第三十二話 大切
送った手紙の返事がきた。
「嫡男はまだ幼く、移動させるのは難しい。か……。」
義兄からの返事はこれだけだった。
事実でもあろうが、隔意も透けて見える。
「母上様には是非いらして欲しい、ともありますね。」
新次郎が姉上からの書状を読んでいる。
義兄も、流石に愛妻の実母の願いを無視するのは忍びないと思ったか。
落とし所として、母上を八戸に招くことを承認したようだ。
敵地には行きたくないが、迎え撃つなら是認出来るということかねぇ。
「新次郎、母上の警護を頼む。」
「分かりました。
八戸の義兄上も、姉上にもお会いするのは初めてです。」
ちょっとワクワクしているような新次郎。
うん。
ガッカリしないよう気を付けてくれ。
あと、姉上に惚れるなよ。
「頼んだぞ。」
声には出さないが。
* * *
さて、ここらでちょいと国外のことを考えておこう。
主に周防の大内様のことだが。
大内様が謀反で斃れるのは来年のはずだが、具体的な時期までは分からない。
ところで、これまで謀反に遭うのを知っていて見殺しにするのかと何度か自問した。
その答えは、常に肯定。
まず、助けるための地力が圧倒的に足りていない。
助けるための方策もない。
一番大きいのは、知己の人物でないことだ。
名前は知っているし、後ろ盾になってくれた恩は大きい。
だが、それだけとも言える。
何が最も優先されるのか。
それが今、俺の持つ唯一の答え。
* * *
周防に送った右衛門尉らの行動で、陶一族にも伝手は広がっている。
しかし、肝心の陶隆房との接点はほとんどない。
大大名と言うだけあり、各一族に枝葉が多くて幹まで辿りつくことが難しい。
むしろ筑前守護代の杉弾正殿の伝手を頼り、杉一族と親交を深める方が良いかもしれない。
実際、杉三河守親子などとの伝手を構築することが出来ている。
伝手を得た各位には、機会があれば肥前へ下向して色々教えを請いたいと伝えている。
種蒔きは大事だからな。
その種が期待通りに芽吹くかどうか。
それは、その時にならないと分からない。
最近は、余裕があれば俺自身が直接周防に上ってみたい気もしている。
そして様々な人物と交遊出来れば、心強い限りなのだが。
高望みに過ぎるだろうか。
雅楽頭様や、福地長門らに一度諮ってみよう。
執権の二人を始めとする一族老臣には、断固反対されるのが目に浮かぶようだ……。
* * *
後日、母上たちが八戸から無事に戻ってきた。
このように思う辺り、俺自身義兄を信用していないのだと痛感する。
実地で得た印象というのは、大いに影響するものだ。
…義兄も昔、何かあったのかも知れないな。
さて、肝心の母上は初孫の顔が見れて御機嫌だ。
於安は養女であるので、俺や母上と血の繋がりがない。
俺は気にしないが、気にする人は気にするだろう。
母上に同行した新次郎が微妙な顔をしている。
義兄の態度に思う所があるのだろう。
ひょっとすると、姉上の所作に思う所があるのかも知れない。
そっとしておこう。
凛ちゃんは…、おや。
どことなく浮かれているように見える。
そして、何かを注視しているようなのだが……。
視線の先には新次郎の姿が。
……ほう?
よくよく見ると、今まで見たことないような熱い眼差しをしている。
………ほほう。
凛ちゃんと新次郎か…。
凛ちゃんは堀江兵部の娘。
新次郎は俺の弟。
………。
保留、だな。
* * *
「それで、如何でしたか?」
「ええ、元気の良い子で安堵しました。」
見るからに機嫌の良い母上と話をしている。
新次郎と凛ちゃんのことはひとまず脇に退けて、八戸の様子を聞いておかねば。
「姉上の様子は?」
「小さい頃と変わらず、のんびり屋でしたね。」
そう言って遠くを見る母上。
そういえば、姉上が八戸に嫁いだのは結構前のことだ。
様々な出来事があり、会うこともなかった。
父上たちの葬儀には来てた、かな?
久しぶりに、親子水入らずで過ごすことが出来たのだろう。
せっつかれた結果とは言え、場を整えることが出来て良かったと思える。
しかしのんびり屋、か。
言われてみれば、そのような気もしなくもない。
昔からあんな風だったのかー。
当時の姉上を覚えてないことが悔やまれる。
いやホント。
* * *
あ、そういえば奥さんと姉上はまだ会ってない。
事が起こる前に、会わせておきたいな。
事が起これば、義兄は俺の側には付かないだろう。
残念だが、ほぼ確信している。
そうすれば姉上ともまた離れることになる。
あの可愛らしい姉上と……。
いや!
奥さんの方が可愛いよ!
ホントだよ!
「どうしたのですか?」
「え?」
「暗い顔をしたり焦った顔をしたり、にやけてみたり。気持ち悪いですよ。」
「……ははは。」
実の息子に向かって気持ち悪いとか言わないで欲しい。
凛ちゃんが可哀想なものを見る目で俺のことを見ている。
ついさっきまで、新次郎に向けていた視線とは雲泥の差があるじゃないか。
「いえ、なんでもありません。」
「そうですか?」
「はい。」
「……まあ良いでしょう。」
その後、少し話して母上たちは水ヶ江に帰って行った。
事が起これば、姉上が不幸になる。
少なくとも、その可能性がある。
気付きたくない事実に気付いてしまった気分だ。
いや、目を逸らしていただけか。
ままならないものだ。
手を広げすぎると、一番大切なものまで零れ落ちてしまうかも知れません。




