97. 修験者VS大うつけ
さて門番にどう話をつけてやろうか考えていたら、城門とおぼしき場所に何かいる。
上条城はもともとあった城を強化するための改修工事中だ。城としての機能は残しておくのが常道であるが、立派な門番もいたものだと感心した。鎧を纏えば、かなり見栄えがするであろう見事な体躯は俺の理想形でもある。
「何用であるか」
「織田上総介信長だ。上条城主、孫九郎宗吉に会わせてもらいたい」
大男はふん、と鼻を鳴らした。
丸太のような腕を組み直して、俺の顔をじろじろと眺める。側近たちは揃って背が高くて、逞しい身体の持ち主ばかりだ。ムキムキマンは見慣れている。
今はさすがに、羨ましいとも思わなくなった。
一通り観察した大男は姿勢を戻す。髭に隠れた分厚い唇は、うっすらと弧を描いていた。
「那古野のうつけ殿は清州城へ移られた、と聞いている」
「お忍び旅でな」
「そこな御坊が付き人であるか?」
俺が小突いてやると、渋々といった様子で名乗った。
「……道悦です」
「寺はいずこに」
「龍泉寺だ」
「ほほう。それはそれは」
ニヤニヤと笑い始めた男は、また腕を組み直す。
道悦と名乗った坊主の素性がだいたい分かったのだろう。龍泉寺という寺は存在しないが、同じ場所に龍泉寺城がある。いずれ戦うことになるであろう俺への備えとして、信行が建てたことになっている。叔父の信次が籠っている守山城から見て、北東に位置する平城だ。
寺へ戻すにしても、また金と労力がかかる。
信次のことも考えると、残しておいた方がいいかもしれない。というのは横に置いておく。
「そこのムキムキマン」
「誰のことだ」
「貴様のことだ、ムキムキマン。怪力入道と呼ぶには、貴様の実力を知らんからな。そんなことよりも、城主に用があると言っただろう。取り次ぐのか、取り次がないのか? それとも訪ねてきた客と話し込むのが、上条の礼儀か」
「取り次ぐも何も、某こそが小坂孫九郎である。いつ気付くか待っていたが、清州の殿様は芝居を好まれると聞いて付き合ってやったまでよ」
「どこ情報だ、それは」
「娘の格好をしたり、小者の格好をしたりして、あちこち探りを入れるのがうつけ流とも聞いたな」
思わず信行を振り向いたが、ぶんぶんと首を振って否定された。
利昌の老獪な笑みが浮かんだものの、あの男がそこまで知っているだろうか。津島のことはともかく、小者のふりをしたのは随分前のことである。美濃から南近江まで足を延ばした新婚旅行があって、念願の嫡男は誕生した。爺に奇妙丸を抱かせてやれなかったことが悔やまれる。
ならば、と頭の中を切り替えた。
「改築の進み具合はどうだ?」
「急がせよと仰せならば、そのようにいたす」
「修験者のくせに、いやらしい言い回しをするなよ。冬までに終わらなかったら、工事を中断しろ。前線基地にするつもりはないが、砦として使えればいい」
「やはり戦を仕掛けられるおつもりであるか」
「間違えるなよ。攻めてくるのは向こうだ」
「しかしながら岩倉織田氏もまた、織田の系統。身内で争うは不毛、と断じた言葉に反する行いは如何なものであろうな」
「……あん?」
「む?」
俺たちは顔を見合わせた。
戦が起きるかもしれないという点は合っている。その相手として見ている方向が全く違っていた。動き出すとしたら服部党にそそのかされた武衛様だと思っていたのに、岩倉の方だとは聞いていない。すぐさま問い質したいが、俺はお忍び旅の途中である。
いつものくせで気配を探しても、頼もしい側近たちは見つからない。
「差し出がましいようですが……一度、腰を据えて話した方がよいのではないでしょうか」
信行の提案に異論は出なかった。
案内された部屋で、どっかりと胡坐をかいた男たち。
小姓も逃げ出す緊迫の空気に、第二ラウンド開始のゴングが鳴る。
「はあ、茶が美味い。いつの季節も熱いお茶は最高だなあ」
「ええ」
しみじみと茶を堪能する俺たちに、宗吉が訝しそうな顔を向けた。
歓迎したい相手ではないだろう相手へ茶の用意をさせるとは、全く律儀なものだ。
まさか荒子城を出てから野宿続きだとは思うまい。宿に泊まりたくても路銀が底を尽きそうだったのだ。馬がいないので、安宿でも構わないと言ったら信行に怒られた。決して治安がいいとは言えない状況では安心して眠れないという。不寝番くらい俺がやるのに、恒興もビックリな説教が飛び出してきたので止めた。
野宿の方がまだマシである。
よく分からんが、お坊ちゃん育ちの信行はサバイバル生活が楽しいらしい。町で必要なものを買い付けて、俺の手料理に舌鼓を打つ。火の番は交代で、寄ってきた獣を追い払うのにも慣れてきた。血抜きだけは、青い顔をして頑張っている。
そういえば、猪の牙はいい値段で売れた。
獣の毛皮も需要があるので、なるべく傷つけないように仕留めるようになった。もう狩猟生活で食っていけるかもしれない。そんなことを考えた道中であった。
「おい、孫九郎」
「なんだ」
「茶菓子がない。饅頭でいいぞ。小さいやつな」
「……そんなものはないのである」
「おかしいですね。先程会った若者は、お八つに饅頭を二つも食べるのだと言っていました。見たところ、日々の暮らしに困っている風でもないようですが?」
「こら、のぶ……じゃなかった、道悦。口を挟んでくるな」
「あ……信長様。ですが、私は」
お役に立ちたいのです、とおまつの声がした。
そういえば、俺は同じ台詞を何度も聞いている。織田信長というカリスマオーラが成せる業だろう。おそろしさにブルッと震えた。そのうち信長教がうまれたらどうしよう。俺が教主になるのか、それで一向宗のボスと戦うハメになるのか。嫌だ、そんな未来。
いかん、どうにも意識が逸れる。
まだ清州城を出てから十日以上、二週間ほどしか経っていないのだ。前田家の内情を少しばかり知ることになったが、未完成の地図を持ち帰るくらいでは無理を押した甲斐がない。それなのに帰りたくて仕方ない。
俺の根性は、痩せた土地に生える雑草ほども強くないらしい。
「ああ、そうだ。孫九郎に探してほしい奴がいる。上条に林――」
「そんな者はおらん!!」
「盛重っていうんだがな? 上条城の前の主だ」
「……その者ならば、野に下った。既に報告したはずである」
「清州は人材不足だから、スカウトしたい。どこにいるか知らんか」
歯ぎしりせんばかりの睨みを真っ向から受け止める。
秀貞の遺児である勝吉を匿っているのは本当らしい。可能性としてありそうだと考えていたが、俺が近くに来ているとしって門番よろしく待ち構えていたのだろう。あわよくば体良く追い払うつもりで。
「盛重に従っていた者はどうなった」
「あらかじめ、某に従うよう命じられていたのである。盛重殿についていった者もいる」
「城主の座を奪うため、無一文で追い出したのではありませんか?」
「そのような破廉恥な真似するか! この孫九郎宗吉を武士の風上にも置けぬ狼藉者と扱われるなら、即刻出ていってもらいたいっ」
宗吉が顔を真っ赤にして怒り、その剣幕に信行が小さく謝罪した。
「お前、少し黙ってろ」
「……申し訳ありません」
「孫九郎、取引しようぜ」
「ふん、何とも厚顔な物言いよ。織田家当主として命令すればよかろう」
「それこそ厚顔無恥の極みじゃねえか。こいつが失礼なことを言った詫びも含まれてる。まあ、聞けよ。返事はそれからでも遅くないだろう?」
「…………」
「盛重以外にも野に下った奴がいるなら、そいつらをスカウトしたい。あー、再仕官させたいのは本当だ。反対する奴らがいたら俺が黙らせる。ここ最近は特に忙しすぎて、俺の側近が過労死しそうな勢いなんだ。手が空いているなら、猫でも借りたい」
「猫か」
おっ、顔が緩んだ。
コワモテの男が猫好きなのはギャップ萌えするらしい。前世でそういう話を聞いたくらいなので実際にどうなのかは知らない。猫に罪はないし、猫好きもそれぞれだ。ムキムキマンが猫を可愛がる妄想をしている間に、宗吉の表情が元通りになった。
「猫どころか、幼い子供を攫っては強引に勉学させているそうだな」
「勉強嫌いな奴は興味を持った仕事の手習いもさせているぞ」
「金の無駄遣いだと思わぬのか。それよりも他にやることがあろう」
「利昌にも似たようなことを言われた。だがなあ、宗吉。俺たちが国のため、家のために頑張っても民の生活は変わらないぞ」
「お優しいことだな」
「いや、俺自身のためだ。美味い飯が食いたければ、それを作る奴らが必要だ。ちゃんとした着物を毎日求めるなら、反物屋と仕立て屋がちゃんと働けるようにしないとダメだ。織物は誰が作っているか知っているか? 武具は鍛冶屋が用意するが、素材はどこから出てくる? 金があれば何でも手に入るなんざ、とんでもない妄想だ」
「ならば、どうしろというのだ」
「まずは農地改革だな。城の改築を命じたのは、傭兵が余っていたからだ。それなのに農民まで連れていった馬鹿がいるらしいな? 責任者は貴様だ。どうするかは任せる」
「……っ、承知した」
「知っての通り、津島は商人と情報の集まる町だ。できるだけ早く、清州との直通ラインを完成させたい。街道整備は担当者がいるから、指示を待て。んで、農地改革の件は正氏も渋っていたからな。どうせ何も導入していないんだろう。見れば分かる」
一旦言葉を止めて様子を見たが、宗吉はもう言い返してこなかった。
その代わり、今までとは打って変わった強い瞳で俺を見据えてくる。立て板に水の如くまくしたてた言葉の全てを納得しているわけじゃないのだろう。握りしめた拳が、膝の上で小刻みに震えている。部屋の外で控えているらしい小姓の緊張も、ここまで伝わってくるくらいだ。
修験者の一族と伝わる小坂の現当主は、言った。
「一つ聞きたい。信長様は何を目指しておられる」
「尾張国を、天下一の国にする。細かく言い始めたらキリがねえから、一言でならそれに尽きるな。……ん? どうした、孫九郎」
「どれほどの時間と金が必要か、分かっておられるのか」
腹の底から響く重低音に、俺は首を傾げた。
「人生五十年、それくらい使えば何とかなるんじゃね?」
「兄上っ」
信行が鋭く叫んで前に出る。
脇差を抜くような何かが起きているとは思えなかったが、弟は真剣だ。そして襖が一気に開いて、抜刀した男たちがわらわらと入ってきた。一体、何事かと俺だけが理解していない。
なんだこれ。
「皆、下がれい!! 何をしておるっ。双方、刃を収めよ。信長様の御前であるぞ!」
宗吉の大喝が空気をびりびりと震わせる。
え、なんだこれ。
宗吉は特に猫好きというわけではありません。
この作品は「勘違い」による暴走をネタにしているので、そういう要素が各所に発生します。ものすごく今更感も甚だしいですが、ご理解いただけますと幸いです