第十五話 経過
「民部、大義。」
豊前守様は布団の上で於与さんに支えられて起き上がり、微笑んで迎えてくれた。
* * *
倒れてから二日後に豊前守様は無事に目を覚ました。
孫九郎と新次郎は倒れた一報を受けすぐにこちらに来たが、水ヶ江のこともあるのでその日のうちに帰って貰った。
於与さんのこともあるので孫九郎には側にいて貰いたい気持ちもあったが、なにせ急な事のため調整が付かなかったのだ。
そして目を覚ましたのを機に呼び寄せ、翌日共に見舞いに伺ったのだった。
起き上がることが出来る程度に回復した豊前守様だったが、やはりきつそうだ。
丸二日も眠っていて、目が覚めて一日しか経っていないのだから当然か。
顔色を窺うに、思ったよりも悪くない気がする。
痩せてしまって痛ましいことだが、敢えて明るく声をかける。
「豊前守様にはご機嫌麗しく。
少弐輩を追い出し、当家はこれからという時にて。
今後も我らを導いて頂かねばなりません。」
早く良くなって欲しいという気持ちを込めて伝えると、察してか苦笑された。
「左様よな。
民部の勘案した諸提言が待っている。
あまり悠長にしてはおられぬな。」
俺が農政大臣擬きとして色々やっつけたものの他にも、事業起案を伝えていた。
勿論、ある程度の可否は勘案している。
その上で決済を要すると思われるものを数点、塩田や治水やらを提出していた。
「されど、今はとにかく養生することです。水ヶ江殿もここらで…。」
伊賀守がそう言って俺たちに退出を促してくる。
確かにお見舞いの席で政治の話を続けるのも宜しくないな。
そして、残念ながら俺の仕事も結構溜まっている。
豊前守様に過重な仕事を担わせない様に頑張るのも俺の仕事の内だからな。
越前守が補佐してくれるが、あくまでも補佐だ。
正直替わって欲しいが、彼にその気はないようだ。
権力志向の薄いことだと思うこともあるが、俺の仕事量を間近に見ているせいかもしれないな。
「孫九郎に新次郎。そなたらにも心配をかけたようだ。」
「いえ。お元気な顔を見ることが出来て良かったです。」
「うむ。新次郎は民部を良く援けよ。」
「はい!」
豊前守様はお気に入りの新次郎と話せて嬉しそうだ。
新次郎のこの素直さが心地よいのかも知れないな。
「では私どもはこれで。孫九郎は残して行きますゆえ、あとはご家族で…。」
「すまんな民部。なるだけ早く復帰出来るよう努力する故。」
そう言葉を交わし、孫九郎を残して俺と新次郎は退席した。
孫九郎は豊前守様の奥さんである於与さんの実弟、即ち豊前守様の義弟に当たる。
於与さんも大分疲れが見える。
豊前守様が目を覚ましたからには、ちゃんと休んで欲しい。
ゆっくりするには家族と過ごすのが一番だと思う。
豊前守様は割と元気そうだったし気もしっかりしていた。
これならば、ちゃんと養生すれば大丈夫だろう。
豊前守様は孫九郎らに任せ、俺たちは諸々の懸案事項を片付けることに注力するとしよう。
水ヶ江のことは一先ず新次郎に任せることにした。
あちらには堀江兵部がいるから何とかなるはず…。
* * *
農政がある程度落ち着いた今、懸案事項とは大内様の周辺についてだ。
現在天文十七年だが、大内義隆が謀反に遭うのが天文二十年。
つまりあと三年程しかないのだ。
三年もある、と言えると良いのだが。
何せ中国筋の問題だ。
遠いと言うことはそれだけで気にかけ難いもの。
福地長門らに接触を図らせているが、はてさてどうなるものか。
三年後に斃れる予定と言ったらあれだが、大内義隆に謀反する陶隆房なのだが。
福地長門らに聞く限り、陶を筆頭とする武断派と相良を筆頭とする文治派の対立はあるようだ。
しかし今は相良は肥後で隠居しており、内藤と陶が政治の中枢に居るようだ。
つまり現時点で派閥争いは表面化しておらず、大内義隆との温度差も然程ではない。
大内義隆が戦への興味を無くしたからこその武断派との対立というような記憶もあるが、そこは重臣の内藤や陶に杉なども補佐している様子。
どちらか片方のみに偏るのは危険と思うが、今の段階では余り深く入り込まない方が良いかも知れない。
まずは伝手を作り上げることを重視すべきか。
既に伝手のある筑前守護代の杉弾正から、豊前、長門と徐々に浸透させていきたい。
最終的には相良と陶の周辺にも手を伸ばしたいな。
むしろ肥後に隠居している相良に先に、とか?
いや名目がないな。
相良と接触することで、陶たちに目を付けられたりでもすれば困る。
俺が、というよりも当家が困る。
それは避けねばならない。
細かいところは雅楽頭様と福地長門と相談して、任せておこう。
* * *
豊前守様が目を覚ましてから約一ヶ月。
時折寝込むこともあるが、概ね回復しているように思われる。
評定にも出られるようになったように思うし、当主代行擬きもそろそろ終わりかな。
そう、思っていたのだけれども。
ある日のこと。
所用があり水ヶ江の館を訪れていた俺の下に、村中より使いの者が来たと知らせがあった。
広間に行くと、そこには播磨守が佇んでいた。
一先ず座るよう促すが、それに応えることなく亡羊とした風を見せている。
常に冷静で何事にも卒なく当たる播磨守にしては珍しい。
余程のことが起こったのだろう。
「何があった?」
尋ねてみるも返答がない。
何やらモゴモゴと口を動かしているようだが。
埒が明かないので近づき、肩を揺すり強く尋ねた。
「なんだ。何があった。ハッキリ言え!」
播磨守の目がようやく俺を見た。
そして
「豊前守様が、卒去なされました…。」
酷く、虚ろな表情でそう言った。
◆本文中で姓表示のない人物は一部を除き、全て龍造寺姓です。
龍造寺豊前守胤栄(龍造寺当主)
龍造寺越前守家就(村中分家):豊前守胤栄の弟
龍造寺新次郎周光(水ヶ江分家):親戚
龍造寺孫九郎鑑兼( 同 上 ):親戚
龍造寺播磨守家親(村中家老):親戚
龍造寺伊賀守家直( 同上 ):豊前守胤栄の従兄弟




