第二十六話 妻
ある日、小河筑後から呼び出しを受けた。
家臣から呼び出しを食らうとか、体面が悪すぎる。
いや字面上そうなっただけであって、ただ単に話があるから客間に来て下さいと伝えられたに過ぎないのだが。
そして小河筑後と言うと、於与さんのことを頼んでいたのだが何か進展があったのだろうか。
あれこれ考えていても仕方がないので、早足で客間に向かった。
* * *
果たして、客間には小河筑後の他に孫九郎や久助君、そして於与さんの姿が。
於与さんは何やら緊迫した表情をしている。
何事ぞ。
今回は正規の評定ではないので皆の近くに座った。
「さて筑後。此度は如何した?」
呼び出したのは小河筑後なので、そちらに尋ねる。
しかし筑後は言葉を返さず、於与さんの方をちらと見るのみ。
「姉上。」
孫九郎が何事かを囁く。
と、突然於与さんが俺に向かって勢いよく頭を下げた。
「於与殿?」
「…申し訳ありませんでした!」
「え、一体何が…。」
「これまでの御無礼、誠に申し訳ありませんでした!
深く、深くお詫び申し上げます…。
今後は心を入れ替え、尽くして参ります。何とぞ、お許し下さい…。」
最後は涙声になっていた。
いや、於与さんに一体何があったというのか。
余りにも突然過ぎて、何が何やらさっぱりだ。
「姉上は、先代様の突然の御逝去に心が追い付かずにおりました。」
呆けてしまった俺を見かねたのか、孫九郎が説明してくれる。
「義兄上は心優しくありますれば、時を置いて回復させようとしていました。
しかし今、御家の情勢を鑑みるに余り時を掛けることは得策ではありません。」
「そこで、僭越ながら私めがご説得申し上げた次第にて。」
小河筑後が孫九郎の後を受けて言った。
その結果がこれと言う訳か。
「殿に詳細を説明せずに進めてしまい、申し訳ありません。」
「いや、筑後が謝る必要はない。」
任せたのは俺なのだから、それは問題ない。
しかしそうか、どうにかなったということか。
とりあえず、伏したままでいる於与さんに声をかけねば。
三人に目で合図して少し離れて貰い、於与さんに近づく。
「於与殿、頭を上げて下さい。」
なるべく優しく声を掛けたつもりだったが、於与さんはビクッと身体を強張らせて頭を上げようとしない。
「…於与殿、お願いです。頭を上げて下さい。」
床についた手を取り、再度声を掛ける。
於与さんの指先が微かに震えている。
あれ、結婚からして手を握るのも初めてじゃね。
震えを留めようと、少し強めに手を握る。
再びビクッとする於与さんだが、少しだけ頭を上げてくれた。
涙目の上目遣い、最高です。
落ち着け俺。
よくよく考えると、於与さんと触れあうのは全くの初めてだ。
それを自覚すると、何やら胸の奥に熱いものが込み上げてくる。
あと顔が赤くなっているのも自覚した。
いかん。
周囲には孫九郎と久助君と、何より小河筑後がいるのだ。
家族はともかく、家臣の前で一体ナニを……。
「…あー。私たちは一旦、別室に移りますので。どうぞごゆっくり…。」
「ぇぁっ」
カラカラ、ピシャ。
何をか言う前に三人は退出していき、部屋には真っ赤になった俺と於与さんの二人だけが残された。
* * *
「まずは、落ち着きましょう。」
「…はい。」
正直何をどうすれば良いかなど全く浮かばない。
心臓の鼓動も早鐘のようだ。
「とりあえず、於与殿…」
「…殿!」
「ひぁい!?」
話しかけようとするも、被せ気味に返された。
いやそれはいい。
しかし、於与さんが俺のことを「殿」と…。
「わたくしは貴方様の妻。敬称など不要にございます!」
「あ、はい。」
一気に押されてしまった。
そう言えば、於与さんってば俺より年上だったね。
姉さん女房ってこんな感じになるのかな?
一個しか違わないけど、奥さん歴が長い分違いが出てるというのだろうか。
でも、於与さんってちっこくって可愛らしいから迫力は余りないね。
「あ…。申し訳ありません。つい…。」
そんな風に、しおらしくしてる様など最高だ。
落ち着け俺。
「いや、すまない。しかし私を夫と、認めてくれるのか?」
「勿論でございます。
わたくしの心が弱かったばかりに皆さまに迷惑を掛けてしまい、申し訳なく思っております。」
「そうか…。
いや、於与殿のせいでh」
「殿っ!」
「はい!?」
「…敬称は、不要に願います。」
「……ああ、すまなかった。」
そうだな。
夫婦間で敬語を続けるものじゃない。
「では於与。」
「はい、旦那様。」
「先代様のことを忘れる必要はない。むしろ最後まで覚えておくべきだ。」
「…はい。」
「その上で、今から真の夫婦として歩み始めよう。於安と共にな。」
「はい。…はいっ。」
「……これから宜しく頼む。」
「こちらこそ、末永くお願い致します。」
於与さんの、ほんのり赤くなった顔が微笑みに彩られた。
俺の顔は真っ赤だと思う。
* * *
「ところで旦那様。」
「ん?」
「於安のこと、ありがとうございます。」
「え、何が?」
「可愛がって頂いております。」
「ああ。いや問題ないよ。於安は俺の娘だ。」
「ありがとう、ございます…。」
「嫁になど出したくないな。」
「いえ、それはちょっと…。」
隆信:20歳
於与:21歳
於安:5歳




