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ノブナガ奇伝  作者: 天野眞亜
上洛偏(弘治3年~)
111/284

90. 女の矜持

お久しぶりです! これまでの流れは年表を参照していただくことにして、登場人物紹介をシリーズに加えました。弘治2年までに登場した人々をざっくり分けて紹介しています。


※今回、それなりに下ネタ含みます

 出立を目前に控えた夜のこと。

 俺は疲れ切った体を引きずり、ほとんど倒れこむように布団へ沈んだ。

「や、やっと終わった……」

 何日ぶりかの安息に、もう離さないぞと柔らかい綿を抱きしめた。天日干しされたであろう独特の香りに、俺はうっとりする。ああ、太陽の匂いって落ち着く。

 旅支度そのものは簡単なものだ。

 路銀と着替え、少々の小道具があれば足りる。荷物は馬に乗せて、人間は背に揺られる楽な道中だ。尾張国内(の一部)を視察するだけだし、厄介事は現地についてからだろう。

 不思議と長秀をはじめとする側近たちも、お忍び旅に反対しなかった。

 利家は特に実家あらこへ帰りたくないようだ。何かやらかしたなら、尚更帰るべきだと思いつつも怪我人には強く言えなかった。それに利家にも任せている仕事がある。療養中の身とはいえ、のんびり寝ていられない。

 で、だ。

 俺は不在中の執務を前倒しで片付けねばならなかった。

 にこりともせずに、貞勝が次から次へと仕事を持ち込んでくる。遊びに行くんじゃないんだぞと何度も訴えたが、ちっとも聞く耳を持たない。コイツやっぱり冷血漢だ、赤い血の流れないサイボーグ野郎だと内心で罵っていたら、ずっしり重い布袋をくれた。

 路銀として十両、それも小銭に分けるという気遣いっぷりである。

 俺は思わず手を合わせて拝んだ。

 村井様、民部丞様、ありがとう! 持ち上げた途端に袋が破れて、中身が飛び散ったせいで余計に疲れたエピソードは綺麗に忘れてくれよなっ。

「それにしても…………明日、か」

 愛しい嫁たちとも、しばしの別れだ。

 城を留守にすると言った途端、表情を変えた側室の二人を思い出す。嫁いで間もなく、単身赴任で夫がいなくなるようなものか。夜が寂しくて、二人で慰め合ったりする妄想に顔が緩む。

 今度、こっそり覗いてみようか。

 あるいは夫として命じてみてもいい。

 慣れない奈江と意外に知識豊富な吉乃の組み合わせは、きっと淫靡で楽しいものになるだろう。一人ニヤニヤしていたら、俺自身も次第に頭をもたげてきてしまった。

 はて、どうしたものか。

 夜も更けて、嫁たちはもう寝入っている。無理矢理起こすのも可哀想だし、ここ最近は積極的に搾り取られているような気がしてならない。彼女たちも早く子供が欲しいのだろう。

 気持ちいいことはしたい。だが、寝ないと明日に響く。

「うーむ、うーむ」

「あ……っ」

 唸りながら寝返りを打てば、小さな声を耳が拾った。

「お濃?」

「気付いていたなんて、ひどい人」

 え、何の話。

 また寝返りを打った俺は、思わず悲鳴を上げそうになった。

 目の前にギラリと光る短刀があって、驚かない奴がいたら見てみたい。むしろ悲鳴一つ上げなかった俺を褒めてほしい、全力で。どどどと暴れる心臓が飛び出さないように、お口チャックするので精いっぱいだ。

 何だこれ。何が起きているんだ、一体。

 一瞬遅れて、真っ白になっていた思考がぐるぐる回り始めた。これまでに何度か命を狙われて、かなりヤバい状況になったこともある。今回だって、寝返りを打たなかったらブッスリ刺さっていたかもしれない。

 その場合、犯人が帰蝶であると知らずに死んだだろう。

 ああ、本当に何一つとして救いがないじゃないか。

 痛いほどの無音が俺たちを包む。

 帰蝶は髪を下ろして、白い夜着をまとっていた。膝立ちですぐ傍にいたことを気付かなかったのは、俺がいつものように考え事に没頭していたせいだ。それでも殺意・殺気が分からないほど鈍いつもりはない。

 彼女は泣きそうな顔で、ぺたんと座り込んだ。

 力の抜けた手から短刀が落ち、俺の鼻をギリギリ掠めずに布団へ刺さる。またしても悲鳴を飲み込んだ俺は叙勲されるべきだ。ちなみに勃ちあがりかけていた俺自身は、完全に萎えた。

「お濃」

 何を言えばいいのか分からない俺は、名前だけを呟く。

 帰蝶は非常にゆっくりとした動きで俺を見て、それから両手を見つめた。

「ごめんなさい。わたくし、どうして……こんな」

 最後まで言い終えずに顔を両手で覆ってしまう。

 どうしよう。どうしたらいい? 何が正解なんだ。何を言えばいい?

 展開が唐突すぎて、理解が追いつかない。

 よ、よし、状況を整理しよう。

 帰蝶が俺を殺そうとした。それは紛れもない事実だ。幸いにして未遂に終わったものの、彼女から殺したいほど憎まれていたらしい。なんだか心当たりがありすぎて、内心で頭を抱える。

「その……悪かった。色々と、今まで」

 もそもそと起き上がって、きっちりと正座をする。

 この時代で一般的な座り方は胡坐だが、土下座をする時には正座だ。勢いよく頭を下げた拍子に、突き刺さったままの短刀の柄が命中した。

 ゴスッと音がした。同時に、額中央から脳天へ突き抜ける衝撃。

「いってえぇっ」

 痛い、痛すぎる。

 俺はごろごろと布団を転がって冷えた畳に到達した。

 親父殿に額を割られ、舅殿には茶碗をぶつけられた過去の古傷がひらいたかもしれない。思い返せば、婚儀に送れた帰蝶が投げつけてきた盃も同じ個所だったような気がする。

 いや、その前にも噂の蝮を見に行こうとして木の枝を強打したか。

 額をぶつけた経験だけが走馬灯のように思い出されて、なんだか切なくなる。このままいくと、誰よりも生え際の後退が早まるかもしれない。額から上を剃りあげる月代なんて、ハゲが治るまでの一時的処置と考えていたのに。

 いやいや、その前に奇妙丸わがこおれの額を叩く趣味を止めさせなければ。

「……本当に、噂通りの大うつけ」

 ハッとして顔を上げた。

 寝転がっていた時よりも、土下座をしようとしていた時よりも無様で、取り繕いようもない間の抜けた格好の俺を、彼女は泣き笑いの表情で見下ろしている。顔を覆っていた手はそれぞれ中途半端な位置で留まっていたが、俺にはまるで観音菩薩がそこにいるように思えた。

「そうだ、そうだった」

「え?」

「俺にとって、お濃は最初から観音様なんだ」

 彼女は怪訝そうに首を傾げる。

 敬い、手を合わせる存在と同一だと言うくせに、俺が今までやらかしてきたことは俗物的で尊大で一方的だった。あんなにも嫌われるのが怖かったのに、帰蝶は何をしても大丈夫だと思い込んでいた。

 気丈な少女は美しく成長し、一児の母となり、織田家を支えてくれている。

「観音様だからって、悩みがないわけじゃあないよな」

「…………」

「なあ、お濃。俺たちはもっと、話をするべきだ。といっても、明日からしばらく留守にするんで長話はできないんだが」

 正直な話、俺自身が春日井地方に行かなくてもいい。

 側近の誰かを派遣して、報告を受けてから動いても遅くない。反信長派の中核だった信行をこちらに引き入れ、信行についていた柴田以下一部の家臣たちも説得に応じた。味方は着実に増えつつあるし、新しく取り入れた訓練法も定着させた。

 西は服部一族、北は一向宗、東は今川家と油断ならない相手が隙を狙っている。

 明確にどいつが敵だと判断できないのは非常に悩ましい。

 俺はぼりぼり、と首の後ろを掻いた。

「つーか、俺……年下の女の子に色々背負わせすぎてた。重かったろ」

 今更下ろせ、なんて言えないが。

 零れ落ちそうなほど見開いた帰蝶の目から逃げるように、俺は下を向いた。そして未だに転がったままなのを自覚し、ばつの悪い思いで座り直した。今度は胡坐で。

 その時だった。

「馬鹿にしないで」

 ぱあん、と小気味良い音が響く。

 頬を叩かれたのだと気付く前に、もう片方が叩かれた。往復ビンタである。

「え、ちょ、ま」

 パンパンパンと音は続く。

 さすがは俺の嫁にして、蝮の娘。容赦がない。何往復したか分からないくらい叩かれまくって、地味顔が倍くらいに膨らんだ頃にようやく音が止んだ。彼女は肩で息をしている。

「お濃さん、すげー痛いんですけど」

「わたくしだって痛いわ! こんなに人を叩いたのは生まれてはじめてよ!」

 大変ご立腹である。

 おかしい。観音様が、一人の可愛い女の子にしか見えない。俺の嫁たちはみんな可愛いので、その点に関しては全くおかしくないのだが、涙目で睨まれると元気になる奴がいるので困る。

「あの、さ」

「何!?」

「正直なトコ、全然分かんねえんだ。お濃が何に怒ってんのか。なんで、俺が殺されそうになってんのか。お濃がそこまで追い詰められてた理由が俺だってことしか」

「……っ」

「痛いっす」

「言ったじゃない! わたくしだってよく分からないのよっ」

 帰蝶は涙をぼろぼろ流しながらわめく。

「だって……わたくしが側室を迎えるように言った途端に、二人も迎え入れて。しかも毎日……っ。わたくしなんて奇妙丸が生まれてから、ほとんど一緒に寝てくれなくなったし、相変わらず隠し事ばかりで、肝心なことは直前になるまで話してくれないし! 相棒って何なの? 参謀役というのなら、信純殿の方がよほど似合いじゃないっ」

「つまり、嫉妬」

「違います!!」

「あ、ハイ」

 どうしよう、帰蝶が可愛い。

 珍しく、かなり混乱しているようだ。どう考えても吉乃たちに嫉妬しているとしか思えないのだが、彼女は認めたくない。嫉妬した矛先が側室のどちらかでなく、俺に向かったのは幸いだった。織田家中で火サス劇場は起こしたくない。

「お父様の言いつけも守れないなんて。わたくしは、蝮の娘としても失格ね」

「舅殿の遺言がどうしたって?」

「うつけなら殺せって言われたわ」

 ははは、道三コノヤロウ。

 娘になんつー命令してやがるんだ。親父殿といい、舅殿といい、乱世を生き抜くには非情さが必要だとかいうレベルじゃないだろ。本当に何考えて、とんでもないことを託しやがった。

 布団に刺さったまま、半ば忘れられていた短刀を見やる。

 武家の娘が守り刀として短刀を持つのは知っていた。

 お市も持っているし、俺にも娘が出来たら用意するつもりでいる。先日、帰蝶たちに贈った小柄はまた違った意味があるが、愛情を込めた品であることは変わりない。

 引っこ抜いて、そこらに落ちていた鞘に納めた。

「ほい」

「……どうして?」

「俺を殺すのに必要だろ」

「そんなこと!」

「できれば、色々終わってからが望ましいな。せめて尾張国一帯が安全になってからだ。奇妙丸に、俺と同じような苦労をさせたくない」

 胸元にぐいっと押し付ければ、帰蝶はしぶしぶ短刀を受け取った。

 あー、揉みたい。別の意味で泣かせたい。

 わきわきと動き出した手が勝手に嫁を捕獲したので、俺は諦めて布団を被せた。彼女は驚いたものの、抵抗せず大人しくしている。調子に乗って抱きしめてみた。

「あ、あの」

「さー寝るぞ」

「お話は?」

「帰蝶が全部暴露しちまったから、必要がなくなった。あー、マジでお濃は可愛いなあ」

「そんなことを言うのは、あなたくらいよ」

 褒め言葉に慣れているはずの帰蝶が苦笑する。

 俺は返事をせずに目を瞑った。

 確かに綺麗だの美しいだのと言われても、可愛いと言われたことはないのかもしれない。帰蝶は観音様だから可愛いのでなく、帰蝶だから可愛いのだ。

 側室を勧めてきた理由は、そのうち聞いてみよう。

 柔らかい身体がそっとすり寄ってきて、俺自身がちょっと反応した。帰蝶のこういうところが可愛くて仕方ないのだが、俺がとっくに眠ってしまったと思っているのだろう。もぞりと動いて、脇の辺りに頭を置く。しばらく具合のいいところを探していたが、ほっと息を吐いて落ち着いた。

 小さな「おやすみなさい」が痺れるように甘い。

 色即是空、空即是色。

 坊主は嫌いだが、この経文だけは一生世話になりそうな気がした。


筆が止まった最大の要因、夫婦喧嘩のエピソードでした。

これを入れるか入れないかで悩んでいるうちに忙しくなったり、スランプ突入したり、体調壊したりしていました。次はようやく春日井地方へ出発します。

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