺城を寺に戻して、そのまま住職になるつもりだそうだ。春日井をめぐる旅で、己のやるべきことを見出したと言っていた」

「そう」

「心配するな、お濃」

 俯き加減の頭を引き寄せて、そのまま二人でころんと転がった。

「俺と信行のようにはならんさ」

「……ええ」

「三十郎たちとも上手くやっている。だから、大丈夫だ」

「そう、ね。あなたがそう言うのなら、信じるわ」

 密やかな吐息が、俺の首筋をくすぐる。

 帰蝶が不安になるのも分からなくはない。身内同士で争うのが乱世の倣いだと、人は云う。一歩間違えば、俺は信行を殺していただろう。義龍は直に手を下していないだけで、父と弟を殺している。信賢は身内を信じきることができなかった。

 岩倉殿と呼ばれていた叔母の消息も分からないままだ。

 俺はこれからも必要だから殺す、必要だから生かすという選択肢を迫られる。気が付いたら、そういう取捨選択を自然に行えるようになってきていた。被害を最小限にと言いながら、最小限のうちに含まれる死傷者は「仕方ない」と諦めている。

 それでも、新たに生まれてくる命は尊い。

 どんな命でも、そう思える。

上洛について調べたら、義昭の時ほど情報がなかった……

(『信長公記』に面白い記事があったので、ネタとして引用すると思います)

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