それならボクはやってやる
<注意>この話はあくまでファンタジー世界の物語です。
ボクは亡霊。肉体を持った亡霊。
あの日、ボクの肉体は死ななかった。でも、ボクは死んだ。
だから、殺した。
ボクは肉体を維持したまま、悪霊となった。
遥か西方の地に救世主が誕生してより、はや2000年余り。東方に浮かぶボク達の暮らす島国、ソルホン皇国が15年海戦に敗れてより、60年余り。
むしろ敗北は、皇国を戦乱より遠ざけた。
ボクは、戦乱を知らない。
でも、戦争は知っているのかもしれない。
あの日も、ボクは皇都へ向かう巨大な鉄の蛇の腹の中にいた。大量の人間を移送するために生み出された魔法生物。この巨大生物には多くの亜種が存在し、種ごとに通り道と鱗の配色が決まっている。
合計で何匹ぐらいいるのであろうか?熱狂的な鉄蛇マニアに聞くなどして、調べれば分かることなのであろうが、調べようとも思わない。ただ相当数いると思われる鉄蛇達の能力を総合したとしても、皇都に向かう全ての人間に快適な移動を提供することは不可能であろうことだけは、知っている。
いや、そもそも、鉄蛇達は種ごとに決められた道を通る。総合すること自体が端から無理なのかもしれない。
これ以上考えた所で、毎朝夕の憂鬱観が増すだけである。
それ程までに朝夕の移動は苦痛を伴う。朝夕、鉄蛇は実に多くの人間達を体内に招き入れる。鉄蛇の腹の中は、人、人、人!
人々は、押し合い圧し合い蛇の体内へと雪崩れ込む。飽和状態の空間で見知らぬ者同士、それぞれの居場所を奪い合う様は、戦争と評するに値するのではなかろうか?
ボク達は生きる糧を得るため、皇都とその衛星都市との往復を繰り返す。
ボク達、庶民にとっては皇都に居を構える事など、夢のまた夢。そんなことが出来るのは、貴族や一部の成功者だけだ。
もちろん、皇都への移動手段が鉄蛇に限定されているという訳ではない。鉄蛇に比べては圧倒的に小さな数人乗りの鉄鰐や、1人乗りの大蜥蜴なんかも存在する。ただし、これらはそれなりに値の張るもので、これらを所有することは夢とまでにはいかないにしても、憧れの的ではある。
それに、皇都は物資を輸送する大亀達で溢れ返っているし、鉄鰐や大蜥蜴を休ませておくだけのスペースの確保も難しい。何だかんだ言っても、鉄蛇が最も便利な移動手段なのである。
だから、ボクはあの日も、不快でしかない鉄蛇の体内に身を委ねていた。
ボクをその身に取り込んだ鉄蛇は、専用の陸橋を這い、そして、地下の巣穴へと潜り込む。巣穴の奥には、鉄蛇達の寝床があり、そこでは多くの鉄蛇達が体内から人々を開放する。
鉄蛇の寝床から、少し歩いたところにボクの目的地があることを付け加えておく。一年のうちの日中の大半を過ごし、生きる糧と少々の生きがいと、そして、何より疲労をボクに与えてくれる場所だ。
目的地到着まで、まだ少し時間がある。
眠ろう。
ボクは、立ったまま瞼を閉じ、浅いまどろみの世界へと誘われた。
しばらくすると、ボクのポケットの中で小刻みな振動が起こった……電信生物がメッセージを受信したようだ。
電信生物とは、魔力によって遠くにいる人間の声や文章を届けるために生み出された生物で、ポケットサイズの小型な種も存在する。小型な種のものは、移動時の衝撃にも耐えられるよう、甲虫をベースとしたものが主流となっている。
ちなみに、ボクは男性ではあるが、男性に人気のカブト虫タイプではなく、女性に人気のテントウムシタイプを愛用している。
それはさておき……一体誰からだろう?
元々、浅い眠り。直ぐに覚醒したボクの脳は、右手をポケットへと誘うようへと指令を出した。
でも、その時の指令は遂行されなかった。誰かに阻まれた。ボクの右手は、脳からの指令に反してポケットから遠ざかる。
そう強くない力の主に、精一杯捻り上げられていることに気付いた。
女性だ。きっと、魔導機のオペレーターなのであろう。ローブに身を包んだ若い女性が、それなりに美しい顔を真っ赤にしている。
ボクの右手首を掴んだまま、怒りを顕わにしている。
「この人、痴漢です!!」
女性は、怒声にも、金切り声にも聞こえる声で、周りに訴えかける。
そんな馬鹿な!
もしかして、寝惚けて……有り得ない。確かにボクは、一時、まどろみの中にいた。しかし、それは浅いまどろみ。脳は直ぐに覚醒した。自分が、何をしようとしていたかぐらいは分かる。
ボクは、やっていない。断言出来る。
ボクは、ただ、ポケットの中の電信生物を取ろうとしただけだ。その結果、右手は、図らずも、女性の下半身の近くに向かうことになっていた。
痴漢冤罪。
しばしば、放映鏡や新聞等で取り沙汰される言葉が脳裏をよぎった……潔白を証明することは不可能に等しい。
ボクは、殺されたことに気付いた。
社会的死者。
もう、ボクは死んでしまったのだ。失うものはもう、何もない。何をやっても構わない。ならば、何もかもを奪われた恨みを晴らすため、悪霊となろう。
幸か不幸か、ボクがそういった考えに至るのは早かった。
周りの人間達が、女性の訴えを受け止め、行動に移すよりも早かった。
ボクを取り押さえようとする幾つもの腕が届くよりも早く、ボクの左手は女性の口を塞いでいた。
遅れて届いた手の群れが、必死にボクの左手を引き剥がそうとしていた。
しかし、ボクの左手は剥がれない。生前では信じられない程の力で、女性の頬と顎を包み込んでいる。
指先が、女性の骨がひび割れ、陥没していく一部始終を感じ取っている。掌で、女性の苦悶の叫びを封じ込めているのが分かる。
それだけのことでボクの魂が鎮まることはなかった。ボクの脳は恐ろしい程冷静に、呼び起こしたい事象を想像していた。ボクの口は、事象を呼び出すきっかけとなる言葉を次々に並べていた。
群れの中の1つの手によって口が塞がれるよりも早く、詠唱は終わっていた。脳裏に描かれる白熱色の爆発……同じことが、ボクの左掌の先、女性の口腔内で起こっていた。
女性の頭蓋は下顎のみを残して、破片と液体に分解され、四散した。このレベルにまで破壊された肉体を修復することは、現在の魔力水準では不可能である。
女性は、自ら葬った男の悪霊に取り殺されたのである。ボクは、そう考えた。でも、周りはそうは考えなかった。
痴漢事件は、殺人事件へと一気に昇華した。大事件である。こうなれば、治安官達も中途半端な捜査では許されない。
ボクは、現行犯として直ちに連行され、取り調べ……動機を聞かれた。聞いて貰えた。
これが、ただの痴漢事件として終わっていたとして、ここまで真剣に聞かれることはあったであろうか?
さあ、聞いてくれ!
肉体を維持したまま悪霊へと墜ちた男の憐れな声を……
-おわり-