第七話 還俗と元服
龍造寺再興への道筋についての説明を受けてから半年とちょっとが過ぎた。
年は明けて天文十五年、俺は十七歳となった。
この半年間、おじい様と宮内大輔様たちは精力的に動いていたようだ。
雅楽頭様は一年近く前から筑後を出て筑前に入り、大宰府へ赴き大内の筑前守護代へ接触を図っていた。
また、肥前に残った龍造寺党とも言える旧臣たちと連絡を取り合っていた。
おじい様はその股肱である鍋島駿河や石井和泉・石見兄弟らと連絡を取り、
宮内大輔様も宗家の老臣である納富石見や小河筑後らと連絡を密にし、復権に向けた調整を進めていた。
次に半年前。
雅楽頭様は大内の筑前守護代と接触を果たし、協力を得ることが出来る運びとなった。
その連絡が来たことから俺たちも呼ばれ、今後の道筋を会議することとなったらしい。
もっとも実際の会議は事前に家臣たちとの間でなされており、俺たちは報告を受けただけだったのだが。
そして現在。
おじい様と宮内大輔様たちはついに戦準備を始めているようだ。
雅楽頭様は遠く周防まで赴き大内様に面会、宮内大輔様を豊前守へと任官させることに成功した。
つまり大内様は、龍造寺の後ろ盾となることを確約したのだ。
これを確認したおじい様と宮内大輔改め豊前守様は、旧臣たちと連絡を密にし挙兵の準備を進めていた。
* * *
おじい様たちの動きを知った俺は、彦松や孫九郎、久助君らと共にこれまで以上に勉学に打ち込み、堀江兵部に頼み込んで武家としての鍛錬も行っていた。
そうして先日、戦準備のことを知った俺たちはある決意を胸におじい様を訪ねた。
起居する屋敷の仏間にて、おじい様は座禅を組み瞑目していた。
「揃いも揃って…、如何した?」
おじい様の後ろに正座して並ぶ俺たちの気配に気付き、声をかけてくる。
まだこちらに振り向く気はないようだが。
…まあいいか。
このまま俺たちの気概と決意を表明することにしよう。
頷き合い、俺が代表して声をかけた。
「此度はお願いがあって参りました。」
無言で先を促されたので、
「還俗致したく、お願い申します!」
簡潔に告げた。
「…左様か。」
暫時無言の後、おじい様はポツリと零した。
「仇を討ちたいと、そう申すのじゃな。」
「いかにも、左様でございます。
されど!
憎しみ故ではございません。
…私は新五郎様のような人になりたい。
何者にも隔てなく接し、率先して皆を引っ張り、下の者にも優しい。
そのような新五郎に理想の人物像を見た故に。
その為に、私は還俗し武将となり第一歩を踏み出したいのです。」
一気に言い切り、深く頭を下げた。
おじい様は依然として動く気配はないが…
「円月にそれほど言わせるとは。新五郎も果報者よな。」
唐突に横合いから声が響いた。
新五郎兄貴の兄上である豊前守様だ。
「それほどまでに慕われておるとはな。兄として鼻が高いわ。」
豊前守様はそう言って微笑み、
「剛忠様。円月めの心意気、まことに天晴れと申せましょう。」
図らずも援護射撃を受けた形となった。
これに気を強くしたのか、彦松と久助君も追従する。
「爺上様!わっ、わたしくも元服致しとうございますっ!」
「わわ、わたしも、です!」
孫九郎は元服済であるため、静観するかと思っていたが
「祖父様。挙兵の際には私、初陣を飾りたく思います。」
静かにそう告げたのであった。
* * *
俺たち四人が見つめるおじい様の背中は何も語らない。
豊前守様もおじい様の言葉を待っているようだ。
暫し後、おじい様はようやく言葉を発した。
「皆、異見はないか?」
皆?
おじい様に集中していたため気付かなかったが、豊前守様が出てきた箇所にいつの間にか堀江兵部など家臣たちが揃っていた。
「異議なし!」
そして堀江兵部が声を上げるのを皮切りに、異議なしの声が次々と上がって行った。
* * *
改めて、広間に皆が揃った席上でおじい様が話し出した。
「円月のことも含め、今後のことを伝えておく。」
厳しい表情と声音で鋭い気配を醸し出している。
あたかも戦場にいるかのような…。
豊前守様や家臣一同も厳しい表情だ。
「まもなく、我らは兵を上げ郷里に戻る。
ワシは水ヶ江の当主代行としてその兵を率いることとなる。
豊前守殿は宗家当主として別の一手を率いる。
また、ここにはいないが雅楽頭も筑前より攻め込む手筈となっている。」
おじい様の説明に口を挟む者はいない。
誰もが静かに、そして真剣に耳を傾けている。
豊前守様も時折頷きながらも言葉を発することはない。
「そして、この円月を還俗・元服させ水ヶ江の当主に擬する。
孫九郎はその補佐をせよ。
また彦松を元服させ、水ヶ江西分家の当主と成す。
慶法師丸と久助は未だ幼き故、今回の元服は見送ることとする。」
そこで一旦言葉を切り、深呼吸して続けた。
「なお、円月・孫九郎・彦松は当地にて留守居役を命ずる。」
そう言って、おじい様は以上であると締め括った。
つまり、俺たちの決意と希望は半分叶えられ、もう半分は叶えられなかったということか。
「………ッ」
悔しげな吐息は誰のものか。
俺かも知れないし、孫九郎かもしれない。
彦松かも知れない。
元服が見送られた慶法師丸かもしれないし、久助君かもしれない。
そんな俺たちを睥睨し、おじい様は続けて言った。
「父や祖父らの仇を討ちたいと願うその心、誠に天晴れ。
常ならばすぐにでも初陣を許すところである。
しかし!
此度の戦は我の戦!!
ワシの優秀な跡取りと、孫たちを奪われたワシの…、最後の…。
………此度ばかりは、ワシに任せてくれッ!!」
おじい様の激情と悲嘆が籠った言葉にこの場の誰も何も言えず、自然涙を流す者もいた。
それは俺たちも例外ではなく、父と兄を失った孫九郎と久助君は唇を噛んで俯いてしまった。
「……仰せに、従います。」
俺は、そう返す他なかった。
孫九郎や久助君ならずとも父上や叔父上たち、そして新五郎兄貴を殺された激情は大いにある。
今回も機会を得て起つ心積もりであったのだが…。
おじい様の言葉を聞いて尚、我を押し通すことなど「俺」には不可能だった。
「この場は一旦これで仕舞じゃ。円月の還俗と、元服の儀は追って沙汰する。」
豊前守様が言ってこの場は解散となった。
* * *
翌日、俺と彦松は豊前守様に呼び出された。
広間にはおじい様と豊前守様が正面に座り、横に一族や家臣一同が並んでいる。
「一同、大義。」
俺と彦松が対面に座ると、豊前守様が仕切り出す。
「此度は慶事である。
まずは円月を還俗させ、その後彦松とともに元服の儀を執り行う。」
おじい様の直臣で、筑後まで付き従ってきた石井尾張により還俗の儀式が取り仕切られた。
俺は袈裟を脱ぎ、肩衣を身に付けた。
そして続けて元服の儀が行われた。
おじい様より民部大輔の官位を授けられ、豊前守様より「胤」の字を頂いた。
こうして俺は、龍造寺民部大輔胤信と名乗ることとなった。
なお、「胤」の字は豊前守様より頂いたものであるが
「弟・新五郎の胤を譲ることとする。」
という思わぬ粋な計らいをして頂いた。
これにより熱いものが込み上げてきたため、その場で新五郎兄貴の意気を継ぎ立派な武将になることを誓った。
そして彦松は豊前守様より通称・新次郎を貰い、父上の「周」の字を戴き
龍造寺新次郎周光と名乗ることとなった。
筑後に落ちて以来、何かと暗い雰囲気が漂っていたが、この一連の儀式によりある程度は払拭されたように思う。
この儀式の後、そのままおじい様たちが起つ出陣式が行われた。
実際に出立するのは明後日らしいが、慶事のままに事を進めるということらしい。
ああ、だから母上に於与さんや凛ちゃんなど女性陣もいたんだ。
俺たちの儀式としてはやや大げさに過ぎると思ってはいた。
出汁にされたようで少し微妙な気がしなくもないが、別に等閑にされた訳ではないので気にすべきではないだろう。
* * *
そして後日、諸事準備を整えたおじい様と豊前守様たちは出立していった。
天文十五年(1546年):足利義輝将軍宣下