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第四十六話 資質の一端

筑後に落ち延びた俺たちだが、周辺の情報を手に入れることは容易だ。


俺たちが居住する一木村は筑後の三潴郡にあり、筑後川の流域に位置する。

情報を手に入れやすい立地条件だ。


筑後国内なので赤司党との連絡は取り易くなったし、肥前も対岸の川副を経由して各地と結べる。

小城や杵島は有明海を渡れば、むしろ近いとも言える。

勿論、大風や時化の時は厳しいが。


ともあれ周辺の情報だ。


まず、村中には土橋加賀が入った。

これは予想通り。


孫九郎は水ヶ江城主として、その周辺をまとめて知行することになった。

これも予想通り。


八戸下野や神代大和の勢力はやや拡大した模様。

少弐屋形は三根郡と神埼郡の代官地を回復し、更に養父郡をも知行することになった。

この辺りも概ね予想通り。


しかし三根郡と神埼郡、さらに佐賀郡で一部の城将が恩賞を求め、ちょっとした諍いが起こった。

予想通りと言えばそうだが、少し早すぎる気もする。


諍いの中心は、高木能登と犬塚長門。

更に馬場肥前と横岳讃岐、そして綾部備前の辺りも怪しいらしい。


高木能登は、まあ分かる。

綾部備前も手を伸ばしていたから、芽吹いた可能性も考えられる。


しかし、馬場肥前とな?


馬場肥前は予想外だ。

一体何があったというのか。

注視して行く必要がある。


因みに小田駿河は、本告左馬や犬塚伯耆らと何やら企みを講じているようだ。


計略の術中から離れることだけは避けたい。

混乱が過ぎると、手綱を握っていられなくなるからな。


* * *


小城の千葉介殿周辺も色々やっていた。


少弐が乱入した時に、東千葉が出陣したのを追い払っていた千葉介殿たちであったが、この上更に余計なことをさせぬ為、尚もその力を削ぐべく動いたようだ。


芦刈の徳島土佐の一族で、東千葉に仕える徳島左門と言う者がいる。

彼は、実は小田駿河の一門から養子に入った者であった。


小田駿河と徳島土佐は共謀し、徳島左門を東千葉家中にて獅子身中の虫に仕立て上げた。


東千葉で重臣の地位にいる徳島左門は、少弐屋形との合流・合作を囁きかけ続けた。

そして一旦は軍勢を引いた東千葉であったが、佐賀城が囲まれたのを好機と見て再度軍勢を催したのだ。


誘い出された形となった東千葉勢は始めは慎重だったが、芦刈付近に陣を張っていた鴨打陸奥の家人・南里佐渡を蹴散らしたことに気を良くし、勢いよく佐賀方面へと進軍した。

勿論これらは全て罠である訳で……。


まもなく嘉瀬川に差し掛かろうかと言う頃、徳島土佐・鴨打陸奥・窪田民部の手勢に三方から襲われ壊乱。

多数の死傷者と脱落者を出しながら小城へ敗走し、東千葉当主も命辛々居城へ逃げ込む始末だったと言う。


東千葉は、ここで討ち取っても良かったのだろうが、無理をして被害を被っては元も子もない。

良い戦果だったと誇るべきだろう。


その後、出陣を誘った徳島左門は敗戦の責任を取らされることになったのだが、円城寺を始めとした多くの重臣がこれを諫めて領内での蟄居処分となった。

被害から考えれば随分と軽い処置だ。


諫めた重臣の大部分は、形は様々だが西千葉に通じている。

切り崩し工作は順調と言えよう。


結果、東千葉は所領にて逼塞を余儀なくされた。

小城郡は平和であり、次の準備も滞りなく進んでいるらしい。


* * *


杵島の前田伊予は表面上、これと言った動きを見せていない。


しかし、密かに藤津に入った納富石見らの支援を水面下で続けている。

地味な一手だが、じわじわとボディーブローのように効いてくる日も来るだろう。

その時を楽しみに待っていよう。


また、松浦方面には成松兵庫の伝手を使って手を入れている。

筑前側からも、原田弾正経由で地味な手を打った。


地味な手ほど気付かれ難く、発露した時のダメージも大きく成り易い。

大いに期待したい。


* * *


さて、他国の様子だが。


まだ、それほど多くの変化があったようには見えない。

筑前では原田弾正と杉弾正が頑張っているし、豊前は陶尾張の下でほぼ統一された。


その陶尾張であるが、大友左衛門督の弟・左京大夫を迎えて大内当主に成そうとしているらしい。

主家簒奪や、下剋上の汚名を避る意図だろうか。


大内と大友には血縁関係があることにも由縁するのだろうが、どうせ傀儡となるだろうに。

厳島の戦いで陶尾張が滅び、確か大名としての大内氏もその辺りで滅ぶ。


俺が知る限りではあるが、現状を鑑みてもそう遠くない様に思える。


次に豊後は、大内との合作により安寧を保っていると見て良さそうだ。

陶尾張が健在で居る限り、豊前や筑前へ進出することはないだろう。


肥後は完全に大友の傘下となった。

しかし未確定情報だが、その大友傘下の中で内乱の兆しがあるらしい。


日向に薩摩・大隅までは流石に分からないし、今のところ興味もないので放置するしかない。

民間レベルで人と荷物の行き来がある程度だ。


あとは今、俺たちがいるこの筑後。

蒲池様を筆頭とした大友傘下の城将で良く纏まっている。


筑後は大友の影響力が強い割に、筑肥の緩衝地帯の役割も果たしているようだ。

その証拠に一敗地に塗れた者が蟄居・逼塞することが多い。


その後、時勢を得て復権の為に立ちあがる時、筑後の諸将はこれを支援している。

龍造寺然り、少弐然り、菊池然りだ。


菊池は西牟田ら、少弐は江上など。

龍造寺の場合は、地理的な理由もあるが蒲池様だった。


その蒲池様であるが、筑後衆筆頭であることは衆目一致するところである。

大友からの信頼も厚い。


しかしながら、筑後衆の筆頭でしかないとも言える。


筑後一円の領主たる資格も実力も兼ね備えている筈だ。

なのにそうはなっていない。


蒲池様は大友から信頼されている。

だが、その信頼がイコール蒲池家ではないということだろう。


大友左衛門督は、筑後に大きな勢力が在ることを望んでいない。


蒲池様の蒲池家には分家があり二家に分かれているのだが、これも大友の意向だと言う。


個人は信頼しつつも、勢力への警戒を怠らない。

そういった相反する猜疑心の様なものが、戦国大名には必要だと言うのだろうか。


理屈は分かるが、そう成りたくはないと思う。

俺は俺のやり方で、戦国大名として生き抜いて見せよう。


結果がどうなるかは、流石にまだ分からないが……。


* * *


逼塞先であるが、俺たちは存外に穏やかな日常を過ごしている。


前準備のお陰で肥前の様子も良く分かるし、他国の風聞も聞こえてくる。


蒲池様の庇護下にあることが、良い方向に働いている。

今後とも物事は水面下で進めるが吉だろう。


肥前と肥後から、それぞれ不穏な噂が広がってきている。

さて、どうなるか……。

◆隆信が音信を交わした三寵(その3)

原田弾正隆種(38歳)

大内介義隆の娘婿(養女)

※大内との血縁について

九州側の資料には、義隆の娘婿という記載があります。

しかし、大内側の資料には触れられていません。

真偽は不明ながら、諸事鑑みて本作では養女の娘婿であるとしています。

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