第六十話 義兄の妻
八戸下野は降服し、神代大和とは和議を結んだ。
現時点で明確に俺たちを敵視する勢力は、実は余り多くはない。
少弐屋形を中心に、江上伊豆と横岳讃岐は間違いない。
と、言いたいところであるが、江上も横岳も家中に火種が転がっている。
そう簡単に炎上することはないだろうけれど、一枚岩でないことは間違いない。
朝日近江と宗兵部、そして藤崎筑前は少弐家臣の家柄だから油断出来ない。
犬塚三氏は既に仲違いが始まっているので、暫く放置で良いだろう。
あとは少弐一族の出雲、筑紫、馬場の三家だが、実にそれぞれだ。
出雲はこちらに通じてきた。
筑紫は内部で分裂しかけている。
馬場は相変わらず良く分からない。
必ずしも少弐屋形を推戴する、といった動きは見せていない。
ではこちらに迎合するかと言うと、必ずしもそうでもない。
いずれも、今後の見定めが重要となるだろう。
新次郎たちにはその辺り、よく気を付けるよう含み置いている。
* * *
八戸城は開城し、神代大和は一部将兵を除いて山内へ退いた。
そして、義兄から姉上ら女房衆が引き渡された。
「確かに、お預かり致す。
一旦村中にお送りし、落ち着いてからまた……。」
「承知している。良しなに頼む。」
義兄弟間の会話はただこれだけ。
義兄たる八戸下野は、飛車松を傍らに姉上と幾つか言葉を交わしている。
姉上は、恐らく義兄の下にあることを望むだろうと予想している。
そして、義兄は息子を手放すことはしないだろうとも思う。
だから俺は、思い切って八戸下野の嫡子を要求しなかった。
家臣らには反対されたが、訳を話して押し切った。
周囲には、俺が姉上を取り込んで対・八戸への札にすると思う向きもあるようだ。
そんな約定を違える真似は出来ない。
この乱世、約定を違えることなど枚挙に暇がない。
しかしだ。
俺は、蒲池様の義心によって救われている。
なればこそ、それに応えて生きて行きたいと思うのだ。
まあ、計略とか謀略は多分するよ。
今回の一連の流れも計略の一環だもの。
しかし謀りの約定を結ぶようなことはしない。
今後もするつもりはない。
一過性のものであろうと、己から破るような真似はしまいと決めている。
是が俺の、現世の指針である!
* * *
なんて、真面目な空気に浸っていたら何時の間にか目前に姉上が。
「さ、村中に参りましょうか!」
にこやか且つ元気に告げてきた。
相変わらず素晴らしい笑顔だ。
いや待て、そうじゃない。
え、何でそんなに笑顔なの?
* * *
「お久しぶりです、姉上。」
「ええ。久しぶりね。」
姉上は赤子を抱えている。
少し前に生まれた、俺にとっては姪にあたる子だ。
甥に続き、姪までも……。
これだけでも、如何に姉上と義兄の仲が睦まじいか判ろうと言うものだ。
「その子は初対面ですね。
そう言えば、俺にも娘が生まれましたよ。
村中で落ち着いたら、顔見せしてあげて下さい。」
「そうね。
そう言えば、前会った時は奥さんと上手くいってなかったのよね。」
う、そう言えばそうだった。
しかし今ではすっかりオシドリ?夫婦。
そんな姿を見せて差し上げたい。
「後々の事は余り心配なさらず、まずは村中でゆるりとなさって下さい。」
「そうね。母上や、貴方の奥さんとも会って話してみたいわ。」
「ええ、是非に。」
「……。」
「…何か?」
姉上が俺をじっと見詰められている。
二児の母とは思えぬ、相変わらず可愛らしい相貌をしている。
「信用、してますよ?」
そう言って微笑む姉上の姿にドキリとする。
いや、惚れたとかそういうことではなく。
姉上も、しっかりと乱世に生きる女なのだと認識したまでだ。
「さ、それじゃ皆さん。行きますよ!」
ああ、間違いないとも。
女房衆を引き連れ、龍造寺の家士に案内され退出する姉の姿を眩しく思う。
やはり彼女は、義兄の妻なのだと。
一行の駕籠を見詰め、未練を振り切るべく想いを馳せるのだった。
* * *
次に俺たちが討ちに掛る相手は、東千葉である。
龍造寺とは長年盟友の間柄にある、千葉介殿の援助がメインとなる。
ここで俺たちは軍を三つに分ける。
東千葉に向けて進軍する一手。
佐賀周辺を慰撫する一手。
三根・神埼方面を威圧する一手だ。
佐賀周辺は既に孫九郎らに任せているが、追加で将兵を派遣して次に備えさせる。
福地長門にはその辺りを指示しており、ついで各方面との調整も任せたい。
三根方面には新次郎と歩調を合わせ、少弐衆への対峙・威圧を目的とする。
これは江副安芸に任よう。
また、援軍に来てくれた高木肥前と日向守はお礼を伝えた上で、神埼郡の鎮守に当たって貰うことにした。
神代と和議を結んだとは言え、まあまだ色々あるかも知れないからな。
そして俺は、旗本衆や鍋島一族を率いて東千葉征討へ赴く。
現地や途上で石井党らと合流し、これを指揮すれば容易く討つことが出来るだろう。
むしろ問題になるのは、東千葉を全て逃がさないこと。
これに尽きる。
そうして東千葉を討つことが成ったらば。
いよいよ、少弐屋形に鉄槌を食らわせることが出来るのである。
では諸君。
少弐の命脈を、終わらせに行くとしようか。
◆特に知らなくとも問題ない、特殊読み苗字の武将
馬渡越後守 龍造寺旗下の武将 旗本
空閑三河守 龍造寺旗下の武将 未登場
神代大和守 山内三瀬城主
八戸下野守 八戸城主 於保一族
犬塚長門守 崎村城主
本告左馬允 本告牟田城主




