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ノブナガ奇伝  作者: 天野眞亜
上洛偏(弘治3年~)
108/284

88. その名は利太

 鍛冶場の裏手にある林から出ると、待ってましたとばかりに日差しが降り注ぐ。

「今年も暑くなりそうだな」

「ええ」

 どこかよそよそしい会話がもどかしかった。

 輝く頭皮をまともに見られない。反射が眩しすぎるというのもあるが、信行の覚悟を受け止められるかという話だ。俺はただ血の繋がった弟と争いたくなかった。死なせたくなかった。生きていてほしい、それだけの思いで行動した。

 ふと気付いて、隣を見やる。

 城下町の賑やかさに魅了されて、いつもよりも血色が良くなっていた。

 母親似の美人顔がきらきらと(剃った頭も)輝いて、うっとり見惚れている娘もいるくらいだ。今更ながら織田びけいの血はおっかないと思う。お市と帰蝶には城下町禁止令出してよかった。ナンパされまくりで大変なことになる。

 自警団の設立は急務、と心のメモに認めた。

「若くて美しい僧侶か。昔、そんなのがいたな」

「兄上、小腹がすきませんか」

「何か食べたいものでも見つけたか?」

「はい。あれを」

「よしよし、兄が奢ってしんぜ、よ……う」

 信行の指さす先を見つめたまま、俺は固まった。

 そこそこ繁盛している甘味屋である。最近できたのか、店も真新しい。看板娘が外に並べた長椅子の間を忙しく駆け回っている。二人なら座れないこともない。

 巨大な日除け傘に、ひらひら揺れる幟。

 長椅子に掛けられた布も鮮やかな緋色で、しっかり目立って客寄せに一役買っている。その辺はまだいい。問題なのは幟だ。

「うつけ餅、とはどんな食べ物なのでしょうか。気になります」

「またにしよう」

「え?」

「春日井の辺りを視察しようと考えていたのを忘れていた。準備の件もあるし、こういうのは早い方がいいからな。大丈夫だ、甘味屋は逃げん。どうしても食べたいのなら、三十郎たちを誘えばいいぞ。又十郎はこういうのにかけては並ぶものがいないんだが、先日出立したばかりだからな」

 一息で言い切った。

「そうですか、……残念です」

「そうだな。俺も残念だ」

 ガッカリした信行に応じるのは棒読みである。

 うつけ餅とか、うつけ餅とか!

 どう考えてもアレだろ!! 何考えてんだよ、誰が清州まで出張してきてんだよ。絶対、村の奴らの誰かに決まっている。店に入った途端、美味しく頂かれるのは餅じゃなくて俺の方だろっ。

 若干急ぎ足で城へ戻りながら、脳内はお祭り状態だ。

「あいや待たれい。そこな方々…………って、聞けよ!! 無視すんなっ」

 たまにいるんだよなー、血気盛んな若者。

 俺の武勇伝に憧れちゃって、舎弟志願でやってくるの。側近がいる時は得意技を見せてもらうとか、相撲対決をやらせて能力に合わせた部隊へ回すんだが。

 過去の戦歴も、那古野村の再興も俺一人の功績ではない。

 むしろ大して何もしなかったのに、一から十まで俺の偉業(笑)になっている。いい噂が広まるのは嬉しくとも噂は噂、扱いを間違えたら痛い目に遭う。

 そんなことを考えながら通り過ぎると、再び若者が立ち塞がった。

 信行が咄嗟に腰へ手を伸ばして、何も帯びていないことに愕然としていた。ちなみに俺の装備は護身用の短刀と、試作品の短筒だ。肝心の命中精度はお察しである。

「信長様! 今日こそは話を聞いていただきたいっ」

「だが断る」

「兄上」

「用があるなら、城に来い。他の奴らにもそう言っている。大方途中で脱落したクチなんだろうが、その程度の輩が直談判は面白……片腹痛いわ。下がれ、小童」

 〆の台詞、ちょっと悪役っぽかったか?

 なんて自分に酔っていたら、若者がとうとう土下座を始めた。五体投地は厳密に土下座と言わないかもしれないので、神を崇めるポーズと呼ぼう。魔王を名乗る可能性はあっても、神を自称した覚えはない。

「信行」

「は、はい」

「俺は用事がある。そう言ったな?」

「聞きましたが、兄上。これを無視するのは可哀想です」

「そうか。なら、お前に任せた。俺は城へ戻る」

 本音は「面倒くさい」だ。

「名乗りもしねえ奴を採用するほど、俺は寛大じゃねえ」

「俺の名前は、前田慶次郎利太まえだけいじろうとしたか!!」

「あ、そう」

「ちゃんと名乗ったぞっ」

「前田くんね、ハイハイ。出直してこい」

 適当にあしらって歩き出す。

 俺の知っている名前に似ているが、似ている名前なんかいくらでもある。焦げ茶のくせ毛が盛大に跳ねていて、パイナップルの葉を連想させた。とっくに元服しているだろうに総髪で、地面に伏していても図体の大きさがよく分かる。

 しっかし此奴め、しゃらくさい。

 避けようとしても、ゴキブリのごとくサカサカ動いて進路を阻む。苛立ってきた俺は、後ろ歩きで距離をとる。しかる後に幅跳びの要領で、大きくジャンプ――。

「叔父、又左衛門利家に矢傷を負わせた罪を償いたく候!」

 驚いた俺は、顔面から着地した。

「あ、兄上!? 大丈夫ですか」

「構うな。それよりも小童、今何つった?」

 パラパラ落ちる土を払いつつ、平伏したままの若者を睨む。

 さっきから衆目を集めまくっているのだ。いい加減、ここから離れたくて仕方ないのに俺が無視できない台詞を吐くとは、いい度胸をしている。それに利家のことを「叔父」と呼んだ。

 前田家、それも現当主・利昌の血縁者ということになる。

 ちっとも似ていないが、叔父甥の関係ならそういうこともあるだろう。しかも利家を叔父と呼ぶ「慶次郎」にも心当たりがある。

 前田家の者が、利家に矢を射る。その意味を、俺は考えなければならないのか。

「流れ矢であったと聞いています」

 すかさず耳打ちしてきた信行に、片眉を上げる。

「故意ではなかった、と?」

「俺の放った矢が、叔父貴に刺さったのは事実です」

「前田家の問題を兄上へ直接訴える真意に、下心がないと言い切れるのか? いきなり前に飛び出してきて、無礼であると思わぬのか。本当に罪を償いたいのであれば、それこそ剃髪するなりして見た目と態度から改めることだ」

「おい、信行」

「承知! 剃髪し、再び参上仕る」

「あ、おいっ」

 得たりと笑った奴は、猿のような軽妙さで身を翻した。

 止める間もなく、すたこらさっさと駆けて去っていく。あれはもう完全に、俺の舎弟入りしたと確信している感じだ。信行が勝手に条件を提示し、利太が条件を飲んだ。契約は成立してしまっている。

 思わずこめかみを揉んだ。

「……坊主ハゲ頭を増やしてどーすんだよ」

「断固拒否すると思ったのですが。その、喜んでいましたね」

「お前という見本がいるからな」

「私は違います! これは覚悟の証であって、あのような粗忽者と同じにしないでください」

「その覚悟を見た目と態度で示すんだろ?」

 信行は不満そうに口を閉じたが、俺の頭痛は収まらない。

 方便で言い出した春日井行は早めに実行するしかなさそうだ。あの様子だと、利昌たちの制止を振り切って荒子を出てきたに違いない。初陣で味方を射るような失態を犯し、尚且つ相手が俺の重用する側近だった。

 騙して水風呂に入れるのとは違う。

 少しズレていたら失明していたかもしれない。

「あの様子だと、詫びを入れようにも馬鹿犬が受け入れなかったんだろうな」

「そうだとしても兄上まで巻き込むのはどうかと思います」

「面白いじゃねえか、利太とやら」

「兄上」

 信純たちが不在にしているので、清州城は人手不足だ。

 側近たちは大きな怪我をしなかったので、平時の仕事へ戻っている。蜂須賀たち美濃衆は、亡命者の宿命として土木事業に参加していたようだが、かえって清州の民から信頼を得るようになってきた。たとえ飢えようとも、ぼーっとしている人間は飯を突っ込んでも働かせる。

 ほぼ慈善事業となっている寺子屋も、次の段階に進む時だ。

 働かざる者食うべからず。

「ああ、そういえば……民を先導したのは、坊主だったな」

 顎を撫でつつ、ニヤリと笑う。

 坊主を二人連れての視察は民にどう映るか。やってみる価値はあるかもしれない。


前田慶次郎利益(とします):小説で一躍有名になったが、出生からして諸説ありすぎて実在も怪しまれていた天下御免の傾奇者。滝川一族の血を引くとされ、利家の兄・利久の婿養子として前田家に入る。

清州城は門前払いくらった(何度目かには利家から蹴り出された)ので、今を時めく織田信長へ直接アタックをかけた。煮ても焼いても食えぬ風来坊も、今はまだケツの青いガキである。

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