六羽
旧です。
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担任辺見の数学の授業を寝たばっかりにぼくは教室を一人で掃除する羽目になった。
最近、総体に向けてか先輩の練習メニューが一段と厳しいものになっていたのだ。朝練と合わせるとかなりの練習量。金曜の五時間目はデッドゾーンだった。
既に終礼から時間が経ってしまっていて外から楽しそうに部活に励む声が聞こえてくる。いち、にー、さーん、なんて大声を上げているのは、総体に向けて練習に打ち込んでいる応援部かもしれない。
さきほどから何度目か分からない溜息を吐いて時計を見た。いくら止めってほしいと思っても時間は進む。アナログ時計の針は四時三分ほどを指し示していた。その間も止まることのない秒針を睨みながら教室のかどっこに集めたごみを塵取りで救い取った。
ぼくが掃除を終えパンパンと手を払い、職員室へ報告に赴こうとしていると田梨さんが急いだ様子で教室に入ってきた。
あれから彼女は美術部に入った。教室に置き傘を取りに戻ったりすると出会うこともしばしばだ。
「よ! 忘れ物?」
ぼくは気軽に話しかけた。最初は少し苦手だったけど、今では上手に自分を繕えるようになった。
田梨さんは此方に見向きもせず自分の机の中をあれー?と探していた。
「えーっと、うん。忘れ物しちゃって。ここにもないか」
「手伝おうか?」
「え? いや全然たいしたことじゃないから! じゃ、またね」
田梨さんは嵐のように去っていった。どうしたんだろう?と思ったけど時計を再度見てさっさと辺見先生に報告しようと決心を固めた。
北館の職員室へ渡り廊下を伝いながら向かっていく。体育館の横を通りかかると演劇部の役者の声が聞こえてくる。
「ほっほう! ぼくが来たからにはもう大丈夫さ、エリーシア」
「あーシュナイデル様、私を連れ去って!」
ぼくはカーテンの隙間からそれを眺めて溜息を吐いた。なんでこうも同じような芝居をやりたがるのだろう。理解に苦しむ。現実世界には騎士もヒーローも居やしないのにみんな心曳かれる。
そもそも黒髪の役者がエリーシア!なんて言ってる時点で滑稽極まりない。
ぼくはパッとカーテンを引き戻すと職員室に急いだ。
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先生にゴミ箱片しておいて、と言われたぼくは仕方なく教室に戻って来ていた。実際のところゴミを捨てようが捨てまいが先生には気がつかれないけどそれは気持ちの問題だ。
ばれなくとも罪悪感に苛まれてしまう。本当に難儀な性格だった。これで口笛を吹いていられるぐらい余裕なら良いのに。
ぼくはペットボトルと燃えるごみとシールの貼られたゴミ箱を両手に担ぐと校舎裏にある焼却場に向かった。部活にみんな行ってるために幸い視線は少ない。でも珠にすれ違う人はぼくのことを怪訝そうに見てきて気持ちが悪い。
相手が心の中でバカにしてるのかもしれないと思い始めると止まらなかった。
ぼくは人となるべく目を会わせないようにしながら校舎裏に行った。
危険防止のためか嫌に狭い焼却炉の口にゴミを流し込む。横に塵取りと箒が置いてあることからもよく分かる通り、結構な量のゴミが溢れてしまう。急いでいるのが祟ったのかその量は多かった。
「あぁ、もっ」
ぼくは誰にも聞かれることのない悪態を吐き出しながら箒と塵取り握った。溢れてしまったホコリやティッシュなどの小さなゴミは塵取りで掻き取り、大きめのペットボトルや雑誌などは手で拾って投げ込んだ。
その途中で黄色と黒色を配したスケッチブックがあった。スケッチブックを捨てるなんて誰だろう?
一時期は早乙女がよく机の中に入れていたので、覗いてバカにしたものだ。小学生がゴールデンタイムのアニメにお絵描きして投稿しましたみたいな絵なのだ。
首が妙に細かったり、構図が歪んでしまっていたり、それはもう酷いものだった。
もしかしたらぼくたちがそれを酷く言ったせいで早乙女は美術部を辞めてしまったのかもしれない。
少し懐かしくなったぼくはスケッチブックを開いた。
一ページ目は鉛筆で書いたラフだった。たぶん学校の近くの風景を描いたものだろう。どことなく見覚えのある風景が優しいタッチで中々上手いものだった。とくに桜の花の描写が細かかった。
でもぼくの目を引いたのはそこではなかった。その絵は上から墨でバッテンをつけられていた。ずいぶん杜撰な遣り方で墨汁が垂れてしまっている。
ボツという意味合いにしてはずいぶん激しいなぁと思いながら次のページを開いた。
今度はコピックで描かれたこれまた風景画だった。でもそれにも同じように墨でバッテンを付けられている。
ぼくは言い知れぬ不安感を覚えてパラパラパララと次々とページを捲っていった。どのページにも無表情なバツ印がつけられていた。
最後の背表紙に小さく『死ね』と丸字で書かれていた。背筋に冷たい汗が伝う。
パタンと閉じると名前を探した。
『狩野 理香子』と裏に筆記体で書かれていた。たしか三年生の先輩だ。ぼくはホッと安堵した。ここに違う名前があったらと思うと少し恐ろしかった。
でもどうして2ーEの教室にあったのだろうか?
いや気にすることはない。
ぼくは面倒事には関わりたくないとばかりにそのスケッチブックを焼却炉に放り込んだ。ガチャンと口を閉めると小さく物が落ちていくような音がした。
確認するようにもう一度口を開ける何も入っていなくて綺麗さっぱりといった様子になっていた。
こんな風に綺麗さっぱり忘れられれば良いのに。スケッチブックのことは中々頭から離れない。
最後の部分に書かれた『死ね』という文字が頭を過る。よくlineで友達同士で《マジ死ね~》とか使うけどそれとは意味合いが違う気がした。
いったい誰に向かって書かれた言葉だったのだろうか?
その日の練習はどうしても身が入らず先輩に叱られてしまった。いつもは気持ちの良い打球感も重い疼痛にしか感じられなかった。もやもやした気持ちを抱いたまま帰宅した。
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家に帰ると父も母も帰っていなかった。そういえば母は同窓会で父は残業と今朝行っていた気がする。
ぼくはソファーに我が物顔で座りながらネイルを塗る妹を目を向けてから、サランラップの掛けられた料理を手に取った。
今日のメニューは唐揚げにレタスのサラダ、それに白米と味噌汁。まとめてレンジにかけると、妹が見ているテレビドラマを後ろから覗いた。
相も変わらず恋愛モノのドラマだった。正直この時間はMowMowでテニスの試合中継をしているからそれが見たい。
「結衣変えちゃダメ? どうせ録画してるんだろ?」
「いま良いとこだからダメ~」
足爪のネイルばかり見ているくせに股に挟んだリモコンは渡そうとしない。
「うぐっ」
後で動画サイトで見れば良いかと溜息を吐いた。
「お兄ちゃんもこれ見ればいいじゃん。主人公中二だよ? ばっちしじゃん」
「途中から見ても分からないから良いよ」
「え~、良いシーンなのに」
ぼくが席を離れると引き留められた。感動を共有したい気持ちは分かるけどそれを初見に言われても困る。
「今、仕返しするシーンだからスカッとするね!」
「仕返し?」
「真由ちゃんと神木くんの恋路を邪魔した屑をパパっと処理するんだよ」
手刀をえいっやーと振り回す妹の表現は間違っていると思う。それじゃあ「この紋所がっ」の人の時代劇だ。
「ほらっ、神木くんマジかっけーじゃん」
所詮はフィクションだけどその演技は現実臭くて真に迫っていた。演劇部の大根役者ぶりとは大違い。
まぁヒロイン役は可愛いと思うけど。ぼくは少し興味を持って妹に聞いた。
「これ原作ってなんて名前なの? どういう話?」
「えーっと? 『蒼き空の果て』じゃなかったっけ。ストーリーは現代版シンデレラだよ」
「……シンデレラ?」
「お嬢様学校に入学しちゃった庶民がイジめられながらも財閥の坊っちゃんとラブするんだよ!」
「ふ、ふ~ん」
ぼくは俄然興味を失ってしまった。そういうジャンルは守備範囲外だ。
「真由をイジめる奴はオレが許さん!」
神木役の役者は教壇に飛び乗ると叫んでいた。妹が「くーっ」と足をバタバタさせるのを放って呆れながらレンジで温めた夕飯を食べた。
ぼくもこんな風に正直に生きられたら楽なのかもしれない。