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三途の川の渡り賃

作者: 凡奈 蛮

三途の川:あの世とこの世の境界に流れる川。渡り賃は6文。



 それはこの世にあるどんな川とも違った。水の色は灰色。しかし濁っているわけではない。岸から川の底のゴツゴツした岩を見ることができる。不純物が混じったわけではなく、ただ初めからこの川の水は灰色なのだというよくわからない確信があった。


 川の向こう側にもこちら側にも同じ景色が広がる。川がすぐそこにあるというのに岸の土はまるで水分をふくんでいない。乾いた大地から木が数本生えているが葉っぱどころか枝すらない。まるで切り落とされたようだ。半端に積み上げられた石の塔のようなものも見られる。とにかく、ワイシャツにスラックスという出で立ちには微塵もそぐわない場所だ。


「あんた。」

突然声をかけられた。枯れた、老婆の声だ。まるで、ずっとここにいて砂と水を糧に暮らしているような声。それでも不思議と嫌悪感は抱かなかった。老婆は木の小舟に乗って、川に浮かんでこちらを見ていた。


「ぼうっとしてるんじゃないよ。乗るの、乗らないの。」

「乗って、どこへいくんですか。」

急かされ、静かに返事をする。答えは分かっているような気がしたが、尋ねずにはいられなかった。


「わかってるんだろう。あの世だよ。こんな半端なところにいちゃあ、餓鬼に喰われちまうよ。」

予想通りの答えだった。どうやら私は死んだようだ。あっさり受け入れられるのは、この現実離れした景色のせい、いや、景色のおかげだろうか。


「では、乗せてください。」

そう答えて船に乗り込もうとゆっくりと歩き出す。

しかし、老婆は舟をおりて道を拒んだ。

思わず首をかしげる私に、ずい、と枯れ木のような右手を差し出す。


「6文だよ。」

「6文。もしかしてお金ですか。」

「他に何があるっていうんだい。」

老婆が即答する。あまり交渉でどうにかなりそうな相手ではないが、お金などもっていないし、「文」などいう貨幣は聞いたことがあっても見たことがない。もしや、と思ってポケットに手を入れてみたが布に触れるだけだ。


「そんなもの、ありませんよ。」

そう答える私をみて老婆は鼻を鳴らし後ろを向いた。

と、次の瞬間とつぜん振り返り、私の服の腹の部分を引っ張ってきた。老人とは思えない恐ろしい力だ。

 とっさに同じ場所を掴み引き返す。かれこれ10秒以上は引き合っただろうというところで、老婆が手を滑らし盛大に尻餅を付いた。はぁはぁ、と息をしながらこちらを睨み上げる。だがこちらもだまっていられない。


「突然何をするんですか。」

「金はないんだろう。」

荒い息のまま老婆が言う。しわがれている声はひどく聞き取りづらい。


「ありませんよ。」

「けっ、それで服を渡す気もないってかい。」

軽蔑したように吐き捨てる。よくわからない。お金の代わりに服で払う、というのはこの世界では常識なのだろうか。


「いいよ、じゃああんたはあっちにいきな。」

そういって上流を指さす。つられて顔を向ける。だが上流のほうも同じ景色が続いているだけだ。


「なにもありませんよ。」

老婆を振り返って尋ねる。


「あそこだよ、あそこ。」

老婆はより強く指を刺す。よくわからないと思いつつもう一度上流を見る。

すると、先程は何もなかった景色に、もう一隻の舟が浮かんでいた。そしてその上にいるのは、今度は老爺だった。


「あの変わりもののとこへいきな。」

もうどうでもいい、というように老婆が言う。


「あちらの舟はただなんですか。見た目も同じようですが。」

「同じに見えるのかい。あっちは3もんだよ。」

同じではないと老婆はいう。しかし半額とはいえお金がいるのならあちらに行っても乗れないのではないか。


「半額だってだせませんよ。」

「その3文じゃないよ。いいからおいき。」

そういって老婆は自分の舟に乗り込んでしまった。そのままひとりで向こう岸へと進んでいく。振り返る気配もない。

 仕方がないので老爺のところへ歩き始めた。乾いた地面を踏んでも足音は響かなかった。



「かひひ。ようきたのう。」

老爺は楽しそうに口を開けて笑う。歯のほとんどは抜け落ちており隙間の方が多いくらいだ。


「成り行きですが。実はお金を持っていないのです。」

「それじゃあ、向こう岸には連れていけんなぁ。」

かひ。と小さく笑って答える。


「じゃあ別の場所になら連れていってくれるのですか。」

思わず子どもの揚げ足取りのようなことを言ってしまう。自覚はないがこちらを馬鹿にしているような笑に不快感を覚えているのかもしれない。


「おお。察しがいいことじゃないか。」

しかし老爺の口から出てきたのは肯定の言葉だった。


「ほかの場所に連れていって欲しいなら、3もんじゃよ。」

老婆が教えたことと同じことを言う。しかし、老婆にも言ったが3文だろうと6文だろうと私には払えない。


「確かに半額は破格ですが、生憎一文無しなのです。」

「そうじゃない、問題が3つって3もんじゃよ。3つ、わしの出す問いに答えられた

ら、舟にのせてやろうじゃないか。」

さんもん。どうやら3文ではなく3問だったようだ。そんなことを聞いて老爺の利益になるとは思えないが、それで乗せてもらえるなら安いものだ。


「わかりました。得意ではないですが答えてみましょう。」

「かひひひ。そうじゃそうじゃ。そうしなせぇ。」

老爺は嬉しそうに笑う。こんなに何もない場所では、これが数少ない娯楽代わりなのかもしれないと思った。


「では、ひとつめじゃ。」

さっそく始まった。難しくなければ良いが。


「お前さんの、名前はなんじゃ。」

「なまえ、ですか。」

ひどく簡単な問題、むしろ質問だった。この程度の問題が続けば簡単に終えてしまうだろう。そこまで考えてふと気づいた。私は誰だろう。

 考えるまでもない。私は私だ。昔からわたしだった。しかし、その私が何者かが思い出せない。


「かかひひ。1つ目にしちゃあ難しかったかのう。」

老爺は私を急かすでもなく、ただ心から愉快だとばかりに眺めている。

 嫌な予感がした。なにか自分がよくないことに巻き込まれているような気がしてきた。

それが老爺の笑のせいか、この景色のせいか、あるいは別の何かのせいか、それもわからなかった。


 それでもこのままではいられない。目を閉じゆっくりと思考を集中させる。私の名前。

それくらい思い出せるはずだ。 

 

そのとき、目蓋の闇の奥から、私を呼ぶ声が聞こえた。無意識にその声を反復する。


「おとう・・・さん。」

おとうさん。そうだ、わたしはお父さんだ。


「かか。それは名前ではないのう。」

老爺は否定する。それでも私はおとうさんだ。だがそれでは足りないことも知っている。もう一度目を閉じる。今度は私の名前が聞こえてきた。


「まさひろ、さん。」

「かっかひひ。正解じゃな。」

そうだ。私の名前は雅弘だ。


「では次の問題じゃ。」

老爺のスカスカの歯が笑う。



 また胸騒ぎがした。このまま老人の問いに答え続けてはいけない。自分のなかで何かがそ

う言っていた。だが同時に、私に呼びかけるあの声について知りたいとも思った。


おとうさん、まさゆきさん。


あれは間違いなく私が愛するものたちの声だ。


「2つめの問題じゃ。お前さんの死因は、なんじゃ。」

「死因ですか。」

そうだ。私には死因、死んだ原因がある。ここにいるのだから。

 もう一度目を閉じる。呼吸を整える。思い出すのだ。私が死んだ原因を。恐らくそれ

は、苦しく、つらいことだ。そして思い出さなければならないことだ。ゆっくりと息を吸い、少しずつはき出す。精神を整えるのだ。


「かかひひ。」

だが、思い出せない。落ち着いて考えたところで、私は何も思い出せなかった。先程のように、声が聞こえてくることもない。


「これもまた、難しすぎたかもしれんのう。降参するか。わしも、服でゆるしてやろうかのうかかひ。」

老人の言葉の最後は笑い声とまじり聞き取れない。


 服。そういえば気づけば私はかなりだらしのない格好をしていた。先程老婆と引き合

いをひたときにワイシャツのボタンが2つは外れ、さらに2つは取れてしまっていたのだ。シャツの隙間からは痩せた白い肌が見えていた。地肌にそのままワイシャツを着るのを誰かに嫌がられていたことを思い出した。あれは誰だっただろう。


 違う。こんなことを考えても仕方ない。我に帰って顔を上げようとしたとき、シャツの隙間から赤い線と白い線が見えた。これはなんだろう。どうしようもなく気になって、シャツにかろうじて付いていた数個のボタンを外す。2本の線はほぼ平行に、右の脇派からへその辺りまで走っていた。いや、線ではない。どちらも少し盛り上がっている。これは傷の跡だ。白い線は古い傷跡だろう。しっかりと縫い合わされ、傷がふさがっている。


 一方赤い線は、吐き気がした。線を見たら吐き気がした。この傷はふさがってなどい

ない。無理やり縫い合わせただけで、今にも開きそうな傷だ。


「かひひひひ気づいたかの。ほれ、腹からあれこれ出しっぱなしじゃあまずいじゃろ。

ここに来る前に誰かがつなぎ合わせたんじゃろうなぁ。」

「だとすると、これが、この刺し傷が、私の死因・・・。」

そう答えた瞬間、傷が開き血が溢れ出す気がしたが、そうはならなかった。


「正解じゃ。まぁもう、その腹の中にはなにもはいっておらんじゃろうがのう。」

老爺は本当に楽しそうだ。私はまたこみ上げてくる吐き気をこらえなければならなかった。



「さぁて、では3問目に移るとするかの。最後の問題にな。」

次で最後。だが、あとひとつで終わってしまっていいのだろうか。ここまでの2つの質問に答えてきて分かったことがある。問われている内容は、私が忘れている記憶だ。しかし、それは考えることで思い出せることだ。この2問はそうだったし、私が答えられないならば問う意味がない。となると質問に答える度に私は私のことを思い出すことができる。それなのに、あとひとつしか質問はないという。私が思い出すべきことはまだまだあるはずなのに。


「お、なんじゃ。きひ。不満そうじゃのう。なんでじゃ。ああ、そうか、正解すればどこに連れていってやるか言っておらんかったのう。そりゃあ心配になるのも当然じゃ。」

私の悩みの正体を誤って解釈したようだ。しかし、ながらそれも気になる問題ではある。わたしはどこに連れて行かれるのだろう。実は地獄に連れていこうとしているのではないか。思い浮かぶ考えは貧相で、それゆえ恐ろしい。


「きひきき。そうじゃのう。わしは機嫌がいいからのう。お前さんをもといた場所に返してやろう。」

「元いた場所。」

それは。


「お前さんたちから言うと。この世、という場所になるのう。」

この世。つまりそれは、生き返る、ということだ。そんなことがありえるのだろうか。質問に答えるだけで、生き返ってよいなどと。


「なぁに。実はお前さんは条件を満たしておってのう。今までにも何人か返したことがある。まぁ信じれんでもいい。どうせ、少ししたら結果がわかることじゃ。」

老爺は笑い声こそあげないものの、相変わらず楽しそうだ。


 死んで生き返る。これは多くの人が羨むことだろう。ただ、本当にそれでいいのだろうか。大きな問題がある。私は刺されて死んだのだ。もちろん、事故の可能性もある。だが、誰かに刺された可能性も高い。それはつまり、私の死を願う誰かがいるということだ。生き返っても、すぐに殺されるかもしれない。


「おとうさん。」

「まさひろさん。」

その時、また声が聞こえた。私を呼ぶ声だ。そうだ。この声を持つ者たちと会うことは他の何よりも重要なのだ。そう思えた。


「答えます。」

私ははっきりと老爺に告げた。


「ひきき。そうでなくてはのぅ。では3つめの質問じゃ。お前さんを殺したのは、誰じゃ。」

それは私が最も知りたい謎でもあった。


 私を殺した人間、私を刺した人間、私がここにいる原因を作った人間。言い方は様々だ。それが誰か思い出すことができなければ、生き返ることはできない。難しい問題だが、別の意味でも生き返るのに必要な問題だ。自分を殺した相手も思いさずに、生き返るわけにはいかない。


深呼吸をして目を閉じる。


思い出すのだ。全てを。目蓋が作り出す暗闇から、真実が浮かび上がるのをゆっくりと待つ。

 1分2分。それくらいは経過しただろう。景色は黒いまま。しかし、その黒を背景にしてひとりの人間が浮かび上がってきた。その男は暗闇と同じ色の服を着ていたが、手には光る刃物を握っていた。ゆっくりと刃物を私に向ける。


「こいつだ。」

「ひき。誰かのう。」

「この男です。」

老爺には見えているはずもない。それでもそう主張せずにはいられない。


「だめじゃの。」

当然そんな答えは認められない。しかし。

「その男ではない。」

老爺の口から出てきた言葉に耳を疑った。見えているのか。それに、何と言った。その男ではない。違う。そんなはずはない。だってこいつは私に刃物を向けている。


私はひどく困惑した。その間にも自ら作り出した闇の中で、男の突き出した刃物は私に近づいてくる。


男が私を刺すことはなかった。その代わりに。


私はその刃物を受け取り、自らの腹に突き立てた。

血があふれる。男は倒れる私の手から刃物を奪い、ゆっくりと消えていった。


はっと目を開く。目の前にいるのは、黒い服の男ではなく老爺だ。相変わらず楽しそうに笑っている。こちらはわけがわからない。


「思い出したかの。」

思い出すなどと。


「あんたに残された選択肢は2つ。」

声が聞こえてくる。老爺は何も口にしてはいない。声は頭の中で響いている。

「借金にまみれて家族と地獄に落ちるか。ひとりで地獄にいって家族を助けるかだ。

 生命保険ってやつはいいね、あんたみたいなクズが死んだだけで金が出る。なに、あんたが自分を刺したらこっちで得物を回収してやるさ。そうすりゃあ、だれかに刺されたと思われる。俺たちも人殺しなんてリスクは背負いたくないしな。まぁ必死こいて真面目に働くってのもありだぜ。這い上がれる奴なんてまずいない、それはお前がよく知っていることだろうけどな。」


そうだ。これが事実だった。おとうさん、まさひろさん。私をそう呼ぶ者たちを救えるのなら、命すら捨てる。そう覚悟したのだった。今頭に浮かんだ映像は間違いではない。私は男の言うとおり、刃物を受け取って、そして。


「自分自身を刺したんだ。私が、私を刺したんだ。」

思い出してしまった。体中から力が抜け、崩れ落ちそうになる。


その瞬間、頭に光が突き刺さった。


私は今何をした。何を口に出してしまった。


「きっひひ。自殺。正解じゃ。」

老人が満足そうに笑う。


「違う。違います。今のは答えたんじゃない。」

そう、正解してはならなかった。私は自ら死を選んだのだ。それなのに、正解してしまっては意味がない。

「ご謙遜ご謙遜。さぁて、わしも約束は守らんとなぁ。」

老人が、とん、と舟の上で足を鳴らす。その瞬間景色が揺れた気がした。いや、気のせいではない。景色は揺れていた。私はいつの間にか舟に乗っていた。


「違う。これでは意味がありません。家族を救えない。これでは、これでは。」

「かひ。もう遅い。」


川の流れなどほとんどないのに、舟は恐ろしい勢いで下流へと流れていく。人の意思など気にも止めない。




下流から舟が戻ってきた。乗っているのは、老爺だけだ。

先程の老婆が迎える。

「いってきたかい。」

「かひひ。嫌がっておったがのう。しかしちと最近は渡り賃を持たん者、ようするに自ら命を絶つものが多過ぎる。少しはお引き取り願わんとこちらもやれんから仕方ないわな。」

「ふん。自分で死ぬような奴を生き返らせてもすぐ戻ってくるさ。みただろう、あの若者の腹。傷が2つ。今回のと、前回のだ。5年前だったかね。わたしゃ覚えてるよ。あいつが渡し賃を持たずに来たのをね。その時も返してやったのに結局は今回戻ってきたじゃなか。」

「かひひひ。戻ってきたと考えるか、5年はもったと考えるかじゃな。」

「ふん。物好きじじいが。」

その言葉を最後に2人は挨拶もなしに逆方向へ船を出す。

男が3度目に川を渡ろうとするとき、渡り賃を持ってくるかは誰にもわからない。



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― 新着の感想 ―
[良い点] シンプルでよかったです.短編としてとてもよいと思います. [気になる点] 主観的で曖昧な感想ですが,情景描写になんというか,「カタコト感」がありました.
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