四羽
旧です。
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この上無く面白味のない現国の山田の授業をバックグラウンドミュージックに、今日も窓の外を眺めた。
普通の人にとっては無味乾燥な授業と同レベルに詰まらない秋の空かもしれないけど、ぼくは気に入っている。
真っ青の空のキャンパスに、もこもことした雲や千切れた雲がゆっくりたゆたう。見ているだけで気分を落ち着けてくれる。そうしているといつも欠伸が漏れてしまう。
面白いのだか面白くないのだかよく分からない。
「……、教科書忘れちゃったんだけど、見せてくれない?」
ぼくが目の線を細くして夢幻の世界に落ちかけたときふと声が聞こえてぼくの意識を引き戻した。
寝入り端を邪魔されたことに少し苛立ちを覚えながらも声の主の方へ向く。
田梨さんの机の上には、現代文の教科書のオレンジに良く似た道徳の黄色い教科書が置いてあった。ぼくも入学当時によくしたことのあるミスだ。まだ転入してきて二週間しかたっていない田梨さんには慣れきってしなかったのかもしれない。
ぼくはどうせ寝るだけだからなぁと思いながら枕代わりに使おうと思っていた教科書を渡した。
「え? でもそれだと佐藤くんのが」
「良いよ、寝るだけだから」
まだ食い下がろうとした田梨さんに眠気がどんどん停滞して行くのを感じながらぼくは顔に感情が出てしまわないようにそっぽを向いた。
「コイツが良いって言っているときは素直に受け取った方がいいぜ」
気がつくと前の席の早乙女が此方を見てニヤニヤしていた。少し前から何を勘違いしたのか早乙女はぼくと田梨さんを見ながら笑うようになった。
「そうなの?」
怪訝そうな顔をして此方を見てきた田梨さんの首を傾げた様子に不覚にも可愛いと感じてしまって気恥ずかしくなった。ぼくのどぎまぎした様子を見て早乙女がさらに笑みを深める。
悪循環だった。正直眠気なんて覚めてしまったけどぼくは「そうだよ」と苛立たし気に言って筆箱に突っ伏した。
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部室で練習着に着替えていると後輩の来馬 幹が彼の取り巻き、金子 信之と阿南 昴と伴って入ってきた。楽しそうに雑談していた三人はぼくの姿を見ると「「「ちーっす」」」と仲良さげに挨拶してくる。
少し荒れてしまったグリップを張り替え時かと悩んでいると来馬が媚びてくる。
「佐藤先輩~、転校生と仲良いんですって? どうなんですか?」
「なんにもないよ」
粘っこい敬語に苛立ちを覚えながらも口許をヒクつかせた。
「え~、可愛いんでしょ? lineのID部活のグループに張っておいてくださいよ。先輩の代わりに落としてみせますから~」
「早乙女とかに頼め」
ぼくは適当にあしらうと部室を後にしようとした。でもその前に「あれ? 早乙女先輩の情報って嘘だったのかな?」「まぁ、あの佐藤先輩に限って有り得ないとは思ったけど」「だよね~」という会話がぼくの地獄耳が捉えた。
ゆっくりとしまっていく部室の扉を振り向き様に止めると冷たい怒りを感じながら口を開いた。
「その話よーく聞かせてもらおうか」
「うげ、佐藤先輩・・・」
この後、後輩三人をたっぷりこってり絞った所、無駄に後輩と仲の良い早乙女が下級生のlineで《あの佐藤にも春到来!》と根も葉もない噂を垂れ流したらしい。
早乙女は粛清決定だ。
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「佐藤、許しって。マジごめんって! いたいからぁぁ」
ぼくは体育の柔道選択で習った関節技で左腕を絞り上げながら早乙女に刑罰を施していた。
「え? なんだって? よく聞こえないなぁ」
ぐりりとさらに縛り具合をあげた。早乙女の肘が悲鳴をあげる。早乙女の顔が苦しそうに歪む度にぼくの心がふわりと軽くなる。
「悪かったぁぁぁあああぁ」
本気の悲鳴にストレスが吹き飛んだぼくは早乙女の腕を離した。地面に崩折れた早乙女を見下ろす。涙目で腕を庇っている早乙女は痛々しかった。
回りでは「あの佐藤が切れてるぞ、なにやったんだ?」「早乙女先輩ならいろいろしそうっす」「えげつねぇ」と先輩同級生後輩問わずひそひそと噂するのが聞こえた。
「で、弁明は?」
「言い訳のしようがありません。ちょっとした出来心でした」
痴漢して捕まったサラリーマンのようなどうしようもない弁明をする早乙女の目は死んでいた。
ぼくははぁと溜息を吐くともう良いよと手をヒラヒラさせた。でも調子の良い早乙女はそれだけで復活を果たすと「でもでも」と小学生みたいに言葉を継ぐ。
「佐藤だってちょっと気にしてたじゃんか」
「まったく」
「嘘つくなよ。あんまり奥手だと他に盗られるぞ」
「盗るも何もそもそも田梨さんはぼくの物じゃないよ」
少なくてもぼくは田梨さんに対して特別な感情なんてこれっぽっちも抱いていない。勘違いも甚だしい。
「じゃあ、なんで少しキョドってんだ?」
早乙女は素直にそう思っているらしい。たしかに思い返してみればいつものぼくで無い気がする。優等生の仮面を被ったぼくらしくもない。
「そうかな?」
ぼくは自分でも分からなかったからとぼけることにした。このぐちゃっとした感情を口に出して表現するのは難しかった。
「そうだって!」
ぼくは内心で、お前にぼくの何が分かるんだ? と良いながら笑顔で誤魔化した。
「先輩! 玉出しお願いします!」
ちょうど良いところに後輩がボールを満載したカゴを持ってやってきた。いつもなら面倒だと口には出さず罵るところだけど今日はばっかりは追求を逃れることが出来て素直に喜ばしい提案だと思った。
「良いよ」
笑顔で快諾した。
後輩にストレスをぶつけるが如く厳しいコースに玉出しをする。それをなんとかかんとか返してくる後輩たちに成長を感じながらカゴ一杯の玉を使いきった。
「ボールアップしとけよ」と言いながら自分の学年のコートに戻った。
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今日はどことなく一人になりたい気分だったので帰りにたむろするのは断った。
一人電車の吊革に手を掛けながらスマホを操作する。いくら努力しても金にも学力にも変わらない無料ゲームをぽちぽちとやりながらイヤホンで耳を塞ぐ。
ノイズキャンセルをすると電車の騒音は遮られてガタンガタンと腹に響く揺れだけになった。
ブックマークのお気に入りを連続再生しているとふとぼくは今日の早乙女の言葉が甦った。
『なんでキョドってるんだ?』早乙女の声はいつしかぼくの声に差し変わり問いかけてきた。
どうしてだろう?
自分でもよく分からなかった。
好きとか嫌いとかそういう感情でないことは断定できる。田梨さんと話していると何故かどうしようもない自分を見透かされている気がして言葉が続かなくなってしまう。
場の空気を読んで良い子の仮面を被る。ぼくは世渡り上手でもないし社交性も今一だと自覚している。だからこそ身に付けた能力だった。
すべてをそつなくこなしていれば周りも納得してくれるし文句を言われる心配はない。
いつからこんなことばかり考えるようになったのだろう?
幼馴染みに「自己中!」って言われたときだろうか?
そんなわけない。
ぼくは自嘲した。
きっとこれが大人になるってことなんだろう。自分の感情を押し隠して表には笑顔と世辞をぶちまける。
父がウィスキーを食らいながらそんなことを言っていた。
「唐木通り~唐木通り~、お出口は右側です」
ぼくは最寄りの名前がアナウンスを聞くと思考を止めて帰路についた。