九羽
旧です。
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部活の空気はどこかギシギシしていた。
雲雀が居なくなって喜ぶ後輩。
何も知らず雲雀を心配する同輩。
雲雀を病気だと信じて疑わない先輩。
誰も何も言わんかったけど雲雀の開けた穴は不自然な空白を生み出した。後輩を指導する人が居なくて揉めた。ふざけて空気を混ぜっ返してくれるライバルが居なくなった。
知らない人は幸福だ。全部知ってるぼくは息苦しかった。自然と部活から足が遠退いてしまったのはある意味当然だったかもしれない。
本当は手伝わなくて良いのに「文化祭の準備があるからっ」と言い訳して部活をサボった。
そう言う度に早乙女がちらりと視線を投げ掛けてきたけど何も言うことはなかった。
こんなことをしても意味がないのに。
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家に帰るのも癪だったのでぼくは美術部と書道部に混じって準備を手伝った。
「あ、佐藤! その字はそっちに飾っといてくれないか?」
「ここで良い?」
ぼくは弱粘性テープで“独立独歩”と書かれた縦長の半紙を貼り、振り返る。
「うーん、ちょっと右。ああ行きすぎ。そこそこおっけーい!」
ぼくは書道部土田 光一のよく分からない基準に基づいてそれを張り付けると椅子から降りた。
今はまだ授業があるため教室の真ん中にホワイトボードを持ってきてマグネット使って貼るなんてことは出来ない。後ろの壁や横の壁に貼っていくだけだ。
「別にこれくらいうちらでも出来るから佐藤は部活行ったら? テニス部ってあとちょっとで試合じゃなかったっけ?」
他意は無いのだろうけど土田はあまり聞いてほしくないことをするりと聞いてきた。
「どうせ出るの先輩だけだから」
ぼくは気にしないでくれっとまた笑顔を浮かべた。そうしてまたズキリと胸に痛みを走らせる。
気まずいから行きたくない!と言えたらどんなに楽だろう。
「うーん。じゃあ美術部の方手伝ってやってくれないか? あっち女子多いし、重いガクに入った絵とか持ってくるのに男手がいるだろう」
「りょーかい」
ぼくはおどけて敬礼すると教室の外に出ていった。土田はぼくの行動を笑ってくれた。ぼくはきちんとクラスに溶け込めているだろうか? いつもと違う違和感を感じながら廊下を歩いた。
校内は全体的に浮わついていた。ぼくたちのように冷めたクラスもあればみんなで和気あいあいと準備するクラスもある。
ガヤガヤとした本館を抜け、特別練のある北館に向かった。美術室は三階のかどっこだ。
二階の階段を登っている時に両手でたくさんの絵を抱えている田梨さんに出くわした。階段を踏み外すのを恐れているのか一段一段気を付けて遅々と進まない。
「手伝おっか?」
「え? あぁ佐藤くんか。ちょっと重いし半分くらいお願いできないかな」
絵を半分くらい受けとると田梨さんの赤く染まった顔が見えた。息が荒くなっているのを見るに結構難儀していたみたいだ。
「ふー、軽くなった。ありがとね」
田梨さんは顔を微笑ませた。普段だったらときめいたかもしれないけど生憎そんな気分じゃなかった。
サッカー部の未来のエース佐久間 翼もこの笑顔に惹かれたのだろう。
絵を担いだまま田梨さんの少し前を歩いた。変な噂でもたったら男子に総スカンされそうで怖かった。
「これって誰が書いたの?」
ぼくは黙ったまま歩いているのが心苦しくて一番上にあった絵を顎で指した。
田梨さんがどれどれー?と後ろから駆け寄って覗いた。
真っ青な空を多種類の青で濃淡を付けながら描いている。少し構図から浮いてしまっている白雲がワンポイントになっていた。
「うー、っとこれは宮森くんだね」
「宮森? あいつC組だろ。なんで飾るんだ?」
田梨さんはえへへと照れ臭そうに笑った。
「私とゆきっちだけじゃ、六枚もないしね。味気ないでしょ? 細かいことは気にしちゃダメだよ!」
たしかにEクラスには田梨さんと姫野 深雪しか美術部がいない。習字とは違って絵を仕上げるのは時間が掛かるということだろう。
ぼくは教室の扉をくぐると先生の机に絵を降ろした。職員室に入り浸ってまったく使われていない先生の机からはホコリが立った。
「田梨さんの絵ってここにあったりするの?」
同じように先生の机に絵を降ろした田梨さんは笑顔で振り返った。
「見てみたい?」
悪戯っぽく笑う彼女は可愛らしかった。ぼくは少し見とれながらも、うんと頷いた。
「ふふ、残念でした! この中にはありませーん」
ぼくがフライングして少し覗いていると田梨さんは笑った。少しブスッとしてしまう。
「あ、でも・・・。あれは持って来たかなぁ~」
田梨さんは絵の山をがさごそと絵を漁った。
「あったあったぁー」
田梨さんは一枚の絵を持って「じゃじゃあーん!」と見せてくれた。
季節外れの桃色の美しい桜。花びらが舞い散るその場所は4月の桜並木を描いたものだった。
とっても上手い。
でも問題はそこじゃなかった。
その絵は“あの捨てられていたスケッチブック”の一番最初のページにあったラフに酷く似ていた。
「これ本当は完全に自前ってわけじゃないの。私、桜好きなんだけど秋は咲いてないでしょ。だから狩野先輩のスケッチを参考にして書いたの!」
どうかな?と聞いてくれる田梨さんの言葉にぼくは答えられなかった。
やっぱり勘違いなんかじゃなかった。
「うん? 下手だったかな?」
少し残念そうな顔をして田梨さんは絵を置いてしまった。
「そ、そんなことないよ」
ぼくはやっとのことでそう答えた。でも田梨さんは首を振った。
「佐藤くんの気持ち分かったからもうそれ以上言わなくて良いよ。気にしてないから」
「いや、本当に上手いから!」
田梨さんは悲しそうに眉を寄せると教室を無言のまま出ていってしまった。
少し不審な様子だった。どうしたのだろう? と考えているとトイレに出ていた土田が帰ってきた。
「おい、佐藤? なんか田梨さんが泣きながら廊下を走っていったけど、なんか知らないか?」
「え? はぁ?」
「まさかとは思うがお前田梨にコクったとか……、でもそれじゃあ泣かないか。え? コクられたのに断った?」
「いやそんなことぼくがすると思う?」
「だよなぁ」
土田は見間違いかなぁと頭をひねっていた。煮えきらない顔をしたまま土田は仕事に戻っていった。
ぼくは本来なら美術室に行くべきなのかもしれないけど、どうしても行く気にならなかった。
あの“死ね”は間違いなく田梨さん宛だ。女子とのパイプのないぼくには詳しい事情なんて分かりっこなかった。
どうすることも出来ない。知っているだけだ。誰が書いたかもどんな理由だったかも分からない。
ーーいつも通り無視すれば良いーー
ぼくの心は意地悪だった。
そうなのかもしれない。ぼくはなにも見なかった。
見てない。聞いてない。知りたくもない。
そうやってノートに書いた黒鉛みたいに消ゴムでまっさらに出来たらどんなに良かったのに。
ぼくは苛立たしげに口のなかで「畜生」と捏ね回した。
こんな自分が大嫌いだった。だからいつも良い奴でいたいと願って事実そうした。
友達もどきが一杯出来た。でもそれだけだった。自分の心に嘘ついた代わりに偽物の友達を受け取っただけだ。
みんなぼくの表面を見て「まじめー」とか「良い奴」とか「頼りがいのある奴」と言った。
でもそんなぼくの仮面は肝心なときに役立たずだった。結局、最終判断はぼくの心が握っている。
ぼくの選択だから当たり前だ。外向きに作ったぼくが全自動で受け答えしてくれる訳じゃない。
ぼくはもう一度「だいっきらいだ」と教室を出ていくときに言った。