ノブナガ年表(ネタバレ注意)
ご指摘がありましたので、年号と西暦が分かるものを用意しました。
投稿された本編より先の時系列は史実通りの記述になっていますが、史実と異なる内容になった場合はひっそり変化していきます
詳しくは活動記録(3/11付)を一読ください
天文3年(1534年)5月12日 那古野城で誕生(勝幡城とも) 1歳
天文4年(1535年) 那古野城主となる。 2歳
天文5年(1536年) 同母弟・信行が誕生
(大体この頃、今川家で人質となる)
天文12年(1543年) 織田信包が誕生。通称は三十郎
【物語開始】
天文13年頃 犬千代、万千代、松千代と出会う。遊んでいる最中に落馬
天文14年(1545年) 異母弟・信治(幼名:九郎)が誕生
天文15年(1546年) 元服して三郎信長を名乗る。12歳
(同年 異母弟の信興(幼名:彦七郎)、長利(幼名:又十郎)が誕生)
(トリオと疎遠になったふりをして、一益&恒興と行動を共にするようになる)
天文16年(1547年) 同母妹・市、異母弟・長益(幼名:源五郎)が誕生
天文17年(1548年) 美濃との和睦成立。濃姫との縁談が決まる
(同年 道三と初対面。父・信秀にバレて村の復興を命じられる)
(いつの間にか犬の傍を、猿が周りをうろちょろし始める)
(毒殺未遂事件に絡み、佐久間信盛が臣下の名乗りを上げる)
天文18年(1549年)2月24日 濃姫と結婚。 16歳
(同年4月 道三と正徳寺会見。上総介を自称する)
天文19年(1550年) 父・信秀が倒れる
(村井貞勝が内政経理担当として信長付きに命じられる)
(信広と喧嘩する。信広の娘誕生)
天文20年(1551年) 父・信秀の死去により家督を相続。 18歳
(葬儀にて林秀貞と決別)
天文21年(1552年)4月17日 赤塚の戦い(鳴海城主山口教継が今川軍に寝返る)
同年8月16日 萱津の戦い(清州織田軍による松葉城&深田城襲撃)
天文22年(1553年) 平手政秀、死去
(同年 道三、隠居して子・義龍に家督を譲る)
天文23年(1554年) 本拠を清洲城に移転。 21歳
(同年1月22日 林兄弟の出陣ボイコット。村木砦の戦いで今川軍に勝利)
(3月 甲相駿三国同盟が締結)
(7月12日 斯波義統が暗殺される)
(7月17日 清州勢に勝利、本家を乗っ取る)
(8月 主君暗殺の咎で、信友を処罰)
天文24年(1555年)4月20日 嫡男・織田信忠(幼名:奇妙丸)が誕生
(竹千代が元服して、松平次郎三郎元信と称す)
(三十郎が元服して、織田三十郎信包と称す)
(同年10月より弘治に改元)
弘治2年(1556年)4月 義父・斎藤道三が子の義龍との戦いで敗死(長良川の戦い)
(同年4月 叔父・信光 不慮の死を遂げる)
(生駒吉乃、お鍋の方を側室として迎える)
(異母弟九郎たちの元服、お市の裳着の儀を執り行う)
(同年6月 第一次兄弟喧嘩 稲生の戦いにて、林秀貞・通具が討死)
弘治3年(1557年)11月24日 浮野の戦いにて、反信長勢力を撃破 24歳
(岩倉織田氏の家督争いに乗じて、織田信賢を尾張国から追放)
(新守護職・斯波義銀を尾張国から追放)
永禄元年(1558年)3月 次男・織田信雄(幼名:茶筅丸)が誕生
同年4月 三男・織田信孝(幼名:三七)が誕生
(信長直属部隊、および赤母衣衆・黒母衣衆を選出する)
永禄2年(1559年)2月2日 初上洛、13代将軍足利義輝に謁見。 26歳
(将軍の認可を受け、尾張守護職を名乗る)
(同年6月 合同結婚式を主宰する)
(同年秋 長女・五徳姫が誕生)
永禄3年(1560年)5月19日 桶狭間の戦いで今川義元を討つ。 27歳
永禄4年(1561年) 斎藤義龍が急死
(森部の戦いの後、斎藤家内部分裂始まる)
(同年冬 次女・冬姫が誕生)
永禄5年(1562年) 織田・松平家による清洲同盟成立
永禄6年(1563年) 本拠を小牧山城に移転 30歳
永禄7年(1564年) 甲斐の武田信玄と同盟
(同年秋 堂洞の戦いにて、東美濃勢を撃破)
(同年冬 北近江の浅井長政と同盟)
永禄8年(1565年)4月 斎藤龍興、伊勢長島に敗走(稲葉山城の戦い)
(稲葉山城を岐阜城と改める)
(同年5月 三好三人衆と松永久秀が足利義輝暗殺)
(義輝の弟・覚慶が明智光秀と共に岐阜城に逃れてくる)
永禄9年(1566年) 尾張守を自称する 33歳
(新年早々、武田・松平・浅井との縁談をそれぞれ成立させる)
(同年春 完成した鉄甲船で堺港へ突撃し、堺商人との取引を始める)
(服部党を尾張国河内から追い出して、真の尾張国統一を果たす)
永禄10年(1567年) 本拠を岐阜城に移転 34歳
(同年2月8日 足利義栄が、第14代将軍として就任)
(同年3月 お市が北近江の浅井長政に嫁ぐ)
(同年11月 沢彦から与えられた印文「天下布武」の朱印を使用しはじめる)
(同年冬 伊勢平定)
永禄11年(1568年)正月 義昭、岐阜城下の立政寺にて信長と対面 35歳
(同年1月 お五徳が三河の松平信康に嫁ぐ)
(蒲生賢秀が降伏し、六角義治が甲賀へ逃亡)
(茶筅丸を北畠氏、三七を神戸氏にそれぞれ婿入りさせる)
(同年2月 足利義昭を奉じて上洛)
(畿内を支配下に置く)
(松永久秀が臣従の意を示す。三好三人衆などは阿波国へ逃亡)
永禄12年(1569年)1月 『殿中御掟』9ヶ条の掟書を義昭に認めさせる
(同年春 四男・於次丸が誕生)
(武田との同盟が決裂)
(同年8月 秀吉、但馬国を攻める)
永禄13年(1570年)3月 越前・近江の内紛に介入(金ヶ崎の戦い)
(若狭・越前・近江国が織田領になる)
元亀元年(1570年)4月 元号を「元亀」に改元
(同年8月 野田城・福島城の戦い vs三好三人衆)
(同年9月 野村合戦 織田信治、討ち死)
元亀2年(1571年) 武田信玄、西上作戦開始
(同年12月22日 三方ヶ原の戦いにて、徳川軍大敗)
元亀3年(1572年) 武田信玄、病死
(同年5月 三女・お藤が誕生)
(同年10月 義昭に対して、17条の詰問状を送り付ける)
元亀4年(1573年)1月 奇妙丸が元服し、勘九郎信忠と名乗る 40歳
(安土計画始動)
(同年7月26日 槙島城の戦い 義昭を畿内から追放)
天正元年(1573年)8月 元号を「天正」に改元
天正元年(1573年)11月 岩村城の戦い
(翌年2月 三河飯田城にて、叔母・お艶の方が謀殺される)
天正2年(1574年)5月 長篠の戦い
(同年6月 四女・永姫が誕生)
(同年夏 勅許を奉じ、東大寺正倉院の蘭奢待を切り取る)
(同年冬 加賀一向一揆を制圧)
天正3年(1575年)2月 右近衛大将に任じられる
(同年4月 岐阜城を本拠とする織田家の家督を、嫡男・信忠に譲る)
(第三次信長包囲網)
天正4年(1576年) 近江に新たな拠点となる安土城を築く。 43歳
天正6年(1578年)頃 中国侵攻始まる
(同年11月 荒木村重が謀反(有岡城の戦い))
天正8年(1580年)3月5日 勅命により石山本願寺と和睦。 47歳
天正9年(1581年)2月28日 京都内裏東で京都御馬揃えを催す。 48歳
(高野山包囲)
(甲州征伐)
天正10年(1582年)6月2日 本能寺の変 49歳
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さてはて、そこから先は……?