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ノブナガ奇伝  作者: 天野眞亜
上洛偏(弘治3年~)
121/284

99. 休む暇もない

やっと清州に帰ってまいりました

 思った以上の収穫を得た俺だが、新たな悩みを抱えることになった。

「いや、ある意味……想定内か」

 ぽくぽくと馬を歩かせながら、いつもの考え事である。

 宗吉が貸してくれた馬と小者がついてきたおかげで、俺は清州城への道中はとても快適だった。ギリギリの生活をしているくせに路銀まで渡してきたのは、一豊がいらぬアドバイスをしたせいだろう。鳥獣を狩って晩飯にしていたのは、話した直後から後悔した。

 野郎どもに号泣されても全然嬉しくない。

「お殿様、上総介様ぁっ」

「そうそう、こんな風に美女の熱烈歓迎なら全然オッケー……って、あれは吉乃か」

 城門から走ってくるので、慌てて馬から降りた。

 すごい勢いで突撃してきたところを、なんとか受け止める。腕を広げて待つ暇もない。他の二人は見当たらないし、吉乃だけが外に出ていたようだ。胸に顔をうずめて泣いているので、頭を撫でてやる。

「寂しかったのか?」

「違いまっ……違わない、ですけど。そうじゃなくて!」

 涙に濡れた顔がとても近い。

 口付けたら怒られそうなので、かなり無理して顎を引いた。ほぼ一か月の禁欲生活である。女体に触れる機会はあったものの、そういう状況にならなかった。嫁以外を抱く気にならなかったのだから仕方ない。

 おまつの知り合いだという湯女は、あれからどうしているだろうか。

「お殿様」

「う、うん。何があったのか聞くぞ」

 じろりと睨んでくる吉乃に引きつり笑い。

 女の勘はおそろしいのだ。いつ帰蝶のように、夜半から短刀を握りしめて忍び込んでくるか分からない。不寝番は内外の敵を排除するために配置しているものの、俺が守るべき存在と認めている者に対しては無力だ。

 吉乃たん、ええ匂いやクンカクンカしようものなら公開処刑待ったなし。

 ちょっと尻を撫でるくらいなら、と手を動かしかけたら背後の視線に凍りついた。そういえば、まだ城の外である。城下町から城郭へ入った辺りとは言え、行き交う人々は町人や農民たちが多い。色ボケ殿様なんていう噂が広まったら、戦どころじゃなくなる。

「仕方ねえなあ」

「きゃあっ、何をなさいます!?」

「この方が早い」

 ひょいと肩に担いでダッシュで奪取。じゃなくて逃亡を図る俺。

 後のことは信行が何とかしてくれるだろうと信じている。ただ隣にひっついてたいわけじゃない。俺の代わりに仕事ができるかどうかで、今後の立ち位置が決まるだろう。

 我が弟よ、お前の器量を信じている!

 俺はすったかたーと走って二人分の草履を投げ、城内をずんずん歩いて行って目についた部屋に吉乃を下ろしてやった。喉が渇いたので、小姓に茶を所望するのも忘れない。

 城中が大騒ぎになっているのも、城主がいきなり帰ってきたのだから当然だ。

 先触れしとくの忘れたなあ、なんてぼんやり思う。

「吉乃だけか?」

 息を整えている彼女を見やり、俺は首を傾げた。

「なんで?」

「なんでって…………そのう、毎日お待ちしていたからです。お伝えしたいことがあって」

「緊急事態か」

「はい」

 色ボケしかけていた脳味噌が一気に冴えた。

 茶を持ってきたのは橋介だったので、側近たちに報せを飛ばす。仕事を放り出して来いとは言えないが、できるだけ急がせるように言い添えた。俺が持ち帰った情報と関連することならば、明日にでも会議を開かねばならない。

「お兄様と連絡が取れないんです。お兄様に何かあったのではと思ったら――」

 居ても立っても居られなくなって城門で待っていた、と。

 吉乃みたいな可愛い女が立ってたら、噂にならないはずがない。変な輩に絡まれなかったか問えば、門番が守ってくれたから大丈夫だと返ってきた。全然大丈夫じゃねえだろう! しかし門番グッジョブである。ちょっと禄高を上げてやろう。

 ふと思い出したが、生駒屋敷は改築の話が出ているのだ。

 吉乃が側室になってから収入も増えたので、色々増築したいという家宗の申し出があった。屋敷の改築程度ならわざわざ許可をもらわなくても好きにやってよろしい。そんな風に返した覚えがある。うっかり失念していたが、南へそう遠くない距離に岩倉城がある。

 岩倉織田氏の現当主・織田信安の居城だ。

 俺の側室の実家が改築しているからといって、妙な勘違いをしなければいいが。

「家宗は無事だ。側室の実家に手を出したとなれば、俺が黙っていないことくらい馬鹿でも分かる。だから大丈夫だ。心配するな、吉乃」

「でも」

「何か気になることでもあるのか?」

「お兄様と連絡が取れなくなる前から、なんだか様子がおかしかったんです。文や荷物を送ってくるなとか、用があっても絶対に来るなとか」

「なんで言わなかった」

「ご、ごめんなさいっ」

「吉乃を責めてるんじゃない。生駒屋敷の所在を知りながら、特に手を打たなかった俺にも非がある。……吉乃、お濃と一緒にいろ。奈江が外に出ているようなら呼び戻せ」

「は、はい」

 青ざめた顔のまま何度も頷き、吉乃が出ていく。

 入れ替わりに部屋へ入ってきたのは一益と恒興だった。

「無事の帰還、重畳」

「お帰りなさいませ、殿」

「うむ。早速だが、戦支度をしなければならないようだ。相手は岩倉織田氏の織田信安、叔母上の夫だからと安心しているわけにはいかなくなった」

「少し前までは味方をしないが、敵対もしないという態度でしたが」

「美濃行の使者、始末済み」

「ご苦労。どういうわけか、向こうには信行が死んだと伝わっている。原因を突き止めてくれ。開戦まで間に合わせる必要はない。実際はどうあれ、俺に刃向かう意思を見せただけで十分だ」

「先手を打たれるのですか?」

 恒興は意外そうだったが、一豊の情報を信じるなら早い方がいい。

 それに吉乃の兄である家宗の安否も心配だ。どんなに急いでも、明日出陣するなんて言う芸当はできない。戦支度が整うまでの時間にできる限りのことをしておきたかった。

 ふと思いついて、文をしたためる。

「一益、上条城の宗吉へ届けよ。最優先でな」

「御意」

 一豊には早速動いてもらうことになりそうだ。

 上条城の改築工事が終わる期限を11月とすれば、本格的に雪が降り始める前には決着をつけられるだろう。なるべくなら、大切な農地を戦場にしたくはない。

 だが収穫の終わった後で、春に向けて大改革をする予定地なら大丈夫だ。

 俺は懐から地図を取り出す。

「こ、これは一体」

「お前も奇怪な絵に見えるのか?」

「いえ、そうではありません。こんなに詳細な地図はどこで手に入れられたのですか」

「俺が描いた」

「はああ!?」

「いくらなんでも驚きすぎだろ。縮尺を変えて、複数枚に分けただけだぞ。後は俺が書きこんだから実際にはないものばかりだ。昔と違って、今回は十以上の村が対象になる。何年かかるか分からない大工事だ」

「それで今、織田伊勢守を討とうというのですか」

「今しかない」

 岩倉織田氏には服部党の影もあるという。

 今川家が大人しくしているのは、現尾張守護職である武衛様が健在だからだ。庶流の弾正忠家はともかく、幕府から認定を受けている斯波氏には礼儀を取るらしい。その斯波氏が岩倉織田氏と手を組むとなったら、俺の立場が危うくなる。

 義龍も俺のことが嫌いだろうから、三方から攻めれば潰せるだろう。

 しかし、問題はその後だ。戦に勝ったら報奨を与えなければならない。同盟を組むにも利益がなければ成立しないのだから、実績も後ろ盾もない斯波氏と岩倉織田氏の末路は見えていた。弾正忠家だから、過去に何度も今川軍をやり合った家柄だから何とかなっている。

「信安がデキる奴なら、とっくの前に俺は死んでる」

「縁起でもないことを言わないでください」

「タラレバの話にいちいち目くじら立てるなよ、恒興。そんなことよりも清州城下の整備はどうなっている? 秀吉の愚痴しか聞かされていないんだが」

「人員不足は否めませんね。猿は猿なりに努力しているとはいえ、今までのようにはいきません。郊外では城主が変わったことを知らず、織田大和守の処罰を疑っている豪農もいます」

「やだねえ、時代の波に乗れない保守派は」

 保守的思考が悪いとは言わない。

 前へ進む勢いが必要な時もあれば、ひたすら耐えて今あるものを守ろうとする考えも大事だ。しかし変わってしまったものを認められないと、どこかで歪みを生む。

 尾張国が一つにまとまってこそ、諸外国と戦えるようになるのだ。

「おや、我が君。ここにおられましたか」

「げ、吉兵衛」

「予定通りのご帰還、お喜び申し上げます。ちょうど収穫の時期でございますので、今年も殿の助力なくして年を越すことは叶いますまい。是非とも」

「待て、貞勝。今、とても重要な話をしているのだ」

 恒興が不機嫌そうに割って入ると、貞勝は狐目を細めて笑った。

「殿自らが出向くのであれば、数日で終わりましょう。既に必要な物資の計上は終わっております。いっそのこと、蔵を空にしていっても問題ありません」

「ほう、今年は期待できそうか」

「ようやく実を結んだ、といったところでしょうか。それゆえ、通年通りの取り立てでは足りないのではという意見も出ております。いかがいたしましょう?」

「備蓄米は必要だろう。来年は西春日井にも配ってやらねば、飢える民が増える」

「……そんなに酷いのですね」

 恒興が沈痛な面持ちで俯く。

 那古野村の惨状はトラウマとして残っていてもおかしくない。あの頃は俺たちも若かったし、とにかく行き当たりばったりで思いつく限りのことをやっていた。無駄遣いが多すぎると怒ってくれた貞勝の髪は、ほんのちょっぴり白いものが混じり始めていた。

 苦労させている自覚はある。ブラック企業並の過重労働だ。

 この先も楽になるとは言い切れない。俺が楽をしたいからだと偉そうに言っても、それがどれくらい先のことかは想像もつかなかった。

「同族の誼で、手を組むくらいのことは考えられねえのかよ」

「格下に頭を下げたくはないのでしょうね」

「昔のことであろう!」

 今は違う。

 鼻息の荒い乳兄弟をどうどうと宥めて落ち着かせ、俺は思考する。宗吉に託した策が成功すれば、岩倉織田氏は内部から崩壊するだろう。かつて俺を嵌めようとした罠を、逆に利用してやるのだ。策が成らなくても、武衛様が大人しくしていてくれればいい。

 服部党も岩倉織田氏も所詮は小勢。

 野心を抱いていても、身分の高い者に縋るしか能がない。この時代を生き残るために必死だということは、俺だって分かっている。生き残るために戦うしか考えられないのが、馬鹿だと言いたい。

 俺は大うつけだが、奴らは馬鹿だ。俺は馬鹿に負けたくない。

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