第十三話 農政大臣
戦後処理のために一旦村中に立ち寄り、幾つか家臣らへ指示を行った後、俺たちは水ヶ江に凱旋した。
そこで俺たちは、留守居衆や領民らから熱狂的な出迎えを受けたのだった。
先触れは出していたから戦に関しては皆知っているのだろう。
そして仇敵と認識されている少弐を、この肥前から追い出すことに成功したのだ。
苦労を知る皆が熱狂するのは当然のことなのかも知れない。
それにしても新次郎の人気が凄まじい。
老若男女、身分の上下無く囲まれてしまっている。
特に若い女衆からの声援が凄い。
新次郎から助けて欲しそうな縋るような目で見られたが、有名税のようなものと思って諦めてもらおう。
あの中に割って入る勇気はちょっと持てそうにない。
そっと視線を外した。
「あにうえーっ!?」
さ、行こうか。
* * *
居館では留守を任せていた孫九郎を筆頭に、母上や慶法師丸と久助君らの出迎えを受けた。
凛ちゃんの姿が見えないが、まあ父である堀江兵部たちの所にでも行っているのだろう。
しかしちょっと物足りない気がするのは、先ほど新次郎への熱烈歓迎を見たせいだろうか。
あとは村中で豊前守様が帰還した時の、於与さんが瞳を潤ませて喜んでいたのを見たせいもあろうか。
俺も嫁が欲しい。
まあ、これは一時の感傷に過ぎないだろう。
それにまだそんな暇はないのだ。
しかし、嫁か…。
論功行賞の一環として、家臣らに嫁の世話をするのも良いかも知れないな。
年配の武将にも、娘や子息へ良縁を齎せば、なかなかの褒美になると思うし。
頭の片隅にでも置いておこう。
広間に腰を下ろす。新次郎はまだ戻らないがまあ大丈夫だろう。
とって食われることもあるまい。
…ないよな?
この時代、男も女も皆逞しい。
まあ、自慢の弟・新次郎なら大丈夫だろう。
「皆、大義。孫九郎も、留守役ありがとな。」
偉そうな物言いがまだ少し馴染まない。
時折変な言葉使いになるのはスルーして欲しいところだ。
しかしそんな俺は、今や分家とは言え惣領を務めているのだ。
家中における地位で、俺より上なのは宗家の豊前守様くらいだ。
なんせ雅楽頭様でさえ同格のように振る舞われるのだ。何とも言えない。
まあ年齢的なものもあるから、その辺りは何とかなっているが。
元々出家しており、言葉遣いも丁寧になるよう指導されていた。
その癖もまだ抜けきっていないようだ。
「無事のお戻り、心よりお慶び申し上げます。」
一族家臣を代表して孫九郎が述べる。
相変わらず落ち着いた様子でしっかりした挨拶だが、今回留守を任せたこの孫九郎にしてもまだ十一歳。
その下には慶法師丸と久助君がいる。
彼らが無事に元服や初陣を迎えるまでは、自分の嫁がどうのなどとは言ってられない。
仮にも家長なのだから。
その後も、母上や慶法師丸と久助君、家臣一同から言葉を貰いこちらも返していく。
一人一人と言葉を交わしてと言う形式が大事なのも分かるのだが、面倒と思わなくもない。
もっと落ち着いたらこの辺りの改革も必要かなぁ。
しばらくは大きな戦もないだろうし、再び内政に専念することになるだろう。
まずは検地をしないとな。
褒美に領地を与えるにしても、どこの何がという実情は把握しておかなければならない。
全体的に俺が管轄することになりそうな悪寒もするが、一応宗家サイドに確認しておこうか。
* * *
悪寒は当たり、俺が総轄することになった。
むしろ当然だろう何言ってんの?みたいに返されてちょっと凹んだ。
いや、まあ仕方ない。
結果は少なからず予想していたのも事実なのだし。
とは言え、さすがに内政全てを見るのは不可能だ。
諸々調整して農政関係を主に見ることに落ち着いた。
それでも内政関係の統括をも任されるような地位に擬せられるのは、何故か避けられなかった。
石見爺さん辺りの差し金と見ているが…。
ともかく、豊前守様から農政関係について信任された俺は、大内様の力をも背景にして初の大々的な検地を行った。
本貫である水ヶ江、村中から神埼郡や三根郡など代官の地まで。
本庄や芦刈などの直属の地でない場所でも、領主の許可を貰って行った。
そしてこの検地を機に、田植え方法を刷新。
今までは概ねの感覚でそれぞれに田植えを行っていたものを、等間隔に印をつけた縄を張り巡らせる正条植えを導入した。
水田自体をどうこうするものではないため、まだ抵抗少なく受け入れて貰えそうだという感触だ。
すぐに結果は出まいが、数が増えれば増産となるはず…。
俺の持つ微妙な知識をアイデアとして披露し、皆でより一層詰めて出来た方法だ。
これまで水ヶ江領などで導入を進めていたが、今後検地を行った地の全体に広げていく予定だ。
* * *
俺が農政を中心として仕事をしつつも、何故か全体の内政統括のようなことをしている間、水ヶ江は孫九郎に任せていた。
また、慶法師丸を側に置いて政治経済を学ばせている。
新次郎も頭は良いのだが、どちらかと言うと軍事への才を見せ始めている。
少弐の老臣を討ち取ったのはまぐれでもなんでもなく、才能の一端だったようだ。
昔は泣き虫だったし、今も普段は至って温厚。
それが戦では鬼神もかくやとなる。
怒らせると怖いタイプかなー。
逆に慶法師丸は、政治事や算術などが得意そうな感じだ。
軍事に関してはまだ不明だが、武術が苦手ということはなさそうなので心配はしていない。
筑後にいた時はオドオドした態度が目に付いたが、今はそれが控え目という態度にクラスチェンジしていた。
必要な時に意見を上げることは出来ているので、やはり心配はしていない。
久助君も軍事より政治に興味を持っている感が強い。
それでいながら武術の腕前も、この歳にしてかなり強い。
組手をしていると時折、不覚を取りそうになることもしばしばだ。
常に冷静であろうとしているように思える。
実に良い傾向だ。
ついでなので孫九郎だが、流石は久助君の実兄といったところ。
政治経済に長じているが、武術の腕前も中々だ。
文武両道というやつだろうか。
早くに元服し、勉学に励んできた成果であろう。
水ヶ江一党の未来は明るいと断言出来る。
それはともかく、なぜ俺が家中全体の内政を見ることになっているのだろう。
いくら優秀な孫九郎たちに水ヶ江を任せているからと言っても、決済などで惣領がやらねばならない仕事は少なくないのだ。
いやホント、どうしてこうなった…。
* * *
宗家で内政統括大臣に擬せられて、半年ほどが経過した。
豊前守様に信任され仕事を熟すうち、俺の地位は家中第二位と言っても過言ではなくなっていた。
最終決定権は当然豊前守様が持つとは言え、諸々の予算権は俺が握っているのだからな。
ふっふっふ。
二か月ほど前から、豊前守様の弟で叔父・左近将監様の養子になっていた越前守が俺の補助に付いている。
多忙の余り一週間で逃げ出そうとしたので、捕獲して説教した結果、今では優秀な補佐官となった。
宗家筋で年上だが、一歳など誤差の範囲よっ。
と云う事で普段はお互いタメ口だ。
結構稀有な存在かも知れないな。
改めて考えると新五郎兄貴の実弟でもあるのだが、似てないな。
豊前守様の方には少し似ているかな。
文官肌であるようだ。
とは言え、先の少弐追討にも出陣して武功を稼いでいる。
優秀な人物であることは間違いないのだろう。
左近将監様の養子になった影響か、縁の下の力持ちを自任する所がある。
ところで、農政は税収に直結すると言う事実は大きい。
宗家の人間が出来るのが一番なので、越前守が送り込まれたということのようだ。
それよりも俺に宗家筋の姫を娶らせ、がっつり取り込んで仕事をさせようと言う策謀もあるらしい。
石見爺さん辺りがそんな筋書きを描いているらしい。
流石えげつないというか何というか、当主一族にも遠慮がない。
ともあれ、統括すると言っても全てを俺が決めて行う必要はない。
ある程度の指示を出し、総括して豊前守様に奏上するというのが俺の役割だ。
そこで、検地奉行と言う役職を創設した。
一族の中堅周辺から奉行職に任じ、その補佐に今後を担う若衆を任じて経験を積ませる方針だ。
神埼郡は隠岐守を以って任じ、その補佐に土橋織部と鍋島周防を。
三根郡は備後守と、補佐に横岳下野と成富式部らに現場監督を任せた。
直轄でない本庄は鍋島駿河と孫四郎親子に、芦刈は徳島土佐と鴨打陸奥にそれぞれ任せた。
結果が見えてくるにはまだ暫しかかるだろうが、種は蒔いた。
次はより良い実りとなるよう工夫を重ねていくことだ。
農政に関してはひとまず、概ねの区切りが付いたと言って良いだろう。
このように天文十六年後半は農政に明け暮れ、一年が終わるのだった。
横岳氏は少弐側と龍造寺側に分かれており、横岳下野は先代から龍造寺側です。




