第四十九話 飢饉
陶尾張が大友当主の弟を迎え入れ、大内左京大夫として当主に据えた。
どこからどうみても陶尾張の傀儡であったが、名目とはやはり大事なものだ。
筑前で、陶尾張と対決姿勢を見せていた原田弾正らが矛を収めたからな。
これがどういった流れに繋がるのか。
少なくとも、陶尾張の組下に入り一つに纏まるようなことはないだろうが……。
* * *
さて、奥さんの妊娠に湧いて蕩ける俺たちだったが、やるべきことはやっている。
母上から説教された後、江副安芸と新次郎にあることを相談。
孫九郎の寂しさと負担を軽減する為の、とある措置を取った。
なお、奥さんの妊娠については関係各位へ周知している。
孫九郎は勿論のこと、小田駿河や高木兄弟。
千葉介殿や前田伊予、彼らを介して藤津に下った納富石見からも祝いの返書が届いた。
このように、肥前国内に構築した連絡網はかなりのものだと自負している。
川副から水ヶ江を基点として、飯盛・鹿子・久保田・高木・八田・本庄・与賀と、神埼の田手から蓮池など近隣を主眼に置いている。
杵島郡佐留志と小城郡芦刈と晴気には、船も併用しての運用とした。
また、遠方にも少ないながら拠点を設けた。
三根郡は当家に所縁の深い坊所を中心として、更に養父郡の綾部や山浦。
そして、基肄郡の田代や村田にも手を伸ばしている。
* * *
村中の様子も、逐一入手している。
城には小田駿河・神代大和・八戸下野の手勢が交代で入り警備。
土橋加賀はまだ大人しく孫九郎に従っているが、驕り高ぶる様子を見せる度合いも増えているらしい。
少弐屋形は、神埼郡を中心に基盤固めに余念がない。
とは言え、表向きはともかく深い箇所までは中々浸透していないようだが。
そして、綾部備前が密かに小田駿河に通じてきた。
横岳讃岐と小競り合いを起こしたことが理由の一端としてある模様。
この小競り合いが起こった時、馬場肥前も動く様子を見せた。
しかし、これらはいずれも早々に動きを止めることになる。
少弐屋形が仲裁に入ったのも理由の一つだが、最大の理由はそれではない。
天災の発生である。
* * *
肥前・筑前・筑後・豊前に豊後、そして肥後。
イナゴの大発生による農作物への甚大な被害が起こり、不作・飢饉へと繋がった。
今回飢饉を引き起こした蝗害であるが、正確にはバッタらしい。
違いは良く分らないが、敢えて簡単に言うならば…
食えるのがイナゴ。
食えないのがバッタ。
ということらしい。
どちらにしても害虫には違いない。
ともかく、春先から夏にかけてこいつらのせいで九州北部地方は大いに震撼したのだった。
各地の様相を伝え聞くと、十人に八人が餓死する有様とか。
筑後においても、徐々にだが影響が広がりつつある。
俺の周辺は、予め物資を多めに積んでいたので今のところ影響は少ない。
肥前では佐賀周辺がメインとは言え、義倉を始めて置いて本当に良かった。
ギリギリ間に合った程度で完遂には程遠いが、それでも相当マシになったはずだ。
水ヶ江の孫九郎や越前守らに指示し、各地の義倉を開放させた。
今は敵地であろうと、いずれ取り戻す領民たちだ。
大切にしなければならない。
* * *
緊急時に在ってキビキビ動く水ヶ江衆であるが、村中に構える土橋加賀の動きは驚くほど鈍い。
孫九郎が土橋織部に指示を届けさせ、ようやく動き始める程だ。
土橋織部は土橋加賀の嫡子であり、神埼郡の奉行補佐を務めていた。
今は水ヶ江と村中を繋ぐ役割を担っている。
親子揃って行政能力は高かったはず。
どうしたことだろうか?
後日、届いた越前守からの書簡で内情が判明した。
曰く。
土橋加賀は、西村美濃と共に己が繁栄のみを考えている。
そこに優秀な行政官としての姿はなく、唯貪るのみの害悪である。
土橋織部はそんな父らの姿に心を痛め、何度も諫めている。
しかし聞かず、むしろ煙たがるようになっている。
先代の時代を知っている身としては、まるで人が変わったかのようだ。
何らかの要因で心のタガが外れ、壊れてしまったのではないか。
最早、土橋加賀からは人が離れつつある。
現機構の崩壊は、予想よりも相当早まる可能性が高い。
そして最後に、土橋加賀の暴走のせいで水ヶ江の負担が重くなり大変だと愚痴が書かれていた。
* * *
越前守には頑張ってもっと貰わねばな。
年齢的にも、孫九郎の負担を肩代わりすべき存在だ。
愚痴なら幾らでも聞くから宜しく頼むと、返書を認めておこう。
それよりも土橋加賀の現状だ。
本当に壊れてしまったのか。
それは解らないが、状況から見るにそうとしか思えない。
完全に想定外だ。
変に暴走されると困るな。
どうしたものか、悩むが良い解決策は見当たらない。
ともかく今は、飢饉対策に全力で当たらせるしかない。
これで孫九郎の名声が上がれば、良い方向に行くと思うのだが。
そして俺は、少なくとも飢饉が収束するまでは動くことは出来ない。
余所に比べて被害が少ないとはいえ、被害がない訳ではないのだ。
元より一年以上の逼塞は覚悟している。
大人しく待ちつつ、水面下での動きを継続するとしよう。
* * *
藤津に潜伏する、納富石見爺さんから手紙が届いた。
なんでも、折からの飢饉にも関わらず高来の有馬が兵を出したという。
いや、飢饉だからこそ乱捕りを求めたのかな。
向かう先は小城の千葉介殿の領内。
義倉などの効果で、余所ほど困窮してないことを見て取ったようだ。
藤津郡から杵島郡にかけて、大部分は有馬方となっている。
その為、奴等が小城郡に兵を出すことなど造作もない。
通常ならば。
藤津の納富分と中牟田、そして杵島の佐留志。
ここに納富石見と同三郎兵衛、前田伊予がいる。
無論、有馬方に比べると圧倒的に無勢である。
面と向かって勢いを削ぐには至らない。
ならば、正面から当たらなければ良い。
横合いを突く。
後方を撹乱する。
荷駄を奪う。
要はゲリラ戦だな。
実に厭らしい。
これに、小城から千葉介殿の重臣・仁戸田刑部が協力。
藤津・杵島・小城の三点で行っているらしい。
更に、松浦郡の草野長門と接点を結べそうだと締め括っていた。
流石爺さん、よくやるわぁ。
<簡単な地理紹介>
杵島郡佐留志は、現在のJR肥前山口駅付近
藤津郡中牟田は、現在のJR肥前鹿島駅付近
藤津郡納富分は、現在のJR肥前浜駅付近




