アメジストの憂鬱4
指輪が全部知ってるぜ、などと言うからどういう意味なのかを教えてくれるのかと思えば、Jは多くを語らず、どこへ向かっているのかも、これから何をするのかもマイケルには一言も言わなかった。ただ、何かを考え込んだような顔をして、マイケルの少し先を歩くのみだ。
マイケルもスラムのことを知らないなりに、頭を働かせたが、宝石がどう繋がるのかなんて分からない。ただ分かったことは、確かにあの男に姉は連れ去られ、そしてどこかへとやられてしまったことだけだ。
「J、指輪が知ってるって?」
気が急いてしまい、安易にJに答えを求めてしまった。いくら考えても分からないものは分からないのだ。Jはマイケルをチラ、と伺い、ふっと口元を緩めた。
「ママに答えを聞く子どもかよ。少しは俺よりよっぽど賢いオツム使ったらどうだ?」
余裕の表情と馬鹿にしたような口調が癪に障る。マイケルだって、それで答えが出て、姉が助かるならそうしているだろう。けれど、Jがその答えを既に知っていて、尚且つそれに合わせて行動するのが彼女を助ける早道であるのならば、話は別だろう。
今は一分一秒を争うのだ。もし姉に何かあったのなら、そう思うと今も闇雲に走り出したい程なのに。
「J! 全然分からないよ、教えてくれ!」
余裕のなさを表すように、声が上ずった。少しキツイ口調になってしまっただろうか、眉がぴくりと上がり、少し驚いたような顔をしている。しかし、その顔もいつもの飄々とした顔に戻る。
「あの人攫い、なんで女物の指輪を持ってたか分かるか?」
「……攫った相手の物なんじゃないかな?」
あの指輪は女物で、倒れていた男がするには華奢すぎたし、可愛らしすぎた。攫われた姉の物でもない。それなら、それ以前に攫われた誰かの物だったんじゃないだろうか。
「その答えじゃ落第だな」
Jはひょいと肩を竦めた。謎かけのようなそのやりとりがまどろっこしく、イライラとしていると、Jが理由を話し始めた。
「スラムでそんなもん付けて歩く女なんていないさ。人前で見せびらかしてみろ、ズドンとやられて指ごと持ち去られるさ」
当然のように恐ろしいことを言うJの感覚はマイケルには理解できない。けれど、この薄暗い街ではそれが普通なのだろう。そんなところに姉がいるなんて、と身震いをする。
「スラム以外から連れてきた女性じゃ?」
「ないない」
ははっとJが笑った。これだから坊ちゃんは、と言い募られて、むっとする。彼はいつもそうだ。
「それもノー。下手に他のヤツの島荒らしたら痛い目見る。ここらの常識だぜ?」
片眉を上げて言うJが憎らしい。
「じゃあ、なんなのさ」
吐き捨てるような口調で言ってしまって、あっと思うが、Jは気にした様子もなく、笑って言った。
「報酬さ。お前の姉貴を買った奴からのな」
成る程。確かにそう考えたら全てが綺麗に当てはまる。悔しいけれど、確かにJは頼りになるし、マイケルはこのスラムで姉を探すには圧倒的に知識が足りないのだ。
「……じゃあ、これを渡したヤツの目星もついてるってこと?」
「おおっぴらに銃を撃ってくるようなやつが来るんだぜ? 相当なワケありな奴のは確かだな」
「……彼は殺されたのかな」
そう問いかけると、Jはおどけた様子で大げさに肩を竦めて見せた。
「あいつらが来たのは俺たちより後だろ。それに、銃痕」
Jは自らの指で銃の形を作り、その先を咥えるフリをした。
「……そういえばそうか」
相当テンパっている自分はそんなことすら見落としているのか、と情けなくなった。確かに男は自らの手で銃を握り締めていたし、彼の銃痕は完全に脳みそを貫いていた。恐らく即死だっただろう。
「……それで、具体的に、相手の目星は?」
まぁいい、切り替えようとJに何気なく尋ねた。
「それを今から調べるんだろう!」
あまりに堂々と言うから、てっきり全て分かっていると思ったら、そういう訳ではないらしい。時間が刻一刻と過ぎていくことに、一気に焦りが胸を満たしていく。
「早くしないと、レベッカが……」
思わず口から不安が漏れた。Jはそんなことには気づかない様子で、ふざけて言った。
「むしろお前の方が宝石には詳しいんじゃないのか? 宝石商の息子だろ?」
宝石商、坊ちゃん、世間知らず、実際その通りだが、こうやって茶化され続けるのはいい気分はしない。
「そんなこと言われたって、僕はあくまで買い付けの方だし、実際宝飾店がこの世にどれだけ存在してるかわかってるのか? 指輪を見ただけじゃ何も分からない!」
口調が自然と荒くなる。Jはオーゥ、と、言って視線を上にやり、その手を目元に当てた。それから、ふぅーと長い息を吐き出した。
「そう熱くなるなって」
「ならずにいられるかよ! 実の姉だぞ! 今も無事か分からないっ……!」
当事者じゃないJには絶対に分からないはずだった。感情のままに叫ぶと、Jはマイケルの苛立ちを理解しているのかいないのか、両手を前にだし、まぁまぁというようなジェスチャーをした。
「ウェイト、ウェイト、まぁ落ち着け」
「これが、落ち着いてられるか! Jには分からないよ!」
言ってしまって、はっとする。ここまで世話をして貰っていて、そんな言い様はない。けれど、もう遅い。Jの眉がぎゅっと寄せられ、怒りが顕になった。
「はぁ!? 大人しく聞いてりゃあなんだお前は! 一人で探したきゃそれでもいいんだぞ?お前なんかせいぜい身ぐるみ剥がされるだけだろ。お前一人で何ができるって、お坊ちゃん!」
肩を怒らせ、怒鳴られる。それは確かに正論ではあったが、納得はできなかった。悔しくて仕方がなく、けれども怒りも抑えられず、マイケルの焦りも知らずに飄々としているJが許せなかった。
「……僕だって、何もできない子どもじゃない!!」
Jは、イライラとしながらマイケルとは全く逆方向へと歩いていた。折角金も出ないというのに手伝ってやったのに、あの言い様だ。その辺でビールを買い、一気に喉に流し込む。けれど今はこの程度の酒、まるで水だ。
「やってられるか! 馬鹿馬鹿しい!」
飲み終わった瓶を全力で投げる。茶色い瓶は、灰色の小汚い壁に当たって粉々に砕けた。鮮やかに砕け散ったそれに、少しだけ気持ちがすっきりするが、それでもまだ足りない。
心配だった気持ちも吹き飛んだ。ケヴィンのバーは、最初にマイケルが付いてきたところだ、きっと辿りつけるだろうし、辿り着けなかったとしてもJの知ったことではない。そう、初めから関係のない人間だったのだ。
ポケットの中に手を突っ込むと、指先に硬いモノがあたった。それは、マイケルから預かっていたアメジストの指輪。
「売って金にでもするかぁ?」
光にかざせば、きらりと光る。けれど、その指輪には茶色い血がこびりついていて、それがその指輪の美しさを損ねていた。Jはそれをぐっと上着で拭う。指輪は美しさを増し、満足した気持ちで頷く。
それを誰かに見られる前にすっとポケットの中にしまった。なんなら、今から一晩過ごす相手にくれてやってもいい。しかし、このイライラした調子でバーに行って口説いたとしても、戦績はよくないだろう。馴染みの娼婦に電話をかけた。
「ミランダ? いや、お前はサイコーだって。最近は忙しかったんだ。それに今日は土産がある」
コロコロとポケットの中、手慰みに弄ぶ指輪を思い出す。売るのもいいが、たまには付き合いの長いイイ女に使ってやるのも悪くない、ふっとそう思った。
「やめとけ」
後ろから声がかかる。えっと、と思って振り返るが、そこには見慣れた薄汚い建物だけ。人どころか、犬一匹いなかった。
「……っかしいな、誰かいる気配がしたんだけど」
Jは、首を傾げながらも、再び足を進めた。