第七十四話 論功行賞 譜代
次は家老衆と譜代たちについて、大まかに抜粋しよう。
まずは執権の二人に関して。
納富石見は、家督を譲りたいとのことだったので認めた。
尤も、悠々自適に隠居するつもりはないようで
「隠居してなんとする?」
「いえいえ。出家し楽隠居の身として、藤津や松浦を旅したいと思いましてな。」
とのこと。
要は、安定した佐賀に居るよりも、その伝手力を駆使した動きをしたいとのことだ。
……まあ、良いか。
「では左馬助。但馬守を以って任じる。また一字を与える故、信景と名乗れ。」
「謹んで、承ります。」
「また、石見の跡を継ぎ執権職を命ずる。」
「ははっ」
執権は世襲制ではないが、敢えて外す理由もないので継続して納富但馬に任せることにした。
昨年嫡子も生まれたことだし、益々頑張って貰わねばな。
さて、同じく執権の小河筑後だが、こちらはまだ隠居するような歳ではない。
その嫡子も立派に務めていることだし、問題ない。
代わりと言っては何だが、先の戦で活躍した彼の弟たちにも加増し、代官職を与えた。
* * *
その他の家老連中には、その働きに応じた加増と与力職の任命を。
特に播磨守の嫡子と、江副安芸の養嗣子に一字を与えた。
播磨守も江副安芸も、これまでの働きから執権にとも少し考えた。
しかし、執権職は三人も四人も付けるような職位でないことから断念。
ほとんどの場合は一人であるようだし。
まあ、已む無し。
* * *
次に鍋島家について。
「鍋島孫四郎。豊前守を以って任じ、一字を与える。豊前守 信房と名乗るが良い。」
「はっ。有り難き幸せ!」
と言うことで、武功を重ねた従兄弟殿に褒美を与えた。
受領名と俺の一字「信」を。
鍋島孫四郎、改め鍋島豊前には俺の右腕になって貰わねばならない。
「また、右近と犬法師丸の元服を認める。一字を与える故、励むように。」
「御意に御座います。」
また鍋島左近の三男・右近と、鍋島駿河の三男・犬法師丸をそれぞれ元服させた。
彼らの兄たちを見習ってしっかり学び、成長して欲しい。
鍋島右近は今回初陣を果たしている。
タイミングがズレたが、正式に一字を与える機会が必要だったのでこうなった。
彼は、鍋島右京大夫信久と名乗ることになった。
婚約者の既にいたことだし、こちらはすんなりいく。
一方で犬法師丸は、武芸に優れる青年だ。
よって、この際元服させることにした。
鍋島大炊介信友と名乗ることになっているようだ。
また、色々とその辺りを含み見込み、小河筑後の娘と婚約させることにした。
* * *
「時に千葉左衛門大夫。お主の願いは聞いたが、……誠か?」
「はい!」
鍋島豊前の実弟にして、千葉介殿の養子である千葉左門。
彼の願いとは、千葉家の養子を辞して鍋島家に戻ること。
千葉家は小城郡の名家であり大身だ。
その嫡子の座を捨てると言うのは、なかなか出来ないことだ。
しかし千葉左門はそれを願うと言う。
当人が言うには、実子が居るなら継がせるべきであると。
また、龍造寺のために直接働ける立場にありたいとも言っていた。
養父である千葉介殿は承知していたし、実父である鍋島駿河も任せると言ってきている。
むざむざと、という思いはないでもないが……。
「ならば鍋島への復姓を認めよう。」
「はは!ありがたき幸せ。また願わくば、御名を拝領致したく!」
一歩間違えば不敬とも取れる願い。
だがまあ、そういう人間ではないことは十分知っている。
ならば応えねばなるまいな。
「その前に一つ。
既に退いたとは言え、一度は千葉介殿に嗣子と望まれた身。努々忘れるなよ?」
「承知しております。義父より受けた恩。この心身にしかと、刻み込んでおります!」
ふむ。
ならば重ねて言うこともないだろうな。
「では左衛門大夫よ。以後は鍋島飛騨守 信昌と名乗るが良い。」
「御意!身命を賭し、殿へ忠孝を捧げますっ!」
昔日の鍋島豊前を見ているかのようだ。
今はすっかり落ち着き払ってしまったが、血筋ならば彼もそうなるのだろうかね。
千葉左門、改め鍋島飛騨には、まずは旗本として取り組んでもらおう。
鍋島家も隆盛の兆しが見えてきたな。
皆優秀そうだし、良いことだ。
「ああ、それと。」
「はい。」
「以前千葉介殿とは少し話したが、そなたに嫁を取らせる。」
「はあ。」
相手は高木治部の娘。
即ち、高木肥前の義妹に当たる。
こういった縁は、結構馬鹿に出来ないものだ。
当人は気のない返事をしているが、サクサク進めておくとしよう。
鍋島家は数世代に渡り、使えそうな人材が揃っている。
従兄弟で幼馴染でもある鍋島豊前を中心に、今後頑張って欲しいところだ。
* * *
一字下賜、少し乱発気味な気がしなくもないが、まあ大丈夫だろう。
なにせ一つの指標として、主従を名に表すと言うのは判り易いからな。
とは言え、中には一字を固辞する輩もいる。
通常であれば不敬となるが、色々事情もあるようだ。
無理強いは出来ない。
* * *
時に、譜代と言えばおじい様の時からの鍋島一族に並ぶ譜代がいる。
忘れてはならない、石井党だ。
俺の側近である石井尾張に、旗本として筑後にも随行した石井刑部を中心に。
石井党当主である石井兵部。
その弟である石井長門に石井伊予。
同じく従兄弟に当たる、石井石見と石井孫三郎
石井尾張の兄である石井三河と石井駿河、その次男・蔵人など。
なお、石井党前当主である石井和泉は、少弐屋形が自刃するのを見届けると病没した。
他にも、石井三河と石井駿河の嫡子がそれぞれ先の戦で戦死している。
そこで、石井尾張と石井刑部には別家を持たせ、石井三河と石井駿河にも家を興させる。
その上で、石井兵部を石井党の総領として更に加増し、まとめさせることにした。
石井党はおじい様の代からの、有力な支持母体だ。
納富治部の妻は石井兵部の娘であるし、地盤として非常に頼もしい存在だ。
石井刑部と言った若い世代にも、優秀な人材が豊富に育っている。
鍋島と石井は、ある意味で俺の両輪となるべき存在である。
彼らの期待も大切にしていきたいものだ。
一区切りまで、あと少し……




