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第五話 転換点

明けて天文十四年。


俺は十六歳になっていたが、和尚の言っていたことが現実味を帯びるようになってきたように感じていた。


少弐屋形の重臣たちと、我が龍造寺の間で不穏な空気が醸し出されているという。

直接誰に聞いたというわけではないが、当院が比較的中心地の近くにあるためそういった噂が聞こえてきたり、そういう空気を肌で感じとれることがあるのだ。


そんな空気の中でも俺や久助君らは豪覚和尚の元、暫しいつも通りの日常作業をこなしていた。

彦松は相変わらず良く来ていたが、孫四郎は元服してからこちらに来ることが減っていた。

それでもちょくちょくとは来ていた。

しかしここ最近は頻度がかなり減っている気がする。


そんな嫌な空気が蔓延るある日の昼前。

空気が淀んでいるかのような、なんとも重苦しい感じだ。


「…誰ぞ、来たな。」


和尚が言うや、慌ただしい複数の足音が聞こえてきた。


皆で迎えに出ると、完全武装の家人を従えたおじい様が険しい表情で立っていた。


…遂に嫌な予感が当たってしまったようだ。


* * *


おじい様たちは室内に入ることなく、庭先にから声をかけてきた。


「すぐに円月らの支度を整えさせよ。」


おじい様が言うや、供の者が俺や久助君を連れて奥へ行く。

和尚はおじい様の前に佇んだままだ。

一体何が起こったのか。

ただ事でないことは間違いないのだろうが…。


たいした私物を持っていない俺と久助君は、ほとんど着の身着のまま寺から連れ出された。


「あ、座主様は…。」


俺の呟きに対し、おじい様が厳しい表情のまま答えてくれる。


「豪覚は大丈夫じゃ。今は何も言わずついて参れ。」


そう言われるが、どういうことなのか全く分からない。

不安は募るばかりだが、久助君も不安そうな面持ちでこちらを窺っている。

年長者として、俺まで表情に出すべきではないだろう。


村中を通り過ぎ、水ヶ江に差し掛かった辺りで前方に十数名の人間が屯しているのが見えた。

その中から一人、少年が飛び出してきた。


「兄上っ!」


「彦松か!」


弟の彦松だった。

よく見ればまだ幼いもう一人の弟を連れた母上や、赤子を抱えた女性もいる。

水ヶ江館にいた一族郎党たちのようだった。

一体何があったというのか、ますます不安になる。

さらに、ざっと見まわしても一族の成人男子がほとんど見当たらない。

久助君の兄に当たる孫九郎はいるようだ。


祖父や大叔父は現当主なので、この場にいなくともおかしくない。

父上や叔父上たちも一武将として働いているので、ここにいなくとも、まあおかしくはないのだが…。

それでもおじい様がいて、一族がほとんどいないというのは異常なことだ。

通常であれば、おじい様の元には誰かしら残っている筈なのだ。


つい先ごろ元服したばかりの和泉守様の嫡男・三郎殿もいない。

宗家筋の人ながら、水ヶ江に入り浸りがちな新五郎兄貴もいない。


ただ宗家当主の宮内大輔様と、その叔父である雅楽頭様が厳しい表情で佇むのみだ。


「よし、全員揃ったな。」


おじい様が話し始める。


「では、これより起こったことを簡潔に話す。落ち着いて聞くように。」


その内容は嫌な予感がすると言いつつも、想像だにせぬことだった。


* * *


代々少弐屋形に仕えてきた龍造寺家であるが、世は戦国乱世。

一方的に忠勤を尽くすだけで成り立つものではない。

また、忠勤を尽くしているつもりでも相手に伝わっているとは限らない。


利を以て理を抑す。


そのようなことが日常茶飯事な時代なのだ。


龍造寺が仕える少弐は、元々筑前守護を務める家柄だった。

しかし筑前は博多と言う貿易港を抱えており、そこから吸い上げられる利益は目も眩むばかりであった。

そうなると、当然利潤を欲して様々なことが起きる。


まずは、家督争いなど身内での争い。

そして重臣が加担して争いが広がり、それぞれ利益に群がり家が割れる。

更に上と繋がりの深い外の大名や権力者が絡んでくる。


周防の太守・大内。そして豊後の太守・大友である。


家が割れて衰退しつつあった少弐に、大大名である大内や大友の手から筑前を護ることは到底不可能なことだった。


少弐は筑前を追われ、一族がいた筑後や肥前に退いた。

そして筑後や肥前で力を蓄え、筑前に再進出の期を窺っていたのだが、それが叶うことは終ぞなかった。


その後、大内や大友の手は筑前だけでなく筑後や肥前にも伸びていった。

少弐は一時期肥前の守護も兼ねていたが、既に肥前一国を支える力すらも無かった。


力を失った者を追い、己こそが上に立とうとする風潮が蔓延する。

即ち下剋上が当たり前の時代である。

南肥前では有馬が中心となり、勢力を伸ばしていた。

また西肥前では、松浦党を中心とした勢力が自由気儘に割拠していた。



そんな少弐を支えたのが東肥前に拠った豪族たちであった。

龍造寺もその一つであり、城を追われた少弐の者に居城を提供するなど様々な便宜を図ってきた。


龍造寺は基本的に少弐を主君と仰ぎ、取って代わるような真似はしてこなかった。

宗家十五代当主・隠岐守康家公以来龍造寺は大いに伸張し、その四男である山城守家兼は肥前守護代に任ぜられるほどであった。

さらにその二男・和泉守家門は少弐の執権職につき、少弐の家政を見るまでになっていた。


こうした龍造寺の勢力は主君少弐をも凌いでいると言っても過言ではなく、これに嫉妬したり危機感を煽られる人間は多くいた。


その中心となったのが、少弐一族で重臣の馬場肥前守頼周であった。

馬場肥前守は、龍造寺の女婿となっていた嫡子・六郎政員らを巻き込み、龍造寺を滅ぼさんと企図した。

そして、この企みに少弐屋形も同調したのである。


* * *


そうして先日、その謀略は開花。

少弐屋形の命として、馬場肥前守の側についた神代・江上・東千葉、更に有馬・多久や北松浦の豪族たちによって龍造寺一族は悉く討死の憂き目にあった。


水ヶ江西分家当主・豊後守家純

嫡子・六郎二郎周家、二男・孫三郎純家、三男・孫八郎頼純


水ヶ江惣領・和泉守家門

長男・三郎家泰、妹婿・於保備前守胤宗


村中分家・新五郎胤明、右京亮胤直、伯耆守盛家、その三男・四郎三郎


このほか、堀江・野田・西村などそれぞれの家臣らも討死した。


* * *


惨憺たる有様とはこういうことを言うのだろうか。


宗家の宮内大輔様も、村中にいたが少弐屋形から圧迫を受けて脱出し合流してきたという。

おじい様や雅楽頭様の説明を聞いて、皆言葉もなかった。

女性たちの中からはすすり泣く声も聞こえてきた。


彦松と久助君が両側から心細そうに手を握ってきたので、力強く握り返した。


僧籍に在った俺は、通常元服する歳を過ぎてなお戦場に出ず今ここにいる。

ひとつ年下でありながら、三郎殿は元服し出陣。

その結果もうこの世にいない。


宗家の身でありながら、分家や僧籍の目下の者にも分け隔てなく接してくれた新五郎兄貴も謀略に嵌り、討死してしまった。


年長者として、せめて気を強く持って在りたいと思ったのだ。


「では、これより皆で筑後へ下る。遅れぬ様ついて参れ。」


おじい様に先導され、皆が歩き始める。

駕籠に乗れるのは乳飲み子を抱えた奥方と、身重の女性だけだ。

俺も彦松と久助君の手をしっかり握りしめ、孫九郎らを促し歩き始めた。

最後尾には雅楽頭様が付いた。


生き残った一族の逃避行は厳しいものだった。

幾人かの家臣たちが途中警護してくれたが、未だ馬場肥前守らの追手が掛る可能性があることから、大人数だと目立つということで絞られていた。

そして逃避行を諦め、寺や家臣の家に匿われることを選ぶ者たちも多くいた。


こうして、俺たち龍造寺の残党は隣国・筑後へと落ち延びていった。


屋形やかた:国主の尊称

幕府の承認を受けて名乗れる称号

少弐屋形は時の管領により許しを得たもの

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