第五十五話 功忠苦衷
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決起した俺たちは、密かに肥前国へ入国した。
上陸を果たした俺たちを迎えたのは、与賀と川副周辺の者共。
鹿江遠江、南里左衛門、石井和泉、石井三河、内田美作、副島民部、堀江筑前、横尾刑部、飯盛備前など都合二千五百。
新次郎は既に別れて三根郡に向かった。
あちらも重松中務を始めとして、石井石見、石丸備前、立河讃岐、堀江右衛門らが合流しているはずだ。
神埼にいるであろう少弐屋形を逃さぬ為、ちょっとした包囲網を敷く。
現時点では東西と南から窺う姿勢を示すくらいだが。
なにせ締め付けがきついと、また筑後に逃げ出しかねない。
それではダメなのだ。
よって、徐々に真綿で締めて行くようにして、討ち漏らさないようにせねばならない。
まあこれはひとまず後だ。
今はまず、村中というか水ヶ江に向かおう。
孫九郎も首を長くして待っているだろうし。
ああ、そういや嫁を貰ったんだったな。
義兄として、ちゃんと祝ってやらないとね。
* * *
川副から与賀を経て、俺たちは水ヶ江に向かって進軍を開始。
本庄と飯盛に一部の兵を割いて派遣しつつ、俺は本隊を率いた。
やがて、遠目に懐かしい水ヶ江の居館が見えてくる。
その門前に軍勢が展開されていることが確認された。
どうやら、正面に待ち構えているのは孫九郎その人であるようだ。
「義兄上!御帰りなさい!!」
警戒を促す家臣たちを制し、軍を止めて孫九郎の下に歩み寄る。
すると、満面の笑みを浮かべた孫九郎に迎え入れられた。
全力で警戒していた家臣たちの、気勢を削がれた顔が少し面白かった。
「ああ、今帰った!ご苦労だったな、孫九郎。」
水ヶ江に軍勢が入ったとなれば、目と鼻の先である村中にもすぐに知られてしまう。
土橋加賀らに逃げられる可能性も通常ならあるのであるが……。
「まずは村中を囲みますか?」
「そうだな。小田殿と能登殿は如何か?」
「今のところ、計画に遺漏はありません。」
村中城には土橋加賀が城主として入っているが、郭番として小田駿河や高木能登も在城している。
郭番は当番制となっていたが、当然俺たちはこの日を狙って起ったものだ。
神代大和や八戸下野がいると、色々上手くないからな。
郭が落ちれば本丸は裸も同然。
村中に仕えていた土橋ならば抜け道も知っていようが、それはこちらも同じこと。
土橋加賀を逃す訳にはいかない。
細かい箇所には予め人を遣っているが、本体も早く動かすべきかな。
「ゆるりと語り合いたいところであるが、まずは村中を囲む。」
「御意にございます。」
「皆、聞け!
孫九郎は心ならずも土橋に加担させられつつも、当地の諸氏を守ることに心を砕いてきた。
よってこの孫九郎は今までも、そしてこれからもこの山城守の義弟である!!」
「「「ははーっ!!」」」
詳細はともかく、ここで宣言しておくことは大事だ。
水ヶ江に残った将兵も、俺に従った将兵も皆当家の者として心を一つにして欲しい。
最終的には、村中で土橋に加担した者らも上手く収めたい。
そのためには、土橋加賀を確実に捕える必要がある。
……全てを被って貰わねばならないからな。
* * *
さて、”兵は神速を尊ぶ”とも言う。
事は早急に行う必要がある。
間者を送り込み、物見を放ち、連絡や結果を待つ。
そんな悠長なことはしていられない。
勿論物見などは放つが、結果は待たずに動かし布陣する。
細部は適宜修正を施しながらな。
「村中城の包囲、完了しました!」
「壱郭より狼煙を確認。高木能登守様です。」
「高木肥前守様。八戸城を牽制すべく軍を出された模様!」
「弐郭より御使として小田掃部助殿、東島弥九郎殿が来ております!」
「小田の御家中はこちらへ呼べ!急ぎなら左馬助に対応させろ!」
「ははっ!」
「馬渡越後守殿より伝令!布陣、完了しました!」
「倉町上野介殿、大田美濃入道殿が参戦を表明!」
「木下伊予守殿。本庄に着陣、鍋島勢に合流の由!」
「飯盛は石井石見守殿が制圧したとの報が!」
「よし!そのまま確保せよと伝えろ!」
「承知!」
「本丸に動きなし。参郭も沈黙!」
「……殿、小田掃部助殿が参られました。」
「うむ。」
もうまもなくだ。
周辺の情報も入り始めているが、概ね計画通りと言えよう。
「お久しゅうございます、山城守様。」
「そちも息災で何よりだ。」
「恐縮です。」
「それで?」
「はい。詳細は東島が納富左馬助殿へお伝えしております。
我らは手筈通りに動きますので、確認願います。」
「そうか。駿河守殿には委細任せてある。問題ないだろう。」
「私は残り、連絡役を任されております。」
「分かった。宜しく頼む。」
親しき仲にも何とやら。
一族の小田掃部をこちらにやることにより、人質も兼ねさせる。
流石は小田駿河だ。
今回の城攻めは、実のところ主役は俺じゃない。
納富左馬の陣から旗が振られ、壱郭と弐郭が大きく動いた。
同時に馬渡越後が兵を率いて入城していく。
「土橋加賀と西村美濃を召し取れ!」
併せて、河内守と副島民部、西村因幡や戸田藤次郎らに村中との間道の点検を命じた。
* * *
一刻後、本丸に居た土橋加賀は捕えられ、間道から抜け出てきた西村美濃は戸田藤次郎により捕縛された。
土橋の家人は反抗したが、加賀の嫡子・織部が乗り込み説得。
まとめて降服してきた。
首魁である土橋加賀の斬首は免れない。
西村美濃は共犯と言うほどではなく、相談役という立場であったため場合によっては減免も可能だ。
無罪放免は流石に無理だが。
問題なのは土橋織部の存在となる。
彼は実父と孫九郎の間にあって、調整に苦心してきたことが報告されている。
言わば、功臣であり忠臣。
実父は罪人となるが、連座は有り得ない。
しかし、その功を持って減免を願われると正直困るのだ。
さて、どうしたものか……。
「兵は神速を尊ぶ」
魏書『郭嘉伝』より
関ヶ原合戦の後、真田信幸は己の功を持って父親の死罪を打ち消しました。
そんな案件も有り得る訳です。




