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第三話 指針

天文十三年。


中の人爆誕事件から、はや七年。


そして、俺が嫌な予感を感じてから既に七年が経過した。

俺は十五歳になっていたが、俺の予感って当たらないのかなぁ……。


そんな微妙な気分で迎えた朝である。

や、嫌な予感は当たらないに越したことはないのだが……何かこう、ね。

端的に言って凹んだ。


さて置き。

あの日からこれまで、様々なことがありつつも穏やかな日々を過ごしてきた。


* * *


まずは俺が目覚めた天文六年。

俺が八歳の時。


俺と同腹の弟・慶法師丸が生まれた。


知らせを持ってきてくれた彦松と一緒に見に行ってみたが、その彦松は自分の出自を気にしてか少し気後れしていたようだ。

しかし母上は気にせず、突然やってきた兄二人を暖かく迎え入れてくれた。

俺がここにやってきてから始めてみる赤子だ。

しかも血の繋がった実の弟。


…うむ、可愛い。

常に側にはいてやれないが、院と館は近いので折を見て訪れることにした。

母上も嬉しそうにしていたことだし。


母上はえらい美人さんだった。

父上爆発しろ。

そして父上は三十路を越えた辺りであったが、かなり剛毅な性質らしい。

笑い声が「がっはっは!」な辺り推して知るべし。

「肥前の熊」の資質の一端は、間違いなくこの人にあったのだろうな。



そして翌天文七年。

俺が九歳になった時。


鍋島の松法師丸に弟・彦法師丸が出来た。


これまたすぐに会いに行った。

鍋島の居館がある本庄は宝琳院からは少し離れているが、普段林野を駆けて本庄まで行くこともある俺たちだ。

何も問題はなかった。


さて、彦法師丸は俺にとって三人目の従兄弟となる。

二人目は父上の弟である孫八郎叔父上の子なのだが、まだ会ったことはない。

まあそのうち会えるだろうから、気にしないで良いだろう。


それよりも、松法師丸の親父さんが


「実に利発そうな顔立ちをしている!」


と言って大はしゃぎしていた。

いやはや、良い歳した親父さんがはしゃぐ姿は傍から見ると何とも言えない。

俺も、いつかこうなるの日が来るのだろうか……。


ふと松法師丸から彦法師丸まで結構開いているが、何かあったのかと気になってしまった。

そこで早速聞いてみたが、特別何もなかったようだ。

娘さんがチラホラ生まれていたらしい。


和尚から邪推するなと怒られた。

板間の正座は少しきつい。


後は、おじい様が隠居して家督を大叔父の和泉守様に譲り渡した。

順序が逆のような気もするが、家としてはこちらの方が大事だとしても、俺にとっては身近な存在の方が大事だと思っているから問題ない。


というか、最初におじい様は隠居していると長法師君情報で聞いた気がしたんだが。

聞き間違いか、記憶違いかね。

とにかく、今回は本当に隠居して家督を譲ったみたいだ。


本当は長男であった祖父に譲ろうとしたらしいが、祖父が若干病弱気味であり、且つ弟の和泉守様の能力が高かったことを見抜き固辞したらしい。

そして祖父自身は分家を興し、その当主となったようだ。

病弱気味とは言いつつ、子女は合わせて五名以上いる辺り本当に若干なんだろうと思う。


うちの一族は子沢山ばかりで何よりだ。



天文八年。

俺は十歳となった。


宗家の当主・大和守様が若く亡くなられ、その子・宮内大輔様が十四歳にして次の宗家当主になった。

現代では少年と言える若さで、宗家の当主という重荷が圧し掛かる仕事は大変だろうが頑張って欲しい。

おじい様が何かと世話を焼いているみたいだ。


あと、新五郎兄貴はこの新御当主様の弟らしい。

マジか。

新五郎兄貴って宗家の御二男だったのか。

ボンボンじゃないか、全然見えないぞ。


その兄貴は相変わらず良くしてくれる。

良くしてくれるのだが、出家の身である俺に槍の稽古を付けようとするのはどうかと思うんだ。



天文九年。

俺十一歳の時。


隠居して少し暇になったらしいおじい様、こと曾祖父様に「俺」として初めて会う。

前情報通り、確かに髪はなかったが髭は立派だった。


俺が在籍する宝琳院は、おじい様の弟が開祖らしく結構新しい。

何かと気を配ってくれて書物なども沢山置いて行ってくれた。

最後に「しっかり励めよ」と声をかけて貰ったが、「禿げめ」に聞こえた俺は悪くないと思いたい。

眼力凄いですね。

すみませんでした。


同年、本家の御当主・宮内大輔様が御結婚なされた。

お相手は俺にとって従兄弟伯母にあたる於与さん、当年十二歳。

結婚年齢が低い。

つくづく時代が違うと感じたものだ。



天文十年。

俺十二歳。


松法師丸が元服し、鍋島孫四郎房重と名乗ることになったので今後は孫四郎と呼ぶことにする。

名前は立派になったが素行はあまり変わらなかった。

まあ新五郎兄貴もアレな感じだから問題ない、よな?


主家から偏諱貰ったりしないのかと尋ねてみたら、武功を挙げたり或いは家督を継ぐ時に貰える可能性はあるらしい。

まあ「房」も親父さんからの偏諱だし問題ないよね。

機会があれば名乗りも変わっていくみたいだし。



天文十一年。

俺十三歳。


彦法師丸が僅か四歳にして、小城郡晴氣城主・西千葉介の養子となった。

これはうちの一族の子として養子に行くらしい。

武家の習いとして仕方がないとは言え、伯母上の涙を堪える姿は胸に来るものがあった。

壮健でいて欲しい。


西千葉介は、正確には千葉千葉介胤連という人。

千葉家は元々は下総に根を張った一族であるが、元寇の折に異国警固番役で防人を務め、肥前小城に所領を貰って土着した一族の末裔。

千葉介とは下総の国主に対する敬称で、代々当主はこれを名乗ってきたらしい。

最後に。

西千葉とはこの戦乱の世によくあるお家騒動の結果、家が割れて所領の地理から東西千葉家と呼称されるようになった模様。

今の当主はうちの家との繋がりが強く、これでまた一段と繋がりが強化されることとなるのだろう。

彦法師丸はその鎹となる、という訳だ。


小城は少々遠いが、頑張って駆ければ着く場所でもある。

折を見て訪ねて行ってみたい。



天文十二年。

俺も十四になった。


相変わらず新五郎兄貴や彦松、孫四郎らと鍛え遊ぶ日々。

兄貴は当主の宮内大輔様を手伝って出かけることも増えてきた。

孫四郎もちょくちょく親父さんと仕事を始めたそうな。

折り悪く誰も来ない日は、僧侶としてのお勤めに力を注いでいる。


後日、おじい様が大友にも誼を通じて本家御当主・和泉守様の二男が大友当主の偏諱を貰って元服した。

孫九郎鑑兼と名乗り、名前だけは立派だが何せまだ七歳。

繋がりの名目の為とは言え、難儀なことだ……。


というかおじい様、隠居したのにまだ色々やってるのな。

和泉守様や宮内大輔様が頼りないなんてことはないのだから、大人しく楽隠居してしまえば良いものを……。


* * *


などなど………。


こうした穏やかな日々はいずれ崩れるのだろう。

しかし、俺はこうした穏やかな時間が大好きだ。

目の前に難題が立ちはだかっても、それを跳ね除け再び穏やかな時間を過ごせるよう頑張っていこうと思う。


おじい様のように、隠居しても大きな影響力を残すような生き方は疲れそうだ。

俺は楽隠居を目指すぞ!


外の主な出来事

天文七年(1538年):北条氏政誕生

天文八年(1539年):三好長慶上洛

天文九年(1540年):吉田郡山城の戦い

天文十年(1541年):尼子経久死去

天文十一年(1542年):天文の乱勃発

天文十二年(1543年):種子島に鉄砲伝来

天文十三年(1544年):朝鮮と対馬が断交

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