7. 政略結婚
親父殿から呼び出しを受けた。
「うへえ、また何を言われるんだろーな」
侍従に案内され、当主の待つ部屋へ向かう。
この時代の一般的な親子関係がどうかは知らないが、織田信秀は用件がある時にしか俺と会わない。生みの親である土田御前も同様だ。というか、彼女は信行をかわいがるので忙しいらしい。夫が冷たいから依存している可能性もあるが、俺の知ったことじゃあない。
俺も冷たいか? あの二人は親、っていう感じがしないんだよなあ。
少なくとも信行は、母親によく懐いている。
妹のお市はどうかといえば、乳母をはじめとする女衆が蝶よ花よと育てているそうだ。俺もたまに顔を見に行くのだが、可愛らしい笑顔で「にーたま」と呼んでくれる。妹可愛い。めっちゃ可愛い。絶世の美女ならぬ、絶世の美幼女だ。
女衆が嫌がっても、お市が歓迎してくれるならにーたま頑張れる。
相手は修羅の国の人でも負けない、きっと。
「お呼びでございますか、親父殿」
「三郎、嫁をとれ」
「…………は」
うん、なんだって?
三郎信長が俺の名前だ。俺、ノブナガ。
年が明けたら16歳になる「尾張の大うつけ」だ。
そういや、この時代の結婚適齢期っていくつからだっけ。女は16歳で結婚できる、は現代日本の法律だった。どこぞの誰かは一桁で結婚している。
「それで相手は、どこの……」
「美濃の蝮よ」
その娘だよな、うん。
蝮の道三は男だし、親子ほども年の差が離れているし、そもそも織田本家と美濃衆は喧嘩中だったはずだ。初陣は稲葉山攻めだぞ、俺。その後の戦では、斎藤軍に壊滅寸前まで追い詰められたこともある。
「和睦の条件に婚姻ですか」
「仮にも嫡男に、どこぞで子を作られても困るからな」
いや、和睦の条件として俺が引き合いに出されたんだろ!
道三と息子・義龍は不仲である、という噂がある。
美濃の将来を憂いて、そんな話を持ち出したのだろうか。可愛い娘を敵地へ送るなんて、俺は絶対に嫌だけどなあ。そもそも「尾張の大うつけ」に娶らせようなんて、博打もいいとこだ。いや、俺のことなんだが。
「五郎左に感謝せよ」
「え?」
五郎左って、鬼五郎左のこと?
しばらく姿見ないと思ったら何やってんだ、長秀。
もっと詳しく聞きたかったが、話は終わりだと言わんばかりに追い払われた。食い下がれば怒りの暴投がくるのは分かりきっているので、大人しく従う。
部屋を出ると、平手の爺が待っていた。
「若様」
「どうした、爺。親父殿に用か? 俺はもう済んだから、かまわずともいいぞ」
「いえ、若様にお話が」
「俺?」
まあいいか。
と促されるままについていけば、縁談についてだった。
なんと平手の爺が、美濃の斎藤利政――隠居して『道三』を名乗る――と和睦の話をとりつけた立役者というのが判明した。さすが爺、すごいぞ爺。うちの傅役、有能すぎる。
「若様は、尾張の未来を背負って立つお方。大事な姫をお預かりするに何ら不足なしと訴えましたところ、利政殿も若様に対して常々興味を抱いていたらしく」
「待て待て待て!」
「ほほ、照れずともよいではありませぬか。蝮の娘とはいえ、なかなかの器量良しという評判ですぞ。若様も年頃なのですから、幼い姫様ばかり構っていては格好がつきませぬ」
「俺の妹が可愛くて何が悪い!」
むしろ世界一可愛い。宇宙一可愛い。
弟も思いっきり可愛がりたいのだが、周囲の邪魔と反抗期のせいでままならないのだ。せめて愛らしい妹で癒されたいと思うのは人間心理として普通だ。何もおかしくない。麗しい家族愛だ。
最初に覚えた言葉が「にーに」である。
その事実を知った晩は、感動のあまりに眠れなかった。
熱く語りまくる俺を、平手の爺はとっても生温い目で見守っている。一大決心を打ち明けて以来、諫言の回数は格段に減った。俺がちゃんと仕事しているのも知っている。
適度にサボっているのもバレバレである。
「若様」
「ぜえはあ…………なんだ、まだ聞きたいか。俺の妹の可愛さを!」
「そのようなことを、信行様にもお伝えすればよろしいのではないでしょうか」
「!!」
爺、天才か。
思わぬ天啓に目を見開けば、爺は厳かに頷いてみせる。あの蝮の道三、もとい斎藤利政をも和睦の席につかせた男の言葉だ。万に一つも間違いはなかろう。
「分かった、行ってくる!!」
「斎藤家の姫様に、ご挨拶の文を送るのもお忘れなきよう」
「分かった!」
その場のノリで頷いた俺だったが、冷静になった途端に青ざめた。
前世では嫁どころか、彼女いないまま終わったのだ。本人も知らないうちに話が進んでいる政略結婚である。拒否はもちろん不可。その時点で美濃国との和睦はなかったことになるだろう。平手の爺の努力も水の泡だ。
蝮の娘だぜ?
初夜に短刀握っていたとかいう話をどこかで聞いた。気に入らなかったら、この短刀で殺して美濃へ帰ってこいとか父親に言われた云々。
結婚相手は俺、ノブナガ。ちょっと待って、まだ死にたくない!
「兄上? 酷い顔色ですが、また父上に何か言われたのですか」
今度は信行か。
待ち伏せしていたように廊下でバッタリ会ったな。
取り巻きの姿が見えないことを不思議に思いながら、俺は力ない笑みを浮かべた。死ぬのは怖い。濃姫怖い。閨で殺しに来るとか、まるでくのいちじゃないですかやだー。
「ああ、言われたといえば言われた……」
「…………っ、そうですか。お叱りを受けるは当然。兄上が普段の行いを改めないからです。廃嫡する、とでも言われたのでしょう?」
「俺は信行が好きだぞ」
「な、にを馬鹿な…………そんな戯言で、僕が絆されるとでも思っているのですか。甘いですよ、兄上。僕を好きでいてくださるのなら、次期当主の座をください。兄上は織田家の存続など、どうでもいいと思っておられる。家督を継ぐことの意味を、ちっとも理解しておられない!」
胃の中を吐くように、一気にぶちまけた。
俺はそんな信行の姿を呆然と見る。
「そっか。信行も苦しんでいるんだな」
「はっ、おかしなことを。重責から逃げ出した苦しみなら、自業自得ですよ。あなたに対する失望を、何度も聞かされる辛さが分かりますか。どれだけ陳情を受けても、訴えられても、次期当主でない僕には何の権利もない。何もしてあげられないんです!」
「何を訴えられたんだ、信行。治水工事の遅延か? それとも先日の長雨で落ちた橋の修復についてか」
「え」
「ちなみに年貢の取り立てについては、庄屋と交渉中だ。来年の収穫には間に合わせる予定だが、まず何がどこで滞ってるのか分からなくて難儀している」
「は、あ?」
「違ったか。ん~、じゃあ何だろうな。俺が知っている案件は農民関連で、商売まで手が回ってないんだ。ごめんな」
「あ、あに……兄上!? あなたは一体、何をなさっておられるのですか」
「仕事」
信行が絶句しているが、他に言い様もないんだから仕方ない。
ちなみに親父殿から直接言い渡されたのは、鉄砲の件だけだ。他はサボり……もとい、散策中に直接訴えられたので解決せざるを得なくなったというか。日吉も農民出身なものだから、なんとかしてくれって涙目で頼み込んでくるから困る。
何でもするとか言われても、雑用しか思いつかん。
「いつの間に」
「あ、勘違いするなよ。解決に動いているのは俺の舎弟たちで、俺自身じゃないからな。そんな技量も知識もないのは信行も知ってるだろ」
「はい、それは存じております」
素直に頷かれると、それはそれで傷つくぞ弟よ。
「ああ、それから山賊討伐も何件かあるんだが、腕の立つ暇人に心当たりないか? できれば沢彦並みに強い奴が望ましい」
「兄上?」
「元武士くずれが賊に身を落とした集団が厄介でなあ。俺がもっと強ければ真っ先に潰してくるんだが」
「嫡男が何を言っているんですか。正気ですか!?」
あれ、怒られた。
さっきまで呆然としていたのに、すっごく怒っている。俺、何か変なことを言っただろうか。真面目君の考えることは分からんよ。
「やはり兄上は、次期当主に相応しくありません」
俺もそう思う。
うっかり頷きそうになるのを、かろうじて堪えた。
ここで同意してしまったら、それこそ家督相続問題で家臣たちを巻き込んだ兄弟喧嘩に発展してしまう。家督を継がずに済むなら是非そうしたいが、信行では荷が重すぎる。
修羅の国の人を主として仰いできた家臣たちにとって、信行では温い。
そして若いくせに頭が固くて融通が利かない。正義感が強くて真っすぐな気性といえば聞こえはいいが、権力を握りたい奴らにとっては扱いづらくて仕方なかろう。ちなみに俺は傀儡にもならない「大うつけ」なので問題外。さっさと消えてほしいと思っている。
平手の爺が苦言を呈しつつ、厳しくサボりを戒めなかった理由がそこにある。
城内にいると、暗殺の危険性が爆上がりするのだ。特に飯がやばい。毒が仕込んであったりするそうだ。なんて勿体ないことを、と言うなかれ。
俺が死ねば任務完了。って、納得するか!
この辺りの事情を真面目な信行が把握しているかっていうことなんだが、面と向かって聞いたら間違いなく激怒される。曲がったことが大嫌いだもん、信行。
「ん~、参ったなあ」
ぽりぽりと頭をかきつつ、肩を怒らせながら去っていく背を見送った。
若様ご一行:城下町の名物。身分の隔てなく話が通じる相手なので、民からの評価が高い。とある事件を解決して以来、若様本人に相談しにくる人間が出てきた。
万千代チェックを通過するのが条件
2/7 斎藤道三を利政に訂正(隠居して、道三と名乗る)