第五十九話 龍神会談
八月は、三日に一度の更新を予定しています。
まずは当たり障りのない、簡単なことから行こう。
「不可侵の約定とは、現有の領地と考えて宜しいので?」
「今後の動き如何によって多少の誤差は有ろうが、概ね是認じゃ。」
こちらがまだまだ動き続けることを予測しているというアピールか。
まあ、それならそれで構わない。
「当家がそちらに手を出さねば、そちらも絶対に手を出さぬと誓えますか?」
「うむ。」
「少弐が絡んでも?」
「……。」
詰まったな。
考えていなかったとは言わせない。
「当家は少弐の屋形と因縁がありますからな。
今後絶対に絡まぬ、等と言うことは有り得ませんよ。」
「いや、それはしかしな。
仮にも、少弐家は屋形であり肥前の君主ではないか。」
そうは言っても、どこか苦しそうな表情。
知らない、などと言うことは流石になさそうだ。
「では、言わせて貰いましょう。」
* * *
以下、怒涛の口撃ラッシュ。
まず少弐屋形が肥前の君主、つまり我らの上役ということだが。
龍造寺に対する少弐屋形の対応は、常に上役の姿勢として適切だったか。
当家が少弐屋形に対して刃を向けた理由が分からないと申すか。
否。
先に当家に対し刃を差し向けたのは少弐屋形である。
神代殿もそれに加担していた。
知らぬとは言わせぬ。
少弐屋形を至上とするならば、なぜ筑後に降った時に迎えなかったのか。
遅きに失したと言うならば、今からでも遅くはない。
三瀬山内など領内悉く、少弐屋形に献上すると良い。
止めはせぬ。
出来るか。
出来ぬであろう。
少弐屋形が我らに何をしてくれる。
ただ上にあり、権力闘争に明け暮れるばかり。
負けたら縋り、勝てば忘れる。
御恩と奉公。
鎌倉の御代より続く、武家の在り方である。
成せぬ上役に付く意義はない。
そうして現在の幕府も成り立ったのだから。
龍造寺の上役として、歴代屋形が累代に重ねた恩は、…既に消えた。
一族悉く討ち滅ぼすよう指し示した、少弐当代屋形その為に。
残ったのは少弐に対する恨みのみ。
少弐の当代屋形は我らの仇である。
許すことは有り得ない。
屋形を至上とするは、最早有り得ぬ仕儀である。
それでも肥前に上役が必要というならば……。
少弐で有る必要性がどこにあろうか。
大友でも大内でも、結局他国衆であることに違いはない。
ならば旧来の探題である渋川でも構うまい。
少弐の屋形を討伐することは、別段早急必死の事ではない。
我らに関わりないとすれば、放置することも吝かではない。
しかし、あの屋形である。
これまでの所業を見るにつけ、当家を滅ぼさんと欲するは必定。
ならば備え怠ることなく、常に迎撃の態勢を整えもしよう。
神代殿が、少弐屋形の御命を大切に思うならば。
今すぐ諫言に及ぶべし。
現状、肥前国一円に最も近いのは高来の有馬である。
是と結び、龍造寺を滅ぼそうと欲すること。
これぞ正に、目先の小事にのみに心奪われているに相違ない。
そして、先々の大事を見ることが出来ていない証左である。
大事を成せぬ少弐の有り様に、何を期待し任せることが出来ようか。
* * *
「以上の事、よくよくお考え頂きたい。」
ふう。
よく喋った。
興奮し過ぎて少々前のめりになってしまったが、今は些事に過ぎない。
神代大和も義兄殿も、気圧されている様子だ。
ちょっとエキサイトし過ぎたな。
「まあ、この場は一旦お開きとしましょう。」
「あ、ああ。」
「しょ、承知した。」
まだ少し呑まれているな。
歴戦の勇士でも、そういうこともあるのか。
一回り以上若い俺が、あんな勢い込んで言うものだから圧されたというところか。
ひとまず時間を置いて、よくよく考えて欲しい。
そして、その回答如何によってまた対応したいと思う。
目礼して出て行く両将らを眺めながら、そんなことを考えていると。
「殿ーー!!」
「某、感激致しました!」
「殿の深謀遠慮。感服仕りました!」
周囲の家臣たちが、ワッと集って来た。
暑苦しい。
上記の説話に感銘を受けたとのことだが。
ただ事実を、淡々と述べただけなのだがなぁ。
尚、途中から淡々と出来なくなっていたことには目を瞑ること。
「しかしこれを聞いて、神代がどう出るか。」
「否を申すなれば、それこそ蹴散らして御覧に入れましょう!」
そうじゃそうじゃと騒ぐ若い衆を往なしつつ、次の舞台に想いを馳せた。
* * *
神代大和は少弐と龍造寺の因縁を呑み込み、それでも不可侵の約定を交わしたいと申し出てきた。
そこまで言うなら、こちらとしても吝かではない。
確かに神代は、当家の仇の一人ではある。
しかし主犯の馬場と、土橋。
そして指示した少弐屋形に負わせることが出来るならば、呑み込めないこともないのだ。
神代の領地は三瀬山内地方。
大部分が山間部に位置する。
攻め難く守り易い。
尚且つ、取ったところで旨味は少ない。
ならば、無理して攻めることなく不可侵とするのも一つの道だろう。
「但し、山向こうの筑前と松浦の一部も当家の友好勢力となっておりますので…」
「承知している。
攻められる心配がないのなら、我らも無理に遠征することはない。」
全盛期を過ぎた、守りに入った武将の考え方という見方も出来る。
しかし領地領民を守るという点において、それは間違いではないと思う。
神代大和は八戸下野の亡命を受容れ、俺もそれを認めた。
当初は義兄も村中に移す予定であったが、神代との和平が成るなら問題はない。
姉上は一旦村中に入り、母上らと懇談したのち意向を確認。
恐らく義兄を追って山内に向かうことになるだろう。
姉上のことと相互不可侵の証として、当家より小河左近を神代家に差し送る。
また神代からも千布因幡がこちらに入り、粗方整理が付くまで居ることに決した。
様々な思惑はあれど、龍造寺と神代の間に相互不可侵の約定が締結された。
少なくとも、神代の当代・大和守は龍造寺と少弐の争いに介入しない、とのことだった。
類恩と御家のこと、天秤に掛けるのは大変だっただろうな。
いずれどうなるかは判らないが、まずは一区切りと言えるだろう。
龍造寺と神代の和平会談
後に「龍神会談」と称されることになる、かもしれない……




