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Duel×Jewel  作者: 明巣
アメジストの憂鬱
3/33

アメジストの憂鬱3

「ヘイ! ヘイ、ミック!」

 マイケルは、大声で自分を呼ぶ声に叩き起こされた。ひたひたと、何かが頬をはたく感触。パチリと目を開けると、チラチラと目の前で銀色の十字架が揺れる。それが遠ざかると共に見える、見慣れない天井。ぐらぐらと無造作に揺さぶられる体に呻く。

「……ぅっ……」

 意識が徐々にはっきりとしてくる。べったりと肌に張り付くシャツが気持ち悪い。全身汗でびしょびしょだった。体を起こして横を見ると、見慣れない顔がそこにあった。彫りが深く、男らしい顔立ちの彼は、少しだけ眉を寄せていた。彼の胸元に光る銀色。起きた瞬間視界を掠めたのは、どうやら彼のネックレスだったらしい。

「……J、どうかした……?」

「てめぇのいびきが煩くて起きたんだよ」

 けっと吐き捨てて、彼は寝起きで乱れた髪をかきあげた。

「え、あ、ごめん」

 生まれてこの方、いびきをかいてるなんて聞いたことないぞ、と怪訝に思いながらもつい謝ってしまった。たらりと汗が額を伝い、目に入る。痛みに目を閉じ、擦る。張り付いた前髪を避ける。汗が冷えると共に、すぅっと心の中の何かが落ちていく感じがした。

「……もしかして、うなされてた?」

 思いついたまま、尋ねる。そういえば、嫌な夢を見ていた気がする。それならば全身汗だくなのも頷けるし、Jがわざわざ声をかけてきたのも分かる。Jはマイケルの問いには答えずに、コーヒーを淹れ始めた。

「泥水みたいな不味いコーヒーでも、ないよりマシだろ?」

「貰えるだけで十分だよ、あとでシャワーも借りたいんだけど……」

「右手のドア」

 マイケルは、シャワーを浴びて、コーヒーを飲んだ。喉を下っていく黒い水は、苦く、不味く、それでも確かにマイケルの体を潤す。ほっと一息。服は結局上下ともJの物を借りた。丈こそ少し足りないが、体格のよいJのその服に、どこか着られているような感じになり、大笑いされる。そんなJに怒りながらも、久しぶりにマイケルの顔に自然と笑みが浮かんだ。



「それで、今どこへ向かってるの?」

「ふぉふぉへんへひふぉふぁらひひへふはふほほほ」

 ベーグルを口いっぱいに頬張り、もぐもぐしながらJは答えた。頬が膨らんでまるでリスかハムスターといった齧歯目のようだ。もちろん、そんなに可愛くはないが。

「汚い……」

 マイケルは眉を寄せ、嗜める。Jは嫌そうな顔をしながらもぐもぐ、ごくりと口の中の物を飲みくだし言った。

「うるせー」

「で、どこに?」

「この辺で人攫いしてるやつのとこ」

 そう言って再び口を大きく開けてベーグルに齧り付く。緊張感の欠片もなかった。ピリピリとしているマイケルが、まるでバカみたいだ。それとも、スラムじゃ皆こうなのか。

「ミック、お前は食わないのか」

「……せめて落ち着けるところで食べたい」

 歩きながら食べるなんて、行儀が悪いし、何より忙しない。そう思って首を振ったが、Jは手に持ったベーグルを一つ、マイケルに握らせた。

「そんなこと言ってると食いっぱぐれるぞ」

 マイケルは手の中のベーグルを見つめ、口に含んだ。

「不味い」

「なかなかイケると思うんだけど」

 ベーグルは、パサパサとしていて口内の水分を全て奪っていった。ねっとりと口の中がべたつく。なけなしの唾液でなんとか飲み下す。こんなものを美味そうに食べているJの気がしれない。しかし、彼は頬袋を作って美味そうに食べている。

「……ありがとう」

「はふぇふぁふぁひははへはいははは」

「食べてから喋りなよ」

 もぐもぐ、ごくり。

「食べなきゃ力出ないからな」

「そうだね」

 マイケルは頷き、Jの横を歩いた。少しだけマイケルより背の低いJの、頭頂部が目に映る。なんとなくつむじを押したくなって、そんなことしたら怒られそうだとやめる。なんとなく、俺だって身長高い方なのに、と言われそうな気がした。

「J、なんでこんなに良くしてくれるの」

 素朴な疑問を口にした。その疑問を答えるよりも先に、Jは目の前の建物を指さした。

「おい、着いたぞ」

「えっ」

 目の前の建物は、今にも崩れ落ちそうな廃屋。細い道はどうにもドブ臭く、薄汚れている。壁は剥がれ落ちているところも多いし、窓ガラスも割れていて、そもそもきちんとした窓枠すらあったりなかったり、窓のあったであろうところにブルーのビニールシートが貼られていたりする。とても人が住んでいそうな場所には見えない。

「こんなもんだぜ」

「……オゥ……」

 思わず声が漏れる。Jは伸び散らかした雑草が多く生えた中を、ざくざくと踏みしめ、さっさと前に進んでいく。

「あ、ちょっと!」

 足の裏で草が潰されていく。一歩建物に足を踏み入れると、ぬと、と澱んだ空気が体に絡みついた。どことなくかび臭く、湿度を多く含んでいる。なんとなく気持ちが悪くて体をつい払いたくなるような感覚。

 中に入ってしまえば実は普通の内装をしている、なんてことも勿論なく、とても衛生的とは思えないような場所だった。害虫や鼠といったものとの共存が容易に見て取れる。スラムで誰かに殺されるよりも、体を壊す方が早いのではないかと思う。

 ちらちらと周りを見回していると、一箇所だけ解放されていないドアがあった。それを、Jが乱暴に叩く。古ぼけた扉は、どんどんと叩かれる音と共に、軋んだ叫びを上げる。ドアの唸り声が止むと、ぴたりと音はやんだ。ただ鼠の駆け回る音と、割れた窓からひゅうひゅうと風が入る音しか聞こえない。

「……J、ここには居ないんじゃないかな」

 無音と、あまりの生活環境の悪さに耐えかねたマイケルが言うが、Jはその首を縦に振ることはなく、ただ、黙ってその長い足をあげた。

 ガンッ

 振り上げられた足が、ドアに叩きつけられる。

「え、ちょ、ちょっと!」

「誰も居ない場所には、鍵なんざかかってねぇよ」

 マイケルの制止を振り払い、Jは思い切りその足を叩きつけ続けた。

 バキッと嫌な音と共にドアが外れ、開く。ヒューイ、とJが口笛を吹く。中は薄汚れてはいたが、部屋の外よりはまだ人が住めそうな雰囲気だった。ただ、外からの光はカーテンで遮られ、薄暗く、どんよりと滞った空気がむわりと体を包む。物が腐ったような酸っぱい、けれど、どこか奥に甘さの残る不快な匂いが漂っている。どこかその辺のゴミ置き場から拾ってきたような家具が並び、食器なども置いてあることから、人が生活していたことが伺える。Jは何の躊躇いもなくそこに足を踏み入れていく。

「汚ったねぇなぁ……」

「Jの部屋よりはマシだろ」

「俺の部屋はもっと綺麗だよ! こんな物が腐ったような匂いなんかしないし」

 衛生的には、の話だろう。あれだけ物が散らかった部屋と比べたら、ほとんど物のないこの部屋は随分綺麗なものだ。

「ストップ」

 すっとJがマイケルの前に腕を突き出す。反射的にマイケルの足が止まる。

「下」

 周りを見渡すのをやめて、すっと下に目を下ろす。暗がりの中目を凝らすと、何か大きな物が足元に転がっている。

 Jが一番近い窓のカーテンに手をかけた。

「っ…………!!」

「……オーゥ……」

 Jが大げさな素振りで顔を覆った。マイケルは口元を覆い、目を背けてその場にしゃがみこむ。

「どうやら俺たちの尋ね人はコレみたいだ」

「……ぐっ」

 マイケルは喉のところまで上がってきた物をなんとか飲み込み、ふぅ、と息を吐き出す。部屋一体に広まっていた不快な臭いは、腐臭ではなく、死臭。そこに転がる遺体は、まだ腐っている場所もなく、人が倒れているだけにも見えるが、その頭の周り、広がり、固まった茶色い液体とその強烈な匂いから死んでいるのだと明らかだった。彼の右手には、おそらく自分の頭をブチ抜いたであろう、黒い拳銃。

 流石のJも、顔を歪め、目の前の空気がなくなるようにと手を鼻の前で振りながら窓を開けた。

 外の空気は、清浄とは言い難いが、それでもこの部屋の空気に比べたら、自然あふれる森の空気だってかなわない位に新鮮に感じる。新しい空気を吸うと、少しだけ気分がマシになった。

「さて、と」

 Jはおもむろにしゃがみこみ、死体の体をまさぐり始める。マイケルは慌ててその腕を掴む。

「ちょっ……!」

「なんだよ」

 Jは怪訝な顔をした。何一つ疑問を持っていない顔。マイケルは愕然とせざるを得なかった。

「あのなぁ、ミック、手がかりがなかったらお前の姉貴の居所もどうにもならないんだぜ?」

 肩をすくめるJに、マイケルは思わず納得しそうになりながらも、一言だけ尋ねた。

「なら、なんで金を尻ポケットに?」

「死人にゃ必要ないからさ」

 悪びれずに言うJに、マイケルは吐き気を堪えながらも溜息を吐いた。これ以上気分が悪くなりたくもない、視線を周りに移す。棚の下の狭い隙間に、キラリ、と何かが光ったのが見えた。普段なら見落としたであろうそれが、妙に気にかかってマイケルは棚の下に手を突っ込んだ。カツン、と指先に触れる金属の感触。

「もう少し……っ」

 骨がゴリゴリと棚に擦れるのも気にせずにマイケルは指を引っ掛け、それを取り出した。

「……これは……!」

 マイケルは息を呑んだ。声を上げたマイケルの横から、ヒョイとJが顔を出す。マイケルの手のひらからそれをつまみ上げ、興味深そうに見つめている。

「随分渋い指輪だな、しかも割れてる」

「それ、レベッカのだ……」

 マイケルは、どくどくと鳴る心臓を抑えながら、上ずりそうになる声をなんとか抑えて言った。

「あぁ、お前の姉さんのか。マラカイトなんて、意外だな、もっと高価な指輪つけてると思った」

 その指輪は、レベッカが好んで付けた指輪だった。真ん中に、緑色の石がはまっている。高い宝石でも、彼女が愛する赤やピンク、黄色といった鮮やかで華やかな色でもない。けれども、なぜか彼女が愛して止まない指輪。

 彼女が愛したその石は、今や真ん中からぱきりと無残に割れている。

「割れて危険を知らす石。ちゃんと仕事したみたいじゃないか。知らせるだけで避けてはくれなかったみたいだけど」

「冗談言ってる場合じゃないよ! これじゃあ、レベッカが結局どこに行ったのか分からないじゃないか」

 ハ ハッとマイケルの気も知らずに笑い、おどけるJに、マイケルは目を吊り上げた。

「ザッツライト! さぁどうする、ミック。俺はこの辺の人攫いは知ってても、そいつが一々どこに女を売り飛ばしたのかなんざ知らないぜ?」

 すっとJが真顔でマイケルを見る。マイケルの心臓が、ドクリと音を立てた。

「じゃあ、どうすれば……!」

「まぁ待てよ。手出せ」

 Jは、ぐいっと拳をマイケルに突きつけた。マイケルは促されるまま手のひらを出す。その手の上に、ころりと何かが転がされた。キラリと光る指輪。紫の石が、キラキラと輝く白い石に囲まれている。マイケルは、それを光のもとでじっくりと見た。

 キラキラ輝くアメジストに、こびりつく茶色いもの。きっと、男の血だ。アメジストが血を吸って輝いているように見えて、少し気味が悪い。

「……傷もないし、綺麗なアメジスト。周りは……ダイヤだね」

「みたいだな。アメジストだから高価といってもたかがしれているが、それでも売ったらいい金になりそうな出来だな」

 この、金の亡者め! 口に出しそうだった言葉をごくりと飲み込む。

「……まぁ、冗談はさておき……」

 絶対冗談じゃなかっただろ、とマイケルは再び言葉を飲み下す。

 Jは、そんなマイケルの様子を無視して、はっきりと、俺は、と一言一言区切って言った。

「俺はお前の姉の行方は知らないぜ? けど、きっとソイツは知ってる」

 にやり、とJは唇を釣り上げる。そして、パチンと指を鳴らして、そのままマイケルの手の中の紫の宝石を指さした。

「ヘイ、J。いささかキザが過ぎるよ?」

「冗談。女だったら惚れてるぜ?」

 Jはパチンと綺麗にウィンクをしてみせた。その嫌味な位に愛嬌のある女たらしの雰囲気に、マイケルは溜息が漏れた。しかし、そのJの顔が、一転、きゅっと締まり、眉が寄せられた。

「ジェ……」

「しっ」

 Jがその指を口元に当てた。先ほどまでの調子のいい顔はなりを潜め、その目は鋭い光を放っている。マイケルはきゅっと口を噤む。耳を澄ませば、Jが黙った理由が分かった。話をしていて気付かなかったが、カツン、カツンと響く足音。それは言われなければ分からないほどの小さな音。それは徐々に大きくなり、こちらに近づいてくるのが分かった

「……まずい」

 Jが舌打ちをして、空いた窓から身を乗り出す。左右を伺い、こくりと頷く。

「伝って隣の部屋行くぞ、ドアの外に出たらバレる」

「えっ……!」

 ここはある程度の高さがある。落ちたらことだと思うが、Jは躊躇いなく窓の外へと踊り出た。マイケルは驚いて窓に近づく。Jは器用に窓の外、細い出っ張りを伝って隣の窓へと辿り着いた。隣の窓は運良く割れていて、入ることは容易いようだ。割れている部分に自分の着ていたジャケットを被せてカバーし、Jは隣の部屋に飛び込んだ。

「ミック!」

 声を潜めたまま、Jが隣からマイケルを呼ぶ。うっかり下を見てしまい、マイケルはごくりと唾を飲む。コツリコツリと足音はその間にも近づいてくる。

 えぇ、ままよとマイケルは身を乗り出し、窓の外の細い出っ張りに足をかけて壁を伝った。そよそよと吹く風はやけに強く感じるし、バランス感覚がない訳でもないのに、自分が揺れて感じた。じわじわと伝っていく間、それはほんの少しだったはずなのに、やたらと長く感じられた。窓枠に手をかけると、もう片方の手をJがしっかりと握り締め、ぐいと引いた。

 トン、と床に足がついた瞬間、ぐらりと揺れた気がした。崩れ落ちるなんてことはなかったが。足の力がうまく入らなかった。マイケルは自分の手がじっとりと汗で濡れていることに気がついた。Jは相変わらず野生の獣みたいに研ぎ澄まされた様子で隣の部屋の気配を伺っている。

 ガタガタと音がして、隣の部屋で誰かが何かを漁っているのが分かった。

「……今のうちに逃げるぞ」

「……OK」

 声がうまく出なくて、情けなかった。Jは左右を伺い、部屋の外へと駆け出した。その足音に、隣の部屋から男が現れる。マイケルは思わず振り返ってしまったが、J強く腕を掴まれ、手を引かれるままに全力で走らされた。後ろから聞こえる銃声。うっかり立ち止まっていたら、とぞっとした。

 そこからは、ただひたすらそこから離れるべくしばらく走った。どこをどう走ったかは覚えていない。マイケルは、ただJの後をついていただけだった。


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