第六十八話 少弐滅亡 中
「我ら、山城守殿に降伏致す所存」
馬場肥前、藤崎筑前、そして少弐彦三郎が俺の前に座している。
「降伏を許そう」
「「有難き幸せ」」
「……」
馬場肥前と藤崎筑前は唱和してお礼を言ってくるが、少弐彦三郎は無言だ。
藤崎筑前がせっついているようだが、全く動かない。
「彦三郎殿は、不服ですか?」
「……いえ」
一応は降伏を承諾して俺の前まで来たのだろうが。
まあ、言わば兄の仇を目前にして平静では居られないかな。
「まあ良いでしょう」
ホッとする藤崎に、我関せずな馬場。
そして睨み続ける少弐彦三郎。
「では、沙汰を申し渡す」
「「「……」」」
「馬場肥前守と藤崎筑前守は、一旦佐賀へ預り。
今後の働き次第で、城や領地を還付するものとする」
「……御意」
「ははっ」
含みがありそうな反応をするのが馬場肥前。
従順そうなのが藤崎筑前。
少弐彦三郎も含めて、三者三様も良いところである。
「そして、少弐彦三郎殿」
「…はっ」
「貴方には、少弐の名を捨てて貰います」
「「なっ!?」」
少弐彦三郎と藤崎筑前が驚き目を瞠る。
一方、馬場肥前は余り興味がなさそう。
これはちょっと、後で話してみる必要がありそうだ。
「少弐は我ら龍造寺にとり仇敵。
滅ぼすべき存在と言えます。
故に、命を助ける条件はその名を名乗らぬことです」
「……それは、いやしかし……」
「それは出来ぬっ!!」
「若っ!?」
「私は誇り高き少弐一族だ!それを捨てるなど、どうして出来ようか!!」
藤崎筑前は諫めるが、少弐彦三郎は若いせいか大いに吠える。
このような場でそのような反応は些か宜しくないが、若さ故として大目に見るとしよう。
いやまあ、年齢的には俺も左程変わらないのだが。
「しかし彦三郎殿。
少弐の氏とは、太宰少弐の役職から来るもの。
現状その名を冠しても、筑前に入ることすら儘ならないではありませんか?」
「っ!それは…!」
「実のない名がそれほど大事ですか?」
「くっ……」
「何も完全なる別氏になれと言っているのではありません。
元の、武藤氏となれば宜しいではないですか」
「そ、それは……」
「それとも……」
「……?」
「有馬や松浦に取り入って、少弐を名乗り続けますか?」
「っ!」
「筑前に渡り、太宰少弐を冠する実利を狙いますか?」
「……っ」
唇を噛んで俯く少弐彦三郎。
俺が言っていることが、どれだけ困難であるか判っているようだ。
存外、周りは見えているようだな。
「仮に、少弐として尚も大友に与すると言うならば已む無し。……御命頂戴致す」
「龍造寺殿!?」
藤崎筑前が堪らずと言った風に声を上げるが、これは仕方が無い。
常から大友は敵勢であるのだ。
しかも他国衆だ。
勝手を許す訳にはいかない。
「……有馬や松浦と、大友が一体どう違うと……?」
と、ここで少弐彦三郎から質問が。
ふむ。
平静を取り戻すのが早い。
まだ十代だった筈だが、中々優秀でありそうだ。
いよいよ大友にだけは渡せないな。
「有馬や松浦、ないし大村などは肥前の同胞故に許せもしましょう。
対して大友は他国衆にして、我が龍造寺の仇敵の一端。
加えて現当主・左衛門督は陰謀で父や重臣を葬るような輩であり、危険に過ぎます」
これが建前。
実際は、有馬や松浦など肥前の国衆であれば、対応がまだ容易である。
色々種蒔きもしていることだし。
一方で大友が出てくると色々大変なのだ。
蒲池様とも本格的に敵対することになるだろう。
出来るだけ避けたいところだ。
「これが理由では不服ですか?」
「……いえ」
建前とは言え、判らない理由付けではないはずだ。
肥前国衆は、筑前・筑後との結びつきは比較的強いが、豊前・豊後となると話は異なる。
あと、以前の流言もあることだし。
「また、予めお伝えしておきますが」
「……何ですか?」
「末弟殿は当家で保護しております」
「何!?」
正確には保護する予定、だが。
そろそろ安住石見の警護の下、出雲らが出迎えていることだろう。
「それも踏まえて、お好きになさりませ」
「……」
少弐彦三郎はじっと瞑目して考えている。
馬場肥前も藤崎筑前も何も言わないまま、時だけが過ぎていく。
* * *
そう言えば、新次郎たちは上手くやっているだろうか。
今回の事で小城郡・佐賀郡・神埼郡、それに三根郡が平定される。
養父郡も時間の問題だろうし、基肄郡を抑えれば東肥前の平定は完了だ。
その後は杵島郡を抑え、東松浦から筑前怡土郡と志摩郡に通じる。
あわよくば基肄郡からも筑前に登りたいが、まだ厳しいかな。
領内整備が優先順位としては遥かに高い。
「仮に……」
おっと、思考を飛ばしていたら少弐彦三郎が考えを纏めたようだ。
「仮に、私が少弐の名を捨てたとして」
「若っ!?」
「筑前、落ち着け」
「はっ。……失礼しました」
「私が武藤を名乗ることを許容した場合、山城守殿は私をどう扱う?」
ほう。
内心はどうあれ非常に冷静だ。
「その場合、彦三郎殿には二つの道を示しましょう」
一つは、このまま俺の下に付くということ。
そしてもう一つは。
神代大和の下に身を寄せる、ということだ。
少弐彦三郎は史実で言うところの少弐政興。
通称の彦三郎は捏造です。
少弐一族はその氏が官職から来ている者が多く、少弐も太宰少弐の役職から来ています。
そして、幼名以後は受領名や通称を持たない(伝わらない)者が多く、政興も同様でした。
上記のことは小城の千葉介にも言えますが、こちらは通称や他の受領名を名乗る人もいましたので、少し異なります。




