表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ノブナガ奇伝  作者: 天野眞亜
上洛偏(弘治3年~)
123/284

101. 尾張のうつけ

 浮野の戦いは友軍の勝利に終わった。

 俺はあえて深追いを禁じ、逃げていく敵兵の背を見送る。名のある将を何人か討ち取れただけでも、十分な戦果といえるだろう。

「信清殿に信益殿であったな。此度の援軍、大変助かった。感謝する」

「いや、礼には及ばぬ。信長殿以外に尾張国は治められぬと気付いたからこそ、こうしてはせ参じたのでござる。共に信賢を討ち果たしましょうぞ」

 ご機嫌の信清が背をばしばし叩いてくる。

 信成、憐れみの目で見るくらいなら話に参加しろよ。

 まだ岩倉城攻略が残っているというのに、勝ったつもりでいるらしい。隣で申し訳なさそうにしている信益の方が、まともな神経をしていそうだ。浮野から軍勢を引き上げるどころか、これから北上しなければならない。

 兵糧のことが心配だな。

 俺たちは最初から追撃と籠城戦を含めた計画で進めているが、信清たちはそこまで考えているかどうか分からない。かといって、露骨な問いかけは機嫌を損ねてしまうだろう。ちょうど長康がこちらに歩いてきたので、信清の接待を任せる。

「やれやれ、仕方ないですねえ」

 貸し一つですよ、の台詞は聞かなかったことにした。

 岩倉城を攻めるのに忘れちゃならないのが生駒屋敷である。密かに紛れ込ませた兵が守っているとはいえ、血迷った誰かに放火されたらたまらない。ろくな消火システムもない時代に、木造建築と火事の相性は悪すぎる。いや、良すぎるのか。

 あっという間に燃えてお終いだ。

 だからこそ焼き討ちも立派な戦略になる。

 諸葛孔明みたいに東の風を吹かせて、敵だけを火あぶりにできたらカッコイイのになあ。なんて願いつつ空を見上げれば、嘲笑うような曇天模様である。こりゃダメだ。

 鉄砲は水に弱い。

 早めに天幕を作る指示をして、遠くに見える岩倉城を睨んだ。

「平城は攻めやすいって誰が言ったんだ。俺か」

「相変わらず独り言だらけじゃのう、信長様は」

「愚痴以外の台詞を聞くのも久しぶりだな、猿よ」

「あー、それは言わんといてください」

 猫背で頭の後ろを掻く様子は、まさしく猿である。

 出会った頃から名も変え、見た目も変わった。髭が似合う年頃になったのに、まだ嫁が見つからないらしい。そういえば、おまつは利家に懐いているようだった。この戦が終われば、正式に縁談を組んでやろう。

 利太には悪いが、また俺の側室に勧められても困る。

 前田家としては本家筋でも俺との繋がりを持ちたい考えなのだろう。林盛重は同姓というだけで野に下ってしまったし、林兄弟に仕えていた者たちは生き残るのに必死だ。

「ん?」

「何か気になることでも」

「猿、あの山の名を言ってみろ」

「あの山? あの……ああ、小牧山ですな。あそこに本陣を移せば、ここら一帯丸見えになりますのう。さすが信長様、目の付け所が違う」

「おべっかはいらん」

「いやいや、信長様に世辞なんて」

 秀吉がまだ喋っているが、俺は小牧山がなんだか気になっていた。

 平城だから攻めやすい。籠城されると面倒くさい。それなら、山城ではどうだろうか。清州城よりも北に位置する小牧山は、美濃国攻略の拠点にできるかもしれない。

「って、何を考えてるんだ俺は」

 まだ尾張統一も真の意味で果たしていない。

 史実の織田信長は尾張一国どころか、天下統一の手前まで届いていた。俺もこのままいけば、義龍と再び戦うことになる。それは遠くない未来の話だ。吉乃を悲しませまいと生駒屋敷を守っているのに、帰蝶の悲しみは取り除いてやれないかもしれない。

 彼女も乱世に生きる女だ。

 ある程度は覚悟しているだろう。父を亡くし、弟を亡くし、それでも俺と生きる道を選んでくれた。嫉妬するくらい愛してくれる女に、俺は何を返してやれるのだ。

「あー」

 がしがしと頭を掻いた。

 今は岩倉城に集中しなければ。小牧山から城郭へと視線を移す。おもむろに地図を取り出せば、わらわらと集まってきたので机を持ってこさせて皆で話し合うことにした。

「なるべく被害は最小限に抑えたい。何か策はあるか?」

 案の定、信賢は城に籠って出てこない。

 籠城戦は長くかかるものだが、宗吉はもって数か月とみていた。それでも新年を迎えてしまうので、俺はとっても機嫌が悪い。年末年始を城攻めで過ごすとか何の冗談だ。

 岩倉城下に攻め上って膠着状態に陥り、もう半月が経過した。

「やはり周辺の城や砦を落とすべきでしょう。孤立無援と分かれば、降伏もやむなしと思うやもしれませぬ」

「うむ、五郎左の言う通りだ。ああ、城から逃げ出す奴を追い討つ必要はないぞ。狙うは信賢ただ一人のみ。うつけ相手に、どのような策を弄してくるか見せてもらおうじゃないか」

 どっと笑い声が上がる。

 信清ばかりを責められない。籠城戦は攻める側にも余裕が必要なのだ。気を緩めてしまうのは問題外だが、どっしりと腰を据えて待ち構えてこその大将だ。ニヤニヤ笑いを顔に貼りつけながら、頭の中では一豊のことを案じていた。

 浮野の戦いでは本陣詰めを命じていた勝吉も、今回は宗吉に続いて出陣している。

 尾張黒田城に山内盛豊の姿ありと報告が来たからだ。

 新しい主君の傍でなく、城持ちの将はそれぞれの持ち場へ戻っていった。岩倉城を包囲した我が軍を挟み撃ちするつもりだろうが、俺は逃げた敵を「追うな」と命じただけだ。

 殺すなとは言っていない。

「重正、一益。……手筈通り頼む」

 呼ばれて出てきた二人が頷き、また足早に去っていく。

 俺たちは岩倉城だけを睨んでいればいい。鼠も通さない厳戒態勢は長く続かないはずだ。その間に周囲を片付ける。人間、追い詰められれば脆いものだ。助けがあるという希望に縋り、希望が絶望に変わる恐怖にいつまでも囚われる。

 それから一月、ぽつぽつと落城の知らせが舞い込んできた。

 肝心の岩倉城は沈黙を守ったままだが、信賢は家臣たちが次々と破れていったのを知らない。夜襲を受けた黒田城では山内盛豊と嫡男の十郎が討ち死した。次男、そして三男の一豊は行方不明だ。生きていれば会うこともあるだろう、と俺は感傷を奥へ追いやった。

 新年を迎えたので、俺は清州城へ戻る。

 膠着状態の戦場にいつまでも残っていても仕方ないからだが、いつもなら賑やかに執り行われる宴も今一つ盛り上がりに欠けた。特に吉乃は泣きはらした目が兎みたいになっていて、奈江に慰められている。帰蝶は黙々と酒を注ぎ、俺はただただ盃を干す。

 ようやく歯が生えてきた奇妙丸が、くぷくぷと寝息を立てていた。

 腹いっぱい食べて満足したらしい。父がいないと泣いて暴れていたのも嘘のように、満面の笑顔である。ふっくらした頬をつつけば、むずがって転がる様も可愛らしい。帰蝶に似たのか、織田の血が隔世遺伝したのか、将来は美形に育つだろう。

 お市や弟たちに感じたのと同じ思いを、我が息子にも抱く。

 そろそろ二人目、三人目が生まれてもおかしくない。そんな声が聞こえて、俺は小さく笑った。確かに日々搾り取られている身としては、次の子を期待する気持ちもなくはない。織田弾正忠家の者として生まれれば、少なくとも飢えて死ぬ運命だけは避けられる。

 城下に増えた寺子屋も、今日ばかりは休みだ。

 ちなみに俺は清州へ戻った途端、貞勝に捕まった。思わぬ長丁場にキレた男の目はギラついていて、かなり怖かったので大人しく大量の書類を片付けているうちに年が明けたわけだが。

 籠城戦になれば、そう簡単に状況は動かない。

 大将はとっとと帰ってくるべきだと叱られて、そういうものなのかと驚いた。士気向上のため、いつでも本陣に控えていた方がいいのだと思っていたが違ったらしい。

 どこか緊張をはらんだ広場に、バタバタと足音が鳴る。

「信長様っ」

「おう、犬。お前も戻っていたのか」

「そりゃあ信長様が戻ってるんなら……じゃなくて、信賢が降伏の使者を出してきたんすよ!」

 ざわっと場が揺れた。

「あなた」

「行ってくる。ハンニャ、具足を持て! 勝介、又六郎は供をせよ」

「ははっ」

 徹底抗戦を選ばなかったのは褒めてやろう。

 一応の礼儀として晴れ着を纏っていたせいで、着替える時間が惜しい。待ちきれなくなって歩き出した俺に、小姓が数人がかりで具足を纏わせていく。降伏の使者を出したということは、戦う気力が失せたということだ。

 しかし通例として、交渉の場は設けなければならない。

 降伏します、そうですかでは終わらないのだ。勝介たちを連れて行くのは、そういった外交的な役割を押し付けるためだった。俺は信賢の顔を知らないし、命乞い以外は聞く気もない。

 岩倉織田氏のために、多くの命が失われた。その事実は消えない。

 そんなことを考えていたからだろうか。

 俺の顔はまたしても、鬼か化け物のようになっていらしい。顔面蒼白の使者殿――後から聞くところによると信賢本人だった――はたちまち震え上がった。手を擦り合わせながら、涙声で訴え始める。

「申し訳ありません。申し訳ありません。ど、どうか命だけは……」

「とっとと失せろ。以上!!」

「の、信長様っ」

 這いつくばった男を一瞥し、俺は椅子を蹴飛ばして帰る。

 武士の誇り、どこいった。あんな風に恥も外聞もなく詫びるくらいなら、そもそも戦などやらなければよかったのだ。父と弟を追い出すくらいだから、それなりに気概のある奴かと思っていたら全然違った。見込み違いも甚だしい。

 あんなのを山内家は主君と仰いでいたのか。

 いや、あんなのだから一豊は見限ったのだろう。ニコニコ笑顔の裏には、深い失望が隠れていたのかもしれない。勝吉は行方知れずの友を探しに行ったという。互いに対等であり続ける関係は、俺にとって得難いものだ。

 普通に羨ましいと思う。

 兄貴分だ、舎弟だといっても側近たちは臣下の礼儀を崩さない。

 最初に「尾張のうつけ」と呼んでくれた舅殿は死に、信光叔父貴や平手の爺も先に逝った。親父殿や秀貞のように分かりづらい形で後を託していく先人たち。

 友が欲しい。

 声に出さず、俺は呟いた。身分や血筋に関係なく、俺を俺として見てくれる存在が欲しい。頼もしい仲間たちに囲まれて、かなり贅沢な願いだというのも分かっている。

 それでも俺は、ダチがいい。

 笑いながら「うつけだからなあ、お前は」なんて肩を叩いてくれるような奴がいい。

信純も悪友みたいなものなんですが、もっとこう……違うんだよ!そうじゃなくてっ、というもどかしさが伝わるといいなって思います。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ