第八十三話 多久攻め
大まかな方針を定めて準備を進めて行と、徐々に先のビジョンが鮮明になって来る。
以前より多久藤兵衛に対して挨拶状を送ったり使者の往来を促したりしているが、返答は無い。
その中で恭順を求めるような使者を出したりもしたが、全て黙殺された。
ただ、沈黙を守っているだけと言う訳ではないようだ。
戦支度を進めているという情報が入って来たのだから。
今回の杵島郡に手を入れるに当たり、西持院の力を大いに借りることにしている。
大小さまざまな山が連なる杵島郡・松浦郡・藤津郡。
修験者たちにとっては、正しく己が庭の様なもの。
情報収集以外にも色々使うことになるだろう。
多久の状況を知らせてくれたのも、修験者たちの一派だった。
もちろん、こちらから依頼したものもあるが。
院に寄進したり、領内の諸式を認めたのは大きかったようだ。
さて、多久は戦支度をするにあたって各地へ使者を送り出している。
俺たちはその送り先を確認し、彼らがどういった動きを見せるか注視しなければならない。
多久の使者が走った先は、近隣の小領主から遠方の大名まで様々だ。
佐賀を横目に、山内は神代が下にも走らせたようで。
小河筑後が大いに目を光らせていた。
神代については一旦置いておこう。
問題なのは、平井や後藤といった杵島郡で力を持つ者。
そして彼杵郡・高来郡の有馬と、松浦郡の松浦や鶴田と言った者たちだ。
彼らは勢力が大きく、龍造寺から見て敵性が強い。
後藤以外は仇敵だしな。
まず、多久と協調しそうなのは有馬と平井で間違いない。
後藤も気になるところだが、今のところ静観の構えを崩していない。
戦支度を始めている気配もないしな。
松浦はちょっと遠い上に本家と分家の間が微妙な感じに。
彼らの力関係は明らかだが、見えるか見えないか程度での援助を続けている。
時折居る密使の類を切り捨て、相互不信を煽ったりしてな。
鶴田は松浦なしで、単身で動ける程の力はない。
一貫して当家に加担してくれる相浦が牽制してくれてるし、問題はない。
藤津郡の小領主たちは、俺たちに付くと確約した音成から使者が来たと通報があった。
有馬の動向の連絡と一緒に。
今回、小領主たちは音成を中心として纏まっている。
だが彼らは彼らなりに、横の繋がりを基軸として上手く世を渡らねばならない。
有馬の動向はこちらに来たが、こちらの動向も向こうに行っていると考えるべきだ。
そこは深く突かず、適度な距離感を保っておくのが良いのだろう。
さて、その有馬の動向であるが。
納富石見など、諸般の情報と摺り合せてみると良い感じになる。
高来郡を基盤にして彼杵郡にも勢力を広げている有馬だが、完全に統一出来ている訳じゃない。
面従腹背を匂わせる輩も、少なからず居る訳で。
ここに付け入る隙がある。
西郷や大村、福田あたりに不穏な動きがあるといった噂を撒く。
現地に潜ってる当家の者たちを使い、ちょっとした動きを見せることで信憑性を持たせるなど、小細工も欠かさない。
ある程度でも惑わされてくれれば、動きも鈍ってくるだろう。
こうして有馬を中心とした、藤津郡と彼杵郡から多久へ加担する勢力は削ぎ落した。
同様に、平井も動けないよう手を付ける。
平井に近い白石だが、彼らは互いにちょっとした不満を持っている。
そして白石は前田伊予が親しく付き合っている。
煽る内容としては不足なし、だ。
とは言え、すぐに白石と平井の間で諍いが起きるのは良くない。
今は多久に注力する場面だからな。
二者間で不協和音が奏でられれる、その程度が良い。
平井が白石討伐に動かない程度に留めていると思うが、もしもの時のために手は打っておこう。
そして神代は、流石に動きを見せることは無かった。
つまり、機が巡って来たと言うことだ。
* * *
改めて、多久へ挨拶に来るべしと通達を出した。
とは言え、本当に挨拶に来られたら出鼻を挫かれてしまう。
よって、万一がないように遥か上から目線で高圧的な文言にしておく。
通達の使者は円城寺吉蔵。
千葉介殿に仕える名家の一族だが、元は修験者で身体能力が高い。
とは言え、流石にこの役目は危険だからと一旦は止めたのだが。
本人の強い希望と、千葉介殿の勧めもあって行かせることにした。
無事帰還した時、彼が言うところはこうだ。
多久藤兵衛に面会したが、城内にはどことなく疲れた雰囲気が漂っていた。
書状を渡し、読み進めるうちに多久藤兵衛は激昂。
周囲の重臣たちに使者を斬るよう指示。
重臣たちの動きが一拍遅れた隙に、円城寺吉蔵はすぐさま身を翻し脱出した、とのこと。
無事の帰還に加え、城内の雰囲気を察したのはお手柄だ。
事実として多久は使者を斬ろうとした。
俺はこの非を鳴らし、多久攻めを決定した。
* * *
多久は交通の要衝だ。
その為、当然城の守りも固い。
周囲には山や森が広がり、多くの軍勢を通すのは難しい。
つまり、攻め難く守り易い地形だと言う事。
そうすると、守勢に徹し援軍を待つ心積もりだと推測される。
実際城門を開いて突出してくる気配もない。
これらは十分予想され、事前に下調べと準備をしてきている。
しかし敵の援軍はそうそう来れない筈だが、平井などが無理して出てこないとも限らない。
だから時間をかけずに城を落とさねばならない。
そのための準備もまた、進めてきたのだ。
多久の城は天然の要害だが、こちらには頼もしい味方がいる。
円城寺吉蔵が率い、鍋島飛騨が協力して用いる修験者だちだ。
彼らにとっては山も森も庭木も同然。
支城との連絡を絶ち切り、守ろうと動いた奴らは全て消し去った。
当初の予定通り籠城することになった多久藤兵衛だが、こっちは別に攻めあぐねている訳じゃない。
向こうからすると、窮余の籠城といった様だ。
そして、ギリギリで籠城した相手への切り口と言うのもは、多々あるものだ。
───ッ
少し、苦い思い出が走った。
寸での所で表に出さないよう、無理矢理飲み込んだが。
今は、そう言う場面じゃない。
言い聞かせて城方を睨んだ。
* * *
多久へ攻め入ってから暫らくすると、城の門が一つ開いた。
すぐに、門前にいた前田伊予の部隊が我先にと突入する。
籠城する敵を崩すのは、内側から崩すのが常道だろう。
前田伊予はかなり前から切り崩し工作を続けていた。
本当は重臣へも工作をしたいところだったが、適当な人物がいなくてな。
前田伊予の遠縁に連なる者が、丁度門番の役に居たのでそっちを使ったと言う訳さ。
穴が開いた城は脆い。
多久藤兵衛や重臣たちが気付いた時には既に手遅れ。
成松刑部や鍋島飛騨が大いに張り切り、触発された皆も我先にと乗り込んでいく。
結果、城内は混乱の極みに達する。
武器を捨てて投降する者は押さえ、意地で向かって来る者は行動不能に陥らせた。
そんな乱戦の最中、多久藤兵衛も討死した。
城主討死の報せを受けた多久の兵は、なおも反抗する者はおらず事態は収束。
大人しく降服した者は命を保障、逃亡を図った幾人かは全て捕縛されるか討ち取られた。
こうして、多久攻めは無事に終わりを告げた。
台風の影響と最悪を見越して急ぎ投稿してみました。
実に半年とちょっとぶり。
間が空き過ぎて色々ふやけてます。
また以前並の硬さに戻せるよう、気を付け詰めて行きたいです。




