第五十話 栄枯盛衰
俺が筑後で表向き逼塞している頃。
肥前水ヶ江では、孫九郎が孤軍奮闘していた。
* * *
俺の下には諸方から伝聞など各種情報が集まって来る。
また、現地の当人や周囲からの手紙も届く為に様々なことが分かるものだ。
その中でも特に、孫九郎の様子には気を遣わざるを得ない。
現在進行形で苦労を掛け続けている、大事な義弟のことだからな。
* * *
土橋加賀の蜂起で俺が筑後に落ち行き、代わりに龍造寺の当主に据えられた孫九郎。
彼は肥前にあって、着々と己の味方を増やしていた。
これは土橋加賀や西村美濃ら造反勢力に対し、本心から与することを良しとしない者が多いことを示している。
その上で、彼らは傀儡の様な立場に祭り上げられた孫九郎を忍びなく思ってもいるのだろう。
本意ならずも土橋加賀の命に従い、城に上がっていた本告与二郎もその一人である。
娘を侍女として孫九郎の近くに上げ、密かに支援を試みていた。
孫九郎やその周囲も当初は罠を危惧したものの、本告親子の誠意は真実であると結論付けられた。
俺が居る頃と異なり、孫九郎は周囲に対して常に気を張っている。
そのような状況は、精神衛生上非常に宜しくない。
いかに越前守らの支援が在るとは言え、疲れは溜まる一方となるだろう。
そんな孫九郎を支えたのが、侍女として側近くにいた本告於絃であった。
彼女は父親と相談の上、親子揃って真摯に孫九郎を支えた。
最初は警戒していた孫九郎も、その真剣な様子に触れて次第に絆され、二人が只ならぬ仲となるのにそう時間はかからなかった。
その様子は常に側近くにあり、密かに観察していた河内守夫婦から具に報告が上がっていた。
河内守からは業務連絡、その妻は奥さん宛の恋バナ風・噂話風であり、女衆の無聊を慰めるのに一役買っていた。
孫九郎の恋愛事情は、その実姉を始めとする一族及び家中の女衆に全て知られていたのだ!
まあ敢えて言うならば、これは孫九郎の件に限った話ではない。
女性同士のネットワークを甘く見てはいけない。
されど、深く考えるべきものでもないのだ……。
* * *
ともかく、孫九郎に春が来た。
これで、ある程度は寂しさが薄れるだろうか。
あと一歩進めてやらねばならないが。
幸い、先方の本告与二郎も二人の仲を応援している。
伝聞ではあるが、そこに政治的意図は余り感じられない。
孫九郎もそろそろ良い年頃だ。
己の意志で嫁を取るべく、考え通して欲しい。
その為に、俺は俺でその外堀を埋めて行こう。
新次郎たちは微妙な顔をしていたが、奥さん始め女衆には大いに賛成された。
これが意識の差と言うやつだろうか。
そういえば新次郎も嫁がまだだったな。
だが、こちらは既に外堀は埋め終わっている。
あとは期を見計らうだけなのだ。
新次郎よ、もう暫く待っていてくれ……。
* * *
さて、土橋加賀は村中にあって孫九郎の後見を声高に喧伝している。
しかしながら、その実態は己の栄華を誇示するだけだ。
時が経ってくると、あからさまに孫九郎を軽んじるような言動を取りるようになっていく。
そのことで周囲の顰蹙を買っても、全く気にする素振りを見せない有様だ。
孫九郎が本告於絃と悪からぬ仲になっていると伝え聞いた土橋加賀は、敢えて知らぬ顔で本告与二郎に対し、彼女を己の側女に上げるよう要求した。
これを知った孫九郎は烈火の如く怒り、あらゆる手段を講じて於絃を守った。
孫九郎の怒りに触れた土橋加賀は、アッサリとこれを撤回。
しかし、薄ら笑いを浮かべた形ばかりの謝罪を行うに留まっていた。
この一件は、龍造寺家臣たちに土橋加賀が主家を奉じる気持ちが全くないことを確信させた。
そして、孫九郎を侮る者たちの心に一石を投じることとなる。
これに加え、折からの飢饉に対し何ら対策を講じることが出来なかった土橋加賀や少弐・東千葉らの求心力は大いに下がっている。
対して孫九郎を中心とする龍造寺勢力と、これを助ける小田駿河や高木兄弟・西千葉の名声は大いに向上した。
肥前に残った者は、龍造寺の復権を強く望むようになっていた。
* * *
「今回、新たに動きがあった者たちです。」
伊賀守から齎された情報を前に、俺は新次郎と話をしている。
「木下伊予守に大田美濃守もか。」
「重松中務丞もですね。」
木下伊予は水ヶ江衆であるが、ここにきて俺たちと接触を図ってきた。
土橋加賀の専横が目に余る様になり、孫九郎と俺たちの合作でどうにか対処を望むというものだ。
一般には、孫九郎は俺に背いて龍造寺当主になったことになっている。
しかし、政治的には俺の施策をそのまま通している。
そのため、分流した家臣たちには龍造寺統一の道があると見られていた。
「重松は三根郡だったか。少弐は気に入らんか。」
「そうですね。飢饉と義倉の一件が決め手かと。」
重松中務は三根郡の地頭であり、それなりの勢力を持っている。
領民との距離も近い。
そんな彼らが、現在の領主よりも旧代官を望むと言うのが今の実情を示している。
「大田美濃殿は、以前より兄上支持を打ち出していましたが。」
「一歩踏み込んで、嫡子を送り込んで来るとはなぁ。」
川副地域領主の一人である大田美濃が、その嫡子らを俺たちの下へ送ってきた。
連絡役でもなんでも、良いように使ってくれと添え状を持って。
「正直頑張りすぎだと思う。」
「それだけ切望されている、ということではないでしょうか。」
土橋加賀が主導し、少弐・大友と繋がった東肥前連合は既に崩壊した。
いや、始めから出来上がっていなかったと言うべきか。
「いずれにしろ、年内は無理だ。」
「そうですね。流石に義倉だけでは不十分でしたし。」
しかし来年早々には復帰出来るよう、動くべきだな。
回状を送って備えるよう指示しておこう。
「そういえば。」
「なんでしょうか。」
「於辰はどうしてる?」
「……っ。」
口を噤む新次郎。
この問いがどういう意味を持つのか。
それを知るのは……。
天文二十一年(1552年)
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