96. 饅頭侍と二つの城
饅頭の人は、そのうち再登場します
地図が完成(俺的には未完成)したので、信行と共に荒子城を立つ。
たとえ不完全でも、春日井地方の地図を前田家が所持していた。そのことに疑問を持つべきだったが、現代感覚に支配されていた俺は気付かなかった。地図の有用性を思い知り、周囲の強大さに改めて恐れを抱いたからでもあった。
「吉田城? 上条城じゃねえのか」
「ああ、上条城はもうちょい東にいったところです。清州の殿様のご命令で、ちゃんとした城にするとかで、へえ。ここらの民も何人か連れていかれましたよ」
「ほう」
親切な門番に説明してもらいながら、地図を書き直す。
やけに詳しいなと思ったら、豪農の出だという。近隣のことなら何でも知っていると言うので、あれやこれやと聞き出した。俺の地図にも興味を示したようで、ここは違うあれは違うと指摘を受ける。
「それからこっちは――」
「ほう、ほうほう」
清州へ持ち帰った後に、一益たちの手で清書してもらおう。
多少ぐちゃぐちゃになっていてもかまうものか。文字が読めればいい。少年時代の涙ぐましい努力は、ここに実を結んだ。我ながら美しい文字に満足していると、横から生温い視線を感じた。
「なんだよ」
「いいえ、何も」
「御坊様も大変ですなあ。こんな変わり者の見張りをせにゃならんとは」
「これも御仏の心を知る修行なのです」
「はあ、そういうもんですか」
信行が数珠を取り出せば、門番もつられたように手を合わせる。
なむなむと唱え始める前に俺は吉田城を後にした。警戒されないために、馬は荒子城へ置いてきたので徒歩だ。平地に作られる平城は立ち寄るのに楽だが、外から攻め込まれやすい。
周囲をぐるりと見回せば、哀れな田畑がその姿を晒していた。
もうすぐ秋だというのにひどいものだ。飢えた民がそこらに転がっていないだけマシなのだろうが、通用路と変わらないカチカチの土に顔をしかめる。わずかに削り取った土も、酷い味だ。
ぺぺっと吐き捨てていると、後ろから声がした。
「なんだ、腹が減ってるのか? そこの御坊様もどうだ、やるよ」
「私たちは」
「美味そうな饅頭だなあ。どれどれ」
兄上っ、と信行が小声で諫めてくる。
さっきの門番じゃない。
色褪せてすり切れた袴に帯刀をした若い武士だ。それもまだ元服して間もない少年である。見るからに貧乏そうな男は小さな饅頭を持ち、にかっと笑う。警戒している方が馬鹿馬鹿しくなる、裏のない笑顔だ。
「おう、美味いぞ。ちょっと小さいが、それがいい」
「一口だな」
「兄上っ」
「ほれ、お前も食え」
白くて柔らかな皮は、愛しい女を思い出させて切なくなる。
信行は僧籍に入ったとはいえ、どこぞの寺へ修行しに行く予定もないようだ。それなら内縁の妻として、良さげな女を見繕ってもいいのではないか。もしも子が生まれれば、俺の養子として迎えて織田姓も名乗らせる。政治と関わらない道を歩むのも一興だろう。
利太やおまつのように、明るく元気に育ってくれたらいい。
饅頭をほおばる俺たちをにこにこと見守る少年を見ていたら、そんな心地になった。
「力がわいてきたぞ。礼を言う、通りすがりの若者よ」
「そうかそうか! 俺のお八つだったんだから、ありがたく思えよ」
「この、小さな饅頭二つが……?」
「そんなおかしなことでもないだろ。焼き味噌以外の飯が食えるだけでも、贅沢っていうもんだぞ。ああ、御坊様にはいらぬ説法だったか。ははは!」
陽気に笑う様に、俺も口元が緩んだ。
何故かしかめっ面の信行に、ぼそぼそと耳打ちする。
「こいつ、欲しいな」
「私は反対です。どこの者とも分からぬ無法者ですよ」
「今、まさしく俺たちも『どこぞの馬の骨』だ」
「そうは言っていません!」
「なんだなんだ、内緒話か? 俺がいると話しづらいなら、もう行くからな。せいぜい行き倒れないように気を付けろよ」
「俺は三郎。お前の名は?」
「伊右衛門だ」
「お茶?」
「ぶはっ。あんた、面白いなあ。悪いが、茶の持ち合わせはない。じゃあな!」
よく笑う奴だ。
軽く手を振り、俺たちが来た方向へ歩いていく。その背に結わえた荷物で、旅装束だったかと今頃気付いた。ぼろぼろの草鞋は穴があきそうで転ぶかもしれないと思ったら、思いっきり頭から突っ込んだ。
ハッとして俺たちを振り返り、照れ笑いで誤魔化しながら走り去っていく。
「やっぱり、あいつ欲しいぞ」
「今すぐ追いかけますか? 素性を明かせば、供としてついていくかもしれませんよ」
「お使い小僧を攫ってどうするんだ。縁があれば、また会うさ」
「兄上の考えは理解できません」
過去に何度も聞いた台詞に、つい苦笑してしまった。
だが、あの頃とは確実に変わったものがある。もちろん、変わらないものだってある。平手の爺も、信行も、前世知識では織田信長が若いうちに死んでいたとされる。爺は救えなかった。
だから信行は死なせない。
この手は二つしかなくて、できることは限られている。織田信長はチート武将だと思っていたが、案外そうでもないかもしれないと思い始めている。中身が俺だから、まあ仕方ない。
続いて上条城にやってきた。
「じょうじょうじょう……」
「兄上、そろそろ立ち直ってください」
「カミジョウだと思っていたんだ」
「はいはい。行きますよ、城主の小坂孫九郎に会うのでしょう?」
「また化け物扱いされるかもしれん」
「雑兵に門前払いを受けるよりいいですよ」
拗ねモードの俺を引きずって、信行がずんずん歩いていく。
なんでこんなにテンション低めなのかといえば、上条城のお膝元である城下町での聞き込みをしたからだ。敵を知るには味方から、という。情報は金なりと偉そうに言っておきながら、家臣任せにしてきたツケを味わうことになった。
「おのれ、坂井大膳め。許さんぞお、ギリギリギリ」
「以前の当主が討ち死にしたのは仕方ないことですよ。久蔵に子はいなかったのでしょうか」
「それだ!」
ぎょっとする信行に構わず、俺は地面に這いつくばった。
運良く見つけた小枝を使って、簡単な家系図を書きだしていく。小坂久蔵は諱を正氏とし、弟に源九郎正吉がいる。上条城の城主になったのは政吉の子、孫九郎宗吉だ。宗吉の生母は小坂正俊の孫、正氏・正吉は正俊の子にあたる。親戚同士の婚姻だった。
坂井大膳との戦いはよく覚えている。
信行の援軍として参陣した勝家の戦ぶりは凄かった。少なからず死傷者を出す戦となったが、その中に小坂兄弟の名があったのだ。兄の正氏は死に、弟の正吉も重傷を負った。
正氏の甥に後を継がせることは、勝介が決めたのだろう。俺は頷いただけだ。
「ぐぬぬ」
頭を掻きむしる。
この上条城、もともとは小坂氏の所有じゃなかった。林盛重が城主の座を明け渡したから、すぐ近くの吉田城の主であった小坂氏が譲り受けたのである。
これもちゃんと覚えている。
認可を求める書状が届いたので、サラサラリと返事を書いた。管理側の迅速な対応は円滑な政治に繋がる。特に春日井のことは気になっていたから、即断でオッケーした。
だって小坂家は修験者の血筋だぞ。カッコイイじゃねえか。
間違っても圧迫政治なんかしないと信じていたが、そうでもなかったらしい。清貧を貴び、那古野流農業技術を取り入れなかった結果、石高が伸びずに停滞している。思えば正氏も、家臣団の中で物言いたげな顔をしていた奴らの一人だったのだろう。
現当主の宗吉が、物分かりのいい人間であることを願わずにいられない。
「そんなことより林家だ。林秀貞に子がいたはずなんだ」
「傳助のことですか?」
「なんで知ってる!?」
「会ったことがあります。元服して勝吉と名乗っているはずです」
「諱が違うぞ。家臣か、親戚かもしれんな」
同族じゃなくても、主君と同じ姓を名乗っている臣下もいる。
改名や偏諱は勝手にできないはずだから、全くの別人という可能性が高い。林兄弟の謀反を受けて、盛重は自ら城主の座を降りたのかもしれない。
「信行、勝吉の顔は覚えているな?」
「はい」
「上条城へ乗り込むぞ。じゃなかった、織田家当主として新城主の器を見極めるぞ」
「どっちでも大して変わらない」
「何か言ったか!?」
「いいえ、何も」
もしかしたら、という気持ちはあった。
稲生の戦いで特に厳命したのは、無駄な死人を出さないことだ。犠牲を少なくしたい考えを甘いと断ずる勝介たちの気持ちは分かる。だが、兵士として駆り出されている男は労働力だ。農業に従事していなくても、女よりも男の方が力仕事に向いている。
それは時代を越えても変わらない。
秀貞、通具の死体は確認した。一族郎党皆殺しにすべきという案は却下したが、ちゃんと言葉通りになったかどうかは見ていない。そんな暇がない、というのは言い訳だ。
大量に殺すのは手間がかかる分、後の憂いが断てる。
「いや、いやいやいや…………待て、落ち着け俺。結論を急ぐな」
かきむしって乱れた髪を撫でつけていたら、額から上がハゲていることを思い出した。
月代だからハゲじゃない。No,禿げじゃな~い。
「お濃に会いたい」
「帰りますか」
「やることやってからな」
そうですね、と微笑んだ信行はとても優しい顔をしていた。
信行(やっぱり兄上は、義姉上のことが好きなんだなあ)
小坂宗吉...吉田城、上条城の城主で小坂家の現当主。
信長の子、信雄の傅役だった縁から偏諱して「雄吉」と名乗る。
小坂正吉...小坂家当主・久蔵正氏の弟。通称は源九郎。