アメジストの憂鬱7
Jは、緩く巻いた金髪の美しい女性の肩を抱きながら、酒を飲んでいた。マイケルは、それを見てこの女好き、と内心で悪態を吐きつつ、自らもウィスキーに口をつける。
「……J、用を済まそう」
「そう慌てるなって、せっかちは女にモテないぞ? 悪いな、俺のツレ、こんな顔してチェリーなんだ」
「違う」
マイケルを指差し、やに下がった顔で女性に紹介しはじめるJに、げんなりとした気持ちになる。Jはマイケルには構わず、再び女性と盛り上がっている。マイケルは、無意識に自らの腰に手をあてた。先程手に入れたばかりの硬く冷たいモノは、マイケルの体温が移っていた。
「ミーック、そんなに固くなるなよ?」
口の端を上げてJが笑ったが、その瞳や眉は緩んでいない。窘める様なその視線で、マイケルは自分が必要以上に緊張しているのを感じた。トントンと肩を叩いたJの手がするりと少しだけ腕を撫でて離れた。
そして、しっしと手を振られる。男二人で飲んでもしょうがないだろ、邪魔すんなってことか。
「いいね。あとで二人きりでもう一度仕切り直そうか」
へらへらと笑いながら女性と乾杯。本当にこいつは大丈夫なのか、と思いながら辺りを伺う。もう少しラブジュエルについて詳しく調べよう、ということで近くのバーに入ったが、どうにも落ち着かない。
暗い中、ぼんやりとした光が怪しい雰囲気を演出する。顔が見えない程ではないけど、その薄暗い中と光の下では随分違う印象を受けるだろう。真っ赤なルージュを引いた派手な格好な女や、脛に傷のありそうな男達がグラスを合わせ、酒を嗜んでいる。
マイケルとて、バーに入って酒を飲むことはしばしばあった。けれどこんな胡散臭い雰囲気の場所に入ったことなどなく、明らかに場違いであることがわかって尻の座りが悪かった。
「可愛い坊や。一人?」
そっぽを向いていると、空いている隣の席に、ひとりの女が腰かけた。少し歳はいっているが、まだ美しさを保った人だった。水商売をしているのだろう、弧を描く赤い唇は、一番自分が美しくなる形を知っていた。マイケルはぎこちなく笑みを浮かべながら答える。
「いいえ。隣がツレなんですけど、彼、綺麗な女性に目がなくて」
やれやれ、と軽く首を振ると、隣の女はくすりと笑った。
「なら、私とお喋りしましょ」
彼女の視線がいやらしくマイケルを撫でる。頭の先から足元まですぅっと通っていく視線は明らかに値踏みされていることがわかって、気分はよくなかったが、ここで断る理由もない。Jが女遊びをしていようと、マイケルは情報収集をせねばならないのだ。
イエスともノーとも言わず、マイケルは微笑みだけを女に返した。
「貴方、ちょっとこの辺では見ないようないい男。こんな寂れたところに何をしに? 旅行?」
マイケルを見つめる流し目は明らかに色を含み、ぞわぞわする。残念ながらマイケルは手酷く彼女に振られたばかりだし、それ以前にそんな場合じゃないしで、そういう気持ちには全然なれない。
「貴方だって、こんなとこで一人でお酒を飲むのが勿体無いような人じゃないか」
喜びそうな言葉を選び、ごまかす。
「あら、なら貴方が冷たいベッドを温めてくれるかしら」
ひぃ、と内心悲鳴をあげつつも、マイケルはただ、勿体無いよ、と答えた。
「でも、そう、また、時間があったら貴方の店にも行くよ。それだけ綺麗なんだから、あれかな、最近評判のラブジュエルの人?」
そう尋ねると、女はあからさまに眉を寄せた。
「やだ、貴方、あんなところに行きたいの!?」
「評判だって聞いたけど。聞いただけだから僕もよくは知らないんだ」
勿論そんな話は聞いたことがない。全てマイケルの口からでまかせだ。嘘に嘘を塗り重ね、取り繕う。にっこりと笑えば、彼女はげんなりとした顔をして上を見て、大きく息を吐いた。
「やだ、男の人って皆あんなのがいいの?」
「あんなのって?」
さりげなく尋ねると、女は左右に首を振った。
「セックスドラッグ。あとかなりのアブノーマルプレイ。だから、女はどんだけキレイでもシャブ中だし、入れ替えも相当激しい」
どれだけお客取られても、あそこには行きたくないわ、なんてぼやきつつ彼女はグラスを傾ける。
「……入れ替わりって……」
「勿論、ポイするだけ。使えなくなったと思ったら、ハイさよーなら。それで路上で野垂れ死ぬなんて、私はやだわ」
完全に愚痴モードになった彼女からは、これ以上有益な情報を得られそうにない。さて、どのタイミングで切り上げようかと、マイケルは思案する。
「ねぇ、それより私と、ね?」
するりと彼女の爪の長い指がマイケルの腕を撫でる。あからさまにそういう行為を法筒とさせる触り方。しなを作って、マイケルに体を寄せてきて、ツンときつい香水の香りが鼻をつく。マイケルは、眉を寄せて嫌な顔をしてしまわないように気をつけた。
「ミック」
トントン、と肩が叩かれる。振り返れば、Jが眉を上げていた。
「お前が年上好きとは知らなかったな」
「……J」
話をしているJを見ている横の彼女に、パチン、と綺麗なウィンクをしながら、Jは笑う。彼女は嬉しそうに笑った。セフレなんて関係は、マイケルからしてみれば奇妙極まりない。彼女を見る視線に何を勘違いしたいのか、Jが悪戯っぽく笑う。
「いい女だろ、俺がひっかけたんだ。お前も随分素敵なお姉さまを捕まえたようで? 一晩ヤッてくか?」
「勘弁してくれ」
ドラッグなんかを使われる前に、姉を助けなければならないのだ。そして、もう一つ。隣の女に聞こえないように、小さな声で言う。
「姉ばっか見てきてるから、僕はどっちかといえば年下のわがままで手のかかるタイプの方が好き」
「自立してて、母性たっぷりの年上タイプも悪くないのに」
そんなことを言う彼は、恐らく美人だったらどんなタイプでもいけるクチだというのは、なんとなく察しがついた。Jは再び隣の美人の方を向いて話をはじめた。
全く、と思いながら店を見回すと、ふっと一人の男が目に付いた。
「ごめん、お姉さんちょっと僕お手洗いに行くよ」
マイケルは弾かれたように立ち上がる。突き動かされるように男の後を追う。バーの中は人が多く、時々肩や腕があたり、謝りながら進む。男は真っ直ぐに店の奥、突き当たりの方へと向かっていた。そちらには、バックヤードとトイレくらいしかない。
その男は、あの人拐いのいた場所にきた誰かで、今を逃すわけにはいかなかった。前を行く男を追いかけるのに必死で、マイケルは後ろからついてくる誰かがいることに気付かなかった。
ぐっと、いきなり首が締め上げる。バタバタと手足を動かすが、あたりの壁にぶつかるが、いっこうに腕の力は緩まない。追いかけていた男が振り返り、にたりと笑ったのが見えた。その腕がマイケルに伸びる。暴れる体を抑えられ、頚動脈が更に強く締まった。
息苦しさに、口だけ動かし喘ぐ。視界が歪み、白む。すとん、と意識が落ちた。