第二十二話 同族
お宅訪問第三回は高木氏に決定。
高木はうちと同族だ。
今は東西に分かれているが、西が本家で東が分家という扱いになるようだ。
但し、現在の勢力的には東の方が大きい。
東高木が高木城主である能登守。
そして西高木城主である肥前守は、東高木能登守の実弟である。
現在の力関係はこれが全てと言える。
龍造寺に似ていると言えなくもない。
更に言うと、高木能登守の実父は馬場の一件で落命した伯耆守だ。
この辺りは結構ややこしい。
敢えて簡単に説明するならば。
まず伯耆守が一旦先代高木当主の養子に入り、その娘と結婚。
二人の間に男子が誕生し、彼が高木の嫡子となり能登守となる。
伯耆守は諸事情により龍造寺に戻り、庶子の二男と三男は龍造寺姓を継いだ。
しかし四男は高木氏の子であったため、西高木の養子となった。
その後、伯耆守と三男は馬場の一件で討死。
龍造寺伯耆守の跡職は二男が継ぎ、東高木は長男が継ぎ、西高木は四男が継いだ。
こんな感じ。
つまり、うちと高木は同族であり親戚でもあるのだ。
今までも争ったことはないし、これからも良い関係を築いていきたい。
それを見極めるために、今回のお宅訪問は成功させねばならない。
そこで、今回は伯耆守の二男・日向守を同行させている。
* * *
「お初にお目に掛ります。龍造寺山城守です。」
「お久しぶりです。龍造寺伯耆が二男・日向守です。」
東西高木は千葉などと違い、互いに反目していないので東西同時に会合の場を持てた。
面倒が少なくて助かるね。
「高木能登守と申す。山城守殿の御高名はかねがね…。」
「同じく、肥前守です。日向守殿はお久しぶりですな。」
「ワシはお二方ともお初ですな。高木治部大輔と申す。」
高木治部大輔は、西高木先代当主で高木肥前の養父だ。
彼は娘には恵まれ娘婿が数名おり、未婚の娘も数名いる。
残念ながら男子には恵まれなかったようで、娘婿の一人が当代の高木肥前なのだという。
まずは同族の誼などから話を進めて行こう。
八戸の義兄も同族なのだが、最初から最後まで刺々しい雰囲気を醸し出していたからな。
こちらではそうならなくて良かった。
「高木の兄上も、肥前殿もお元気そうで何よりでございます。」
連れてきた日向守が嬉しそうに言う。
応える高木兄弟も嬉しそうだ。
特に高木肥前は、普段会えないもう一人の兄相手に積極的に話しかけている。
いやはや、これなら連れてきた甲斐があったというものだ。
「時に山城殿。貴殿は天文学に興味はおありかな?」
日向守の相手は弟に任せることにしたのか、高木能登がこちらに問いかけてきた。
「天文学、ですか。」
正直言って、ない。
「あまりなさそうですな。」
あっさり見透かされる。
そんな表情をしていたのだろう。
「私は天文学の他にも、易学などにも凝っておりましてな。」
しかし気を悪くする風でもなく、軽く笑って続けた。
「いずれも趣味の範囲でしたが、貴殿の施策と合わせれば良い結果が出るかもしれませんな。」
「それは……。」
農業政策についてのことだろうか。
確かに天候は大事だが、天文学でそんなことまで解るものだろうか。
「勢力は小さいとは言え、我らも城を持ち家臣領民を持っているのです。」
「左様。勢力を伸張せずとも豊かに成り得る可能性を示してくれたのが、貴殿じゃ。」
高木能登の言葉に高木治部も追従する。
随分と評価してくれたものだ。
いや、嬉しいのだけどね。
「詳しく伺いたいですね。」
天文学と易学が、どのように俺の施策と合致し昇華し得るのか。
詳しく聞いてみる必要がある。
* * *
天文学は、古くは星読みとも呼ばれたように主たるは暦についてである。
暦は農業には欠かせないものであるが、だからこそ今ではそれなりに充実している。
俺が管轄した農政でも、当然使用しているのであるが…。
高木能登が言うのは、天気予報士のようなものだった。
ある程度ならば、農業に携わる人間は持ちうる技能だろう。
しかし高木能登の持つ知識はそこから更に一歩踏み込んだもので、かなりの的中率を誇っているようだった。
今のところは自賛に過ぎないのだが、高木治部もいつの間にか側にいた高木肥前も頷いていた。
勿論、身内贔屓という可能性もある。
だが、協力してくれると言うなら拒むことはない。
それに、向こうから申し出てくれたという事実も大きい。
利用しようという魂胆であったとしても、それは同じことだ。
差し当たり、田畑の区画整地及び正条法の導入を勧めておいた。
当人も言っていたが、今の高木氏は東西合わせてもそれほど所領が大きくない。
そこで、まずは高木領において改正農法と天文学を合わせて試行して貰う。
そして徐々に対象を広げていきたい。
色々話は聞いてみたが、俺自身が完全に理解することは難しそうだ。
いずれは高木能登に直接指導して貰うか、相互に人員の出向などをすべきだろう。
* * *
日向守の伝手を頼る作戦がなくても、何とかなったかもしれないな。
まあ、兄弟水入らずの時を過ごさせることが出来たのは良かったと思う。
最近は新次郎はともかく、慶法師丸と会う機会が少ないからな。
たまには水ヶ江にも顔を出そう。
ともあれ、相互に良い関係を築けそうな手応えを感じたようだ。
また高木治部に娘らの嫁ぎ先を斡旋して欲しいと依頼された。
元より同族で親戚でもあるが、更に血縁を重ねて行くことで合意。
より良い関係性が保てるよう、努力していこう。
差し当っては、高木治部の娘の嫁ぎ先からだな。
西高木当主の妹婿という肩書は大きいものだ。
出来れば近しい人間を勧めたいものだが…。
一泊していくという日向守を残し、俺は帰路についた。
お宅訪問は今のところ順調だが、いつまで続くものやら。
ともするとすぐに不安が押し寄せてくる。
しかし弱気になる訳にはいかない。
せっかくなので、今日は水ヶ江に寄って母上や弟たちの顔を見てから帰るとしよう。
家族は元気の源だ。
於与さんとも、本当の家族と成れると良いのだが……。
東西高木氏と龍造寺伯耆守の関係には諸説あります。
系図や資料・文書などでも多種多様な有様にて…。




