85. ノブナガ流人海戦術
毎回恒例、評議のお時間です。
筆頭家老の死はそれなりに衝撃を与えたようで、説明を求めるおっさん連中の相手は頼もしい側近たちに一任した。今までの戦いにも言えることだが、俺の関わる戦はスピード解決が多い。
兵士をかき集める前に開戦し、その日のうちに決着がつく。
細かい後始末は貞勝や成政たちに押し付け……もとい、信任する。投降してきた者の篩い分けは先代から顔が利く家老の勝介に頼んであるし、戦死者の慰労も何とか恙なくこなした。
林兄弟の死によって、弾正忠家でよからぬことを考える輩も大人しくなるだろう。
長く続いた因縁にケリをつけた俺は一息つきたいところだが。
「聞いておるのか、三郎!」
従兄弟たちの待つ別室へ向かう途中で、厄介事に巻き込まれていた。
「血を分けた兄弟で争うなどと……、亡き信秀様はさぞお嘆きであろう。この母の、たっての頼みじゃ。勘十郎を解放せよ、今すぐ!」
「はあ」
解放もクソもあるか。
耳をほじりつつ生返事をすれば、また名前を呼ばれた。
「……うるせえなあ」
「なんじゃと!?」
「コバエがぶんぶん煩いなあって言ったんです。あなたのことじゃありませんが、誤解させたようで申し訳ありませんね」
誰だか知らんが、いらんことを吹き込みやがって。
どうやらクソババ……もとい、土田御前にはよからぬ輩がついているようだ。戦らしい戦でもない小競り合いで、大将首は林秀貞と通具の二人である。信行派と呼ばれながらも、信行本人は担がれた神輿にすぎなかった。
実際、乗り気ではなかったのだから今まで何も起きなかったのだ。
捕縛するメリットはどこにもない。信行を虜囚にしたところで喜ぶ奴もいない。むしろ兄弟喧嘩が長引いてくれたらいいな、と周辺諸国は考えているだろう。
「そもそも信行のおかげで、今回は犠牲も少なく済んだわけでして」
「それなら猶更のこと、勘十郎を解放するべきであろうが。早うせぬか!」
「おーい。誰かー、奴を連れてこーい」
きいきいと喚くのを聞き流して、俺は信行を呼びに行かせた。
今日は大事な予定が入っていたのだ。信純や信成たちを含めた織田一門衆で今後の計画を練る。斯波氏の恩恵が危うくなっている以上、尾張国外の脅威はすぐそこまで迫っていた。フリでもいいから、俺たちの結束が固いことを示さなければならない。
もう誰も失いたくない。
信包たちが俺のために戦ってくれるなら、俺は信包たちを守る。
吉乃と奈江にも、陣羽織の礼を言っていない。大事な存在は両手に余るほどに増えていて、小さな幸せを甘受できるほどに時間は待ってくれない。
こめかみを揉んでいると、信行がやってきた。
「兄上」
「ああ。のぶゆ、き」
「そ、その頭はどうしたのじゃ!?」
「私なりの、覚悟の証です。強制されたわけではありませんよ、母上」
土田御前がわなわなと震えている。
俺の弟が総ハゲになった。剃ったばかりの青さが残る頭皮を撫で、一人満足げに微笑んでいるのは信行だけだ。少し遅れて再起動した土田御前の騒動は割愛する。
「というわけで、信行はしばらく戻ってこれない」
俺の説明を聞いたお市は、ふんっと鼻を鳴らす。
「あの人、つくづく役に立ちませんのね」
「御前様の相手ができるのは、あの人くらいだと思いますよ」
「お二人とも……」
お市と信包の会話に、長益が何とも言えない顔になっている。
どこかのツボに嵌っている信純はさておき、信光叔父貴の息子たちがリアクションに困っているだろ。フォロー要員を求めて視線を動かせば、残る異母弟たちがささっと顔をそらす。
おいこら、一致団結どこいった。
つい半眼になってしまう俺だが、心は軽い。
いつもは先のことを考える度に重く沈み、憎悪すら感じていたものだが今は違う。気が付けば、小さかった弟たちも従兄弟も皆が成人していた。一人の男として扱ってやらねば、不当というものだ。
息を吐いて、居住まいを正す。
大事な話をするにはここ、と決めている古寺には上等な敷物などない。畳もなく、そのうちに底が抜けそうな板の間で薄っぺらい円座を置いているだけだ。本堂の壁は薄くて、あちこちの隙間から光が差し込む。ボロすぎて影も潜むことができないので、密談向きの場所と言える。
観音像を背に、俺は一同を見やった。
「市郎殿、そして三郎五郎」
「はっ」
亡き叔父の面影を残した二人が声を揃える。
わいわいと騒いでいた弟妹達も途端に大人しくなり、俺の行動を見守っていた。伊達に十年以上もノブナガやっていない。注目されても態度を崩さず、平然としていられるようになった。
内心バクバクなのがバレなきゃいい。
「二人の助力なくば、今回の戦は多くの犠牲を出していたことだろう。よくぞ豪族たちを押さえてくれた。礼を言う」
「の、信長様! 顔を上げてくださいっ」
「そうですよ、信長様。我々はやるべきことをやっただけです。それに丹羽殿が事前に動いてくれたおかげで、説得がとても容易かった。むしろ柴田殿のように、逆賊どもへ一矢報いてやりたかったくらいです」
「無理。さっさと死んでた」
横から口を挟んできたのは長利だ。
一人だけ茶菓子を用意して、もっきゅもっきゅと口を動かしていた。信興たちの物言いたげな視線は完全無視である。食べているのは褒美にとらせた秘蔵の甘露煮だろう。
長益が淹れた茶を飲む。うん、美味い。
最近は暇を見つけては茶室に入り浸り、茶道に凝っているらしい。抹茶だけにこだわらず、様々な飲み物研究に余念がない。長利もそうだが、趣味に没頭する研究肌は誰に似たのだろうか。
「叔父貴……信光叔父上にも、よく助けてもらった」
ぽつりと零せば、意外そうに信成が目を瞬いている。
親父殿の兄弟は数多くいるとはいえ、叔父貴と呼びたいのは一人だけだ。従兄弟だって全て把握しているわけではない。信成たちのように臣下の態度を崩さないせいで、織田姓を名乗っているだけの他人としか思えない。
どこまで身内として受け入れるか。
どこまで守り切れるか。
俺は文武共に平凡で、存在そのものがチートである以外に特筆する能力がない。前世知識だって大したこともないが、俺にとっての当たり前はこの時代にとっての型破りだ。
いや、俺自身も相当に変わった。
前世の俺なら、家族や親戚を大事にしたいと思わなかった。
「感謝している」
関わってきた多くの者に。出会えた多くの事柄に。
今、ようやく俺は『織田信長』として生きてもいいような気がする。未来に縛られることなく、過去に囚われるでもない。こまけーことはいいんだよ。ぐだぐだ考えて、一人で悩むから苦しい。
どうせ歴史は変わらない。
だったら、俺の好きなように生きてやる。
「というわけで、俺流人海戦術を発動したいと思う」
「面白そうだね」
真っ先に食いついてきた信純に、ニヤリと笑う。
「まずは今後の計画を話すぞ」
「もちろん、市もお手伝いいたしますわ! お義姉様や側室の方々には負けていられませんもの。いくらでもお命じくださいませ」
「うむ。お市には重要なポジション、マスコット要員を考えている」
「ますこ?」
「可愛くて、皆に愛されるお市にしかできないことだ。やれるな?」
「はい、お任せくださいっ」
顔を紅潮させ、何度も頷くお市。
うんまあ、可愛いは正義。信純が小刻みに震えているので、早くも効果を発揮しているようだ。そして信包は余所行きの微笑を浮かべている。
普通に笑えよ、怖いから。
古寺での秘密会議だって無理にねじ込んできたお市だ。後で帰蝶たちと一緒に話をする予定だったのに、こっちの方がいいと長益に背負われて登場した時には空を仰ぎたくなった。
伊勢物語かよ。いや、逃げてきたわけじゃないから違うか。
今でも最愛の妹には変わりないのに、見た目は絶世の美少女なのに、内面がどんどんズレてきていることに不安しか感じない。俺のせいか? 違うだろ。
「源五郎と又十郎には伊勢国との交渉を頼みたい。詳細は後で話す」
「伊勢茶はいいものです」
「美味いもの開発」
うむ、実に頼もしい返事である。
マスコットの話から完全に置いてけぼりな信成、信昌兄弟には空席になった城の守備をお願いした。信昌は信実という叔父の養子になっているため、後継としての務めもある。説得に応じた豪族たちとの繋がりも強くしたい。
ある意味、現状維持だ。
彼ら自身が使える手駒を育成してくれたら嬉しい、と言い添えておいた。
「俺が家督を継いだ頃に比べて尾張国は豊かになったが、貧困層がなくなったわけじゃない。民あってこその俺たちだ。年貢もコメばかりに拘るな。蕎麦や麦、菜種もいいな。豆を育てれば土が元気になる(たぶん)から、痩せた土地で試してみるといい」
「ソバ……ですか?」
「白い花が咲いて、臭い草のことですよね」
「麦と同じように実を食う。美味」
長利は以前、蒸籠蕎麦を食べさせている。
水車小屋の修理から始まって、試験運転に蕎麦の実を挽いてみたのだ。幸いにして製法を知る人間がいたことと、製品しか知らない俺が殻を除去してしまったことで真っ白の蕎麦が完成したのが僥倖であった。黒くない蕎麦、上品で美味。
「それから信濃で食べられているほうとう鍋」
「宝刀?」
「お兄様、さっきから食べ物ばかりですわよ」
「農作物の種類を増やすことで貧困を脱する計画ですか。信濃へは私が参りましょう。殿が大好きな温泉とやらの効能も知りたいですしね」
「又六郎に話したことあったか?」
「ええ、コンヨクの話でしたが」
途端に俺の顔が苦いものへ変わる。
混浴風呂のせいで帰蝶には十日ほど無視された。奈江はきゃんきゃんうるさいし、吉乃は湯殿で待機するようになってしまった。湯気でのぼせて倒れたのも一度や二度ではない。
そもそもサウナを風呂と称する、この時代がおかしいんだ!
蕎麦と混浴(温泉)については、いずれ小話集にアップしたいと思います