第一話 はじまり
──……っ----……ぁ--ぇ……---。
浮上していく感覚。
そして、視界が開く。
眼に映るのは暗い木目。
そして幼い誰かの泣きそうな顔。
───彦松?
思わず出そうとした言葉は擦れていて、喉を震わしそのまま空気に溶けて行った。
「あ、あにうえぇ…。気が付き、ましたか……?」
彦松の泣きそうな声。知っている。いや知らない?
……良く分らない。─ッ!頭痛が、…する……。
意識が混濁していき、白い狭間に吸い込まれ消え行くような感覚…。
「あにうえ。…あにうえ?…っ!」
彦松の幼い泣き声がこだまする。
はて、彦松とは一体誰であったろうか。
そして、暗転。
* * *
目が覚めた。
なんだか不思議な夢を見た気がする。
うーんと伸びをして、さて起き上がろうとしたが起き上がれない。
身体が動かないうえに頭が痛い。
なんぞこれ?
「おぉ円月。気が付いたか」
頭上から渋い声が降って来る。
目を動かして声の主を確認。
……誰だこの坊さん。
ぼけっとしているとぼんやり頭に浮かんでくる知識のようなもの。
”豪覚和尚。自分にとって叔父にあたり、この宝琳院の座主でもある”
なんだって?
いやいや、なんだこれ。どうしてそんな知識が俺に備わっている?
俺はいったいどうなっているんだ?
もしやこれは夢か?
というかこの身は………俺はいったい……。えぇー…っと?
良く分からない状況に戸惑い、頭が混乱している。
「ふむ、まだ少々混乱しておるようじゃな。しばし休むがよい」
豪覚和尚はそう渋い声で優しく言い、部屋から出て行った。
確かに俺は今、とても混乱している。
一旦落ち着いて整理する必要があるのは間違いない。
深呼吸を数回。
………ふぅ。
少しは落ち着いたかな。
まず、先ほど浮かんできた知識についてだ。
可能な限り心を落ち着け、疑問をひとつずつ考えていく。
俺はなんだ?
”龍造寺長法師丸。昨年おじい様の言いつけで当院に出家。円月と名乗る。当年八歳”
りゅーぞーじ、だと。
しかも出家?おじい様って誰ぞや。出家って何事。いやいやはっさい?八歳って!!
ぅおっと。心がざわめくが、ともあれ落ち着け、落ち着くのだ。慌てても何も良いことはない。
びーくーるびーくーる。
………ふぅ。
で、なんだっけ。
ああーっと、おじい様って?
”正しくは曾祖父で、現在は隠居だが長老として隠然たる力を持つ。髪はないが髭が立派”
ほほう。
最後の情報は意味がないような凄く大事であるような、良く分らんが。
てかおじい様と言いながらひいじいさんかよ。
ひいじいさんの名前は何て言うんだ。
”剛忠”
ごうちゅう、ね。
何やら凄い名前だが、豪覚和尚と読みが近いな。
出家名なのかな?
”豪覚和尚はおじい様の孫にあたる”
ああ、そういやさっき叔父にあたるって言ってたな。謎知識こと中の人が。
ちょっと後回しになってしまったが、龍造寺って?
”藤原魚名の系譜を引く名家。分家だが、おじい様の力により過去最大の勢力となっている”
これって何の知識なのだろう。
あと、そもそも今は何年なんだ?
”天文六年”
てんぶんろくねん。
え、なんだって?
いや、名家とか分家とか勢力とか隠居とか出家とか。
現代じゃないとは思ってたけどさ。
天文とか、あれだろ?
平成とか昭和とかのノリでずっと昔の天文なんだろ。
いやいや、まずは落ち着け。
ここは俺の偏った歴史の知識が火を吹くぜ!
てことで、えーと……?
まず間違いなく江戸時代ではないな。
勢力拡大とかないはずだし。
というか龍造寺は江戸時代はいなかったはず。
だから、その前だ。
よし、思いつく順に上げて行こう。
まずは、関ヶ原の戦い。慶長五年。
もっと前だよな。
豊臣秀吉の朝鮮出兵が文禄・慶長の役。
もっと前だな。どんどん行こう。
豊臣終了の前触れ、豊臣秀次の切腹が文禄四年。
豊臣秀吉の天下統一が天正十七年、だったか?
龍造寺終了のお知らせ。沖田畷の戦いが天正十二年。
……おぉ!?
い、いや……ひとまず置いておこう。
天正遣欧使節団の派遣が天正十年。
織田終了のお知らせ。本能寺の変も天正十年。
大友終了のお知らせ。耳川の戦いが天正六年。
室町幕府滅亡が天正元年。元亀四年だったっけ?
毛利元就死去が元亀二年。
織田信長の美濃攻略が永禄十年。
毛利隆元の謎死が永禄六年。
大村純忠が横瀬浦を開港したのが永禄五年。
織田信長の桶狭間の戦いが永禄三年。
厳島の戦いが弘治元年。天文二十五年?
大内終了のお知らせ。陶隆房の謀反で義隆死去が天文二十年。
おお、天文が出てきたぞ。
うむ。
落ち着いて考えれば出来る、やればできる子だ。
で、えーと。……ん?
今、天文六年で俺は八歳であるとさっき聞いた。
俺の知識から天文二十年で大内義隆死去。
龍造寺終了のお知らせである、沖田畷の戦いが天正六年。
……わぁー。
年齢的に、良い感じじゃない?
いや、まだ可能性の段階だ。
可能性の問題なのだ。
龍造寺隆信は確か享年五十五くらいだったはず。
計算していくと、概算で大体そのくらいになるような……?
本人ではなくとも、その「肥前の熊」さんに近い存在な気がする。
龍造寺の一族であるのは間違いないのだから。
……おぅふ。
これはヤバい。
中の人の知識と、俺の知識が正しいと仮定すると非常に不味い!
なにか、なにか他に判断材料はないか!?
えぇーと、えーっと……。
そう、鍋島直茂!
鍋島直茂という名前に心当りは!?
”……?”
あるぇ?
”鍋島駿河の長男・松法師丸とは幼馴染でよく一緒に遊んでいた”
…ああー。
確か直茂って名前何回も変えてるんだよな。
しかも隆信と直茂って少し歳が離れてたはず。
まだ生まれてないのかも知れないね。
でも鍋島とは昵懇の間柄のようだ。
仕方がない。
仮定を否定出来る証拠がない以上、最悪を考えて腹を据えて考える必要がありそうだ。
具体的には死亡フラグの回避方法を…ね。
こうして、俺の波乱多き人生は幕を開けたのだった。
天文六年(1537年)
主な出来事:甲駿同盟成立