第八十二話 杵島郡
神代の動きがある程度読めるようになったので、俺たちは次を目論んだ。
具体的には杵島郡に切り込もうと言うもの。
その第一歩にして最大の目標は、多久だ。
* * *
多久の領主、多久藤兵衛は俺たち龍造寺家にとっては仇の一端。
また、少弐譜代の家柄でもある。
いずれ滅ぼさねばならない相手と言って間違いない。
とは言え、戦を仕掛けることまでは想定してない。
今はまだ、な。
様子を探り、状況を見極め、周囲を引き剥がして当事者のみ裸にしてしまう。
そうして初めて、戦を仕掛けることになるのだ。
ま、それも目論見でしかないがな。
多久のことを探ると同時に、杵島郡とその周辺の領主たちのことも探らねばならない。
藤津郡や松浦郡東部の者たちがその主な対象になる。
特に、有馬をバックに持つ輩は要注意だ。
こちらが動く間に奴らが何もしないなんてことは、まず有り得ない。
旧少弐衆と共に、色んな策動を行っていることは掴んでいる。
納富石見の手の者と共に、修験者たちは有用だ。
特に西持院の網は大きくて、非常に助かっている。
千葉介殿や鍋島飛騨らと上手く協調して統制してくれ、有難いことだ。
折を見て寄進とかしないといけないだろうな。
* * *
さて、杵島郡と言えば大きな力を持つ後藤がいる。
後藤は俺たちにとって友好勢力とはまだ言えないが、明確な敵対勢力でもない。
多久や平井とは違うのだ。
前田伊予からの報告では、入り込む隙もありそうとのこと。
差し当たり、無理をしない程度に進めておくように指示しておいた。
そう、杵島郡にはあの平井も居るのだ。
多久以上に仇敵の平井が。
何せ平井は少弐一族であり、何より新五郎兄貴の直接の仇。
多久と平井は滅ぼす。
この方針は変わらない。
家臣たちも何も言わなかったから同感なのだろう。
……ま、同時に攻め滅ぼすのが無謀なのは承知している。
まずは攻め易きを攻める。
つまり多久だ。
このように、散々多久を貶めているように聞こえるかもしれないが、別に多久が弱い勢力な訳ではない。
仮にも杵島郡の要衝を領して、そして今まで生き残っている。
無能には務まらない。
それなりに有能なのは間違いないのだ。
まあ、それでも。
比較対象が悪いと言うべきか。
後藤や平井に比べれば、その格は幾らか落ちると言うのが俺たちの見解だ。
弱くはないが強くもない。
そして友好の兆しはなく、元より仇たる存在。
更にその領地は杵島郡の要衝ときている。
攻める以外の手はない。
* * *
取らぬ狸の皮算用と言われるかもしれないが、多久を滅ぼせば様々な展望が開ける。
後藤とは手を結ぶ余地があるし、平井や有馬に対する牽制にもなる。
藤津郡への侵食加勢も考えられる。
更に、松浦郡への足掛かりになることも確実と言えよう。
その松浦郡東部を通じて、筑前国へ回り込むことも可能となる。
可能であれば、この道が開けると同時期に筑前秋月との道も拓きたい。
そうすれば神代を完全に抑え込めるし、即ち少弐の命脈を絶つことにも繋がる。
大友からの圧力が掛って来ることは間違いないだろうが、その為の布石も幾つか打って来た。
筑後国や肥後国の存在が鍵になるだろう。
おっと、少し話が飛んだな。
戻すとしよう。
杵島郡を獲るには、まず多久を滅ぼす。
次に平井。
後藤や白石は状況次第。
特に後藤とは、出来れば手を結びたい。
藤津郡の音成は小領主ながら、こちらに付くことを確約している。
松浦郡の草野、相浦も友好的だ。
よって、杵島郡を制することが肥前北部を制することへ直結するのだ。
是非とも成功させたい。
と言う訳で、前田伊予には頑張って貰わねばならない。
千葉介殿にも協力して貰おう。
窓口は成長を促す意味も込めて、鍋島飛騨に任せてしまおうか。
猪突はイカンから、千葉介殿以外の誰か老練な者も付けて。
* * *
さて、杵島郡方面は大体このくらいか。
あとはその他の誼を通じるべき相手についてだが。
秋月や草野などは勿論、隈部や筑後国の諸将も同様。
それよりも、重要視すべきなのが中国地方の毛利・吉見の両氏だ。
向こうからすれば、俺たちは東肥前を領したとて重要度の低い相手であるのは間違いないだろう。
地理的な問題もあるしな。
それを理解した上での誼とする。
さもないと、半端に期待を持ってしまいかねないからな。
まあ、杉弾正と繋がることが出来ればまた変わって来るかも知れないが。
現状では如何ともしがたい。
あと、俺が知る毛利陸奥は油断ならない相手だ。
だから相手は備中守に絞るつもりだ。
毛利家に対しては、右衛門や陶兵庫の伝手がある。
吉見に対しても、亡き大内様との繋がりを主軸に接すれば良いだろう。
あちらがどのように動くかまでは流石に分からない。
しかし、概ね予想通りになりそうな気はしている。
その辺りを見据えて、杵島郡と筑前国への進出を練って行かねばならない。
戦で大切なのは前準備。
分かっていたつもりだったが、身代が大きくなって尚更身に染みる。
多少の失敗はつきものだが、大コケしないよう細心の注意を払って行くとしよう。
初めての作品「肥前のクマー(並盛)」を投稿してから一年が経過しました。
当時は、このようなことになっているとは夢にも思いませんでしたが。
時の流れは早いものですね。




