第七十八話 大宴会
「よ、ご両人。楽しんでいるかい?」
奥さんに軽く絞られ逢瀬を楽しんだ後、俺は披露宴の主役の下へ向かった。
なお、彼女には後から娘たちを連れ、一緒に来るようお願いしている。
「あ、義兄上!」
「これは義兄上様。」
雛壇に座するは、我が愛すべき義弟とその妻である。
もう一人の義弟である久右衛門は、来客やらの対応に追われているようだな。
うむ。
こういった対応をこなすのもまた、一人前への道だ。
超頑張れ!
もう少ししたら奥さんと娘たちも来るだろう。
それまで雑談して過ごす。
* * *
しばらくして奥さんと娘たちやって来て、俺の愛する家族が勢揃いした。
俺と奥さんと於安、そして於珠。
まあ於珠はまだ乳飲み子であるので、乳母が抱いて控えているのだが。
そして安房守と凛ちゃんに、妹の於辰。
あと鍋島豊前と於久の夫婦に加えて、鍋島飛騨と高木肥前だ。
「では改めて。おめでとう!」
「「「おめでとうございます。」」」
「はい。ありがとうございます!」
俺の音頭に合わせて皆が倣う。
そして摂津守が満面の笑みで対応してくれた。
於絃も微笑み、頭を下げていた。
* * *
「摂津守には大きな苦労をかけた。
この正月を穏やかに迎えることが出来たのも、其方のお陰だ。」
「そんな!勿体ないお言葉です。」
「だからそんな義弟を支えてくれている、於絃にも感謝している。」
「…いえ。今後も微力ながら、殿をお支えしていきたく存じます。」
「そうか。頼んだぞ。」
「はい!」
うむ。
控え目ながらも力強い発言で、頼もしい限りだ。
「その様子なれば、子の誕生もそう遠くはなさそうだな?」
からかう様に告げれば、顔を赤くして俯いてしまう。
おおう。
これはまた可愛らしいのう。
「義兄上、その辺で。」
摂津守が苦笑しながら窘めてくる。
困った於絃を守ろうとしたのだろう、良い夫婦振りだ。
「素敵な御夫婦ですね、兄上様!」
目をキラキラさせながら於辰が言う。
それに頷きながら、視界の端に奥さんが鋭い眼差しで俺を睨んでいるのを確認した。
嫉妬ですね、分かります。
今夜辺り、また水入らずで過ごす必要がありそうだ。
「父上、何か楽しそう。」
含み笑いをしていると、於安にバレてしまった。
「皆が幸せで、嬉しいのだよ。」
そう言って於安に笑いかけると、於安の笑顔がまた弾けた。
よしっ、良い笑顔。
家臣領民もそうだが、やはりまずは家族の笑顔が曇らないよう精進せねばなるまいな。
* * *
「そういえば、安房守様の祝言もまもなくとか?」
場が温まって暫くすると、鍋島豊前が問いかけてきた。
「そうだな。
安房守と於凛殿の祝言を、この流れのまま執り行うぞ。」
摂津守と於絃の披露宴が終わったら、安房守と於凛の祝言に移る。
その後更に、そこにいる鍋島飛騨と、高木肥前の義妹との祝言に入る。
また、時を置かず家臣たちの祝言を進める。
特に百武志摩と於藤については、俺が仲人を務めることになっているからな。
これらを、出来る限り纏めてやってしまおうと言うのだ。
合同結婚式とは言わないが、同時多発的に行ってしまおうと言う計画である。
ついでと言ってはなんだが、成松兵庫と西村新十郎の養子縁組と、その元服式も執り行う。
これらが全て終わった頃、神代清次郎らがやって来る見通しとなっている。
と言うか、やって来る頃までに終わらせようと仕組んだのだが。
まあ神代の人j…もとい、遊学来訪はまだ多少前後しても構わない。
今年一年は、戦の無い平和な一年とすることが目標だ。
戦が無くても色々と金は掛る。
中長期計画を練っておかねばならない。
* * *
摂津守夫婦の披露宴が終わり、続けて安房守と於凛の祝言がこれまた盛大に執り行われた。
挙式ののち於凛は安房守の屋敷に入り、これを機に於辰は俺が引き取ることにした。
そして鍋島飛騨も一門衆の一人として、佐賀城にて祝言を挙げた。
相手は高木治部の娘・於景である。
十代後半の花婿と十代半ばの花嫁。
うん。初々しくて良いね。
なんせ俺の時は…いや、なんでもない。
次いで、木下伊予の娘と木下四郎兵衛の祝言にも参加。
餞別を贈り、偉そうに祝辞を述べておいた。
そして本命。
百武志摩と於藤の祝言である。
仲人と言えば、当主に成ったばかりの頃に鍋島豊前の祝言で務めたことがあったな。
随分昔のことのように思える。
あの時はまだ右も左も判らなかった為、納富石見の言うがままに進めていたものだが。
今はその納富石見も佐賀にいない。
そして、俺は既に当主として幾度も祝言などに参加している。
経験も十分積んで来た。
仲人など最早、恐るるに足らず。
いざ往かん!
* * *
……江副安芸の助言は的確で、実に助かるなあ。
* * *
こうして俺は、正月から一族と家臣たちの祝言に至るまで。
大宴会とも言える、催しを滞りなく実行することが出来た。
その陰で、城内の表蔵が空になってしまい怒られたしたが、大過なく過ぎ去ったと言えよう。
全体での蓄えは、まだ一年越せる程あるから大丈夫なんだけどなぁ……。
天文二十三年(1554年)死去
尼子国久、尼子敬久、尼子誠久、河野続秀、斯波義統、
内藤興盛、細川元常、本願寺証如、宮川房長




