100. 浮野の戦い
とうとう百話です!
皆様のおかげでここまで来てしまいました。どうぞ今後も、よろしくお付き合いくださいませ
時は弘治3年11月、待ちに待った朗報が届いた。
岩倉織田氏の内部で家督争いによるお家騒動が起きたのだ。信安は嫡男の信賢よりも、次男の信家を可愛がっていたらしい。その溺愛ぶりに信安は、信家に家督を継がせる気ではないかという噂が広まった。
危機感を覚えた信賢は父と弟を追放、強引に岩倉織田氏の現当主となる。
追い出された信安たちはそのまま北の美濃国、斎藤義龍に庇護を求めることにしたようだ。かねてより昵懇の間柄であったためか、そのまま受け入れられたと聞く。家臣たちの一部はこの機に義龍が攻めてくることを恐れるも、美濃国に目立った動きはなかった。
幼い頃に遊んでもらった記憶など、今の俺には残っていない。
「伊右衛門め、上手くやったようだな」
人畜無害の笑顔を思い出し、俺は苦笑いを浮かべた。
噂の真偽は大した問題じゃない。本当に信安が俺に対する敵意を抱いていたかは、もう関係なくなった。尾張統一を果たすため、俺に従わないかもしれない可能性を潰す。
それだけだ。
「ったく、家宗もタイミングが悪い」
どうやら信安たちが不穏な動きを始めたきっかけは、疑心暗鬼にあったらしい。
信行の噂を調べていた一益が、思わぬ話を持ってきた。生駒屋敷がまるで城郭のような改築を始めたため、いよいよ俺が岩倉織田氏を潰す気だと勘違いしたのだという。
件の屋敷が岩倉城のすぐ傍、という立地条件を忘れていた俺にも非はある。
だが他の織田家と違い、全く交流がなかったわけじゃない。文でも何でも問い質してくれればよかったのだ。彼らの心の隙に、服部党が毒を流し込んだとも思えるが。
「奴らの始末は後回しだ」
生駒屋敷は信賢軍によって監視されている。
幸いにして清州との取引はしばらく行っていないので、積み荷を狙われることもなかった。だが商人としての生駒家もかなり重要である。うっかり家宗を死なせると、津島翁の心象も悪くなる。もちろん可愛い吉乃を泣かせたくないので、確実に守れる方法でいきたい。
気持ちを定めるために目を閉じて、ゆっくりと開いた。
「皆、揃ったな。軍議を始めよう」
側近たちには大体の話は通してある。
他の家臣たちには何度も足を運ばせるのは可哀想なので、定例評議会の後に招集をかけることになった。岩倉織田氏の動きについては、既に噂として聞いている者も多い。潰すことにしたという俺の宣言にも異論は出なかった。
一早く駆けつけてくれた従兄弟の信成が口火を切る。
「伊勢守信安が城を出たとはいえ、岩倉織田氏には多くの家臣が従っております。激しい戦になるのは間違いないでしょう」
「それは総力戦になれば、の話であろう。形勢不利と見て、寝返る奴も出るかもしれぬ」
「美濃からの援軍も警戒しておくべきでは? 伊勢守が戻ってきた場合、挟み撃ちに遭うぞ」
「家督争いが芝居と申すか。はてさて、そこまでの演技力が奴らにあるかどうか」
しばらく議論を聞いていた俺は顎を撫でた。
岩倉城はその名が示す通り、岩倉織田氏の居城である。堅牢さは言うまでもない。籠城戦になれば、確実に戦が長引いてしまう。ついこの間、清州へ戻ってきたばかりなのに。
「城にこもられても厄介だ。少し引きずり出したいな」
「ならば此処」
太い指が伸びてきて、ビシッと地図の一点を示した。
上条城の工事が終わったという報告のため、清州城へやってきた宗吉である。残るは鎧を纏うだけという準備万端な姿に、側近たちの闘争心が若干煽られている。
「浮野の地か」
「然り」
「いや、少し遠いな。殿の理想は短期決戦ゆえ、兵糧も最低限に抑えたい。荷駄隊の到着が遅れる分だけ動きが鈍るぞ」
「それが狙いである。我らがわざわざ出向いてやったのを、向こうがしめしめと思ってくれたら好都合。某が先陣をきって、一気に食い破ってくれる」
「待て待て! 先陣をきるのはこのオレ、槍の又左って決まってんだ。ですよね、信長様」
慎重な長秀の言もさらりと躱す宗吉は、ただの脳筋馬鹿じゃなかった。
正真正銘の馬鹿犬はさておき、俺たちが睨んでいる大判の地図は広域を表した地形図だ。今まで軍議に用いていた地図とは違い、薄墨で等高線を引いてある。俺のふわっとした説明で実現させる滝川一族もさることながら、側近たちは等高線の意味を飲み込むのも早かった。
これだから脳筋とみせかけて、知能派は嫌いなんだ。俺の見せ場がなくなる。
岩倉城周辺は、それなりの数の砦や屋敷が配置されていた。
まずは包囲してからの長期戦になるのは間違いない。清州城下も焼き討ちに略奪が次々と起きて、それは酷いものだった。後始末をするのは、勝った方の仕事なのだ。
改築中の生駒屋敷にも、うっかり火の粉が飛んだら困る。
他の屋敷や砦はそのまま使った方が、新たに建てるよりもコストパフォーマンスがいい。少しずつ落ち着きを取り戻しつつある春日井地方にも手出しさせたくない。
あの土地は秀貞から託されたものだ。
「申し上げます!」
息を呑んで俺の決断を待つ軍議の最中に、伝令が駆け込んできた。
素早く立ち上がった信治が応じる。
「何事だっ」
「犬山城主信清様、信益様! 信長様にお味方するとの由。今、こちらへ援軍を向かわせているということですっ」
「よし、出陣だ!! 信清たちの軍と合流し、浮野にて陣を敷くっ」
清州城まで来るのを待つ時間が惜しい。
俺の宣言を受け、側近たちがすぐさま動き出した。信長軍の強みは三段鉄砲と三間槍だが、投石衆も連れて行った方がいいだろう。今はできるだけ実戦経験を積ませてやりたい。
「又助、行けるか?!」
「もちろんですっ」
軍議の場から歩きながら呼ばわれば、頼もしい返事が飛んできた。
俺の武勇伝を間近で見たいとさんざん強請られ、ウンザリしていたところだ。弓の名手でなければ、橋介の代わりに清州城待機を命じていただろう。秀吉も、弟の小一郎が出るということではりきっている。織田兄弟枠は信広を筆頭に、信治と長利が来た。気が付いたら従軍しているから、もう驚かなくなった。ちなみに信包と信盛は留守番である。
尾張統一を目前にして、別方向から茶々を入れられてはたまらない。
各地への警戒を怠らずに目の前の敵を潰す。長期戦になるのは確定したも同然なので、非常に頭が痛い。貞勝が蔵を空にしてもいいと言っていたのは、このことを見越していたのだろうか。
「殿、御馬の準備はできております」
具足をつけているところへ、恒興が馬と一緒に現れた。
浮野へ先行する考えを読んでいたからだろう。俺はニヤリと笑って、馬上の人となる。
「孫九郎!」
「はっ、お供仕る!!」
側近たちには悪いが、宗吉にしか話せないことがある。
後を追いかけたくても軍勢を率いてこなければ、戦を始められない。慌てて道具をかき集める者、またかと空を仰ぐ者、はたまた置いていかれたと地団駄を踏む者たちを遠目に見やりつつ、俺は冷たさを増す風に身を晒した。
「雪が降るまでには決着、つけたかったんだがなあ」
「犠牲を厭わぬなら、それも可能である」
「嫌な言い方するなよ、孫九郎。…………あいつらは息災か」
「右門は先月の文を寄越したきりである。左門は小坂の兵に紛れこんでおる」
「おいおい、連れてきたのかよ」
「止めても聞かぬ故」
右門は山内一豊、左門は林勝吉のことである。
信賢が倒されれば、山内家も終わりだ。互いに一からやり直すことになるので、どちらが先に城持ちになれるか競争する。先に城持ちになった方の臣下になる約束だそうだ。若い奴らは切り替えが早すぎて驚かされる。
勝吉は俺のことを恨んでいないのだろうか。
「憎む相手の画餅は求めぬものよ」
「心を読むんじゃねえよ」
「殿の御顔を拝見すれば一目瞭然である」
それはよく言われる。
俺にポーカーフェイスは合わないらしい。上に立つ者としていかがなものかと悩んだ時期もあるが、今は開き直りつつある。こんな俺でも、付き従ってくれる者たちがいる。そいつらを死なせないためにはどうするべきか。
思考に沈む俺を乗せ、馬は浮野を目指して駆ける。
**********
同月24日、浮野の地にて両軍が激突した。
清州からの軍勢は二千、対する信賢軍は三千という戦力差があったものの、ほどなくして信清・信益の援軍が到着したことで一気に信長軍優勢へと傾く。
「弾を惜しむな!」
鉄砲隊長の檄が飛ぶ。
「無理に当てる必要はない。味方の援護だと思え。撃て! 撃てえ!!」
「矢を惜しめ!」
真逆の命令を出すのは弓兵長だ。
「敵を良く見よ。狙う隙間はいくらでもあるぞ。日頃の成果を見せてやるのだ!」
戦場には轟音が鳴り響き、弓矢が雨あられと降り注いだ。
何とか掻い潜って突破を試みても、一糸乱れぬ槍衾に阻まれる。三間槍を持った槍兵たちが一斉に突き出すだけで、面白いように人馬が倒れていくのだ。尤も兵隊長、兵士の誰もが「面白い」などと考えている余裕はない。
ひたすら撃って、射って、突く。
玉込めの間隙を縫って攻め入ろうとすれば、横から石礫の大盤振る舞いだ。怒号と悲鳴が飛び交う戦場を、俺は少し離れた所で見つめていた。
膝をつき、後方に控えているのは勝吉と橋介の二人。
宗吉が本陣に置いていったのだが、橋介は勝吉の顔を知っていた。時々、相手を牽制するように睨みをきかせている。そんな必要はない、と言っても納得しないので放っておいた。
「……これが、信長様の戦」
「見るのは初めてか?」
「はい」
かろうじて返事をしているものの、勝吉の目は戦場に釘付けだ。
初陣から何度か戦を経験しているだろうに、まるで生まれて初めて戦場に出てきたような様子なのが不思議だった。弓矢と槍はもちろん、投擲具だって俺が発明したものじゃない。もともとあった道具を戦に利用しているだけだ。鉄砲が戦に出るようになってから何年も経つ。
「そんな珍しいもんでもないだろ? どこか変なところがあるなら教えてくれ」
秀貞の戦い方を俺は知らない。
林家の血を引く者としての意見を期待したのだが、勝吉は呆然としたまま首を振った。
「何もかもです」
「は?」
咄嗟に橋介が腰に手をやったので慌てて止める。
こんなところで刃傷沙汰とか止めてほしい。宗吉に顔向けできなくなるし、一豊に恨まれると末代まで祟られそうだ。俺たちのやり取りに気付かない勝吉は、顔をくしゃりと歪めた。
「これが画餅であるものか。食えぬ餅などと…………っ、何故」
「おい、でん……左門」
「信長様、私に出陣の許可をお与えください。必ず功を上げ、信長様の兵を率いるだけの器になってみせます!」
「ダメ」
橋介がザマァの顔になったので、ハリセンでぶっ叩く。
「何故ですか。私が謀反人の子だからですか!?」
「勘違いするなよ、うつけ者が。この戦いは前哨戦だ。こんだけ引っ張り出せば、信賢を守る兵も減る。籠城戦は忍耐力が試されるぞ。この程度で煽られてどうする」
「わ、かりました」
「まあ、そうだな。右門のことが気になるなら、斥候の許可を与えてもいいぞ」
勝吉が弾かれたように顔を上げた。
悄然としてみたり、括目してみたり、と忙しい奴である。山内盛豊は忠臣であると聞く。それならば盛豊の息子たちが従軍していてもおかしくない。一豊自身は俺に忠誠を誓うと言ってくれたし、その言葉を今も疑っていない。
主君の仲違いを起こすことができても、家族の意志は変えられなかったのだ。
三つ柏紋の旗印がそれを物語っている。
「いえ、私はここにいます。ここで、見届けます」
「そうか」
俺は用意された椅子に座った。
動かない勝吉を不審そうに見やってから、橋介は定位置へと戻ってくる。いつでも距離感を忘れない忠義の士になって何よりだ。年齢的にも小姓を続けるのは無理があるので、そろそろ別の役目を与えようと思う。
橋介も地道に鍛錬を続けているのは知っていた。
こうして本陣に控えているだけでは功を立てられない。実績がないのに昇格させられないし、長い付き合いだからと役職を与えたら贔屓だと言われてしまう。
「馬廻衆以外にも何か作るか」
小規模の戦にも対応できるように、小さい単位でチームを作る。
漠然とした形式はあるものの、明確化した方が誰にでも分かりやすくていい。戦だけじゃなく、政治面でも各部署にグループ編成を組み込んだらどうだろうか。妙案が浮かんだことで気分が良くなった俺は、いそいそと俺メモ帳に書きつける。
何でも書いているので、もう五冊目だ。
うむ、木炭ペン(極細)の発明が待ち遠しいぞ。
みーてーるーだけー(byノブナガ)
織田信清...通称は十郎左衛門。父・信康は信秀の弟であり、信長と信清は従兄弟。
信康は伊勢守信安の後見人を務めていたが、信清の代で領地問題をめぐって信安と対立。浮野の戦い後は岩倉織田氏の旧領地をめぐって信長と喧嘩し、甲斐国の武田氏を頼ることになる。犬山鉄斎と称す。
織田信益...通称は源三郎。
兄・信清が追放された後、犬山城主となる。広良と改名し、美濃攻略に参戦する。