第5話
森には奇妙な生物がうじゃうじゃしている。主に昆虫系統のものが多い。今どきの若い子等では「キモチワルイ」と言ってスルーだろう。若しくは騒ぐだろう。
そんな森を進むこと30分、前方に大きな魔力2つを察知した。因みにヘレンはもう自分の足で歩いていた。女魔物のラナスと気の短いサテルだ。ラナスは大変緊迫そうな表情をしている。
「・・・アナタ、やっぱりヘレン・ルートフィアね・・・?あぁ、何てこと・・・」
どうやら当たってしまった自分の勘に嘆いた。しかし格の違う相手に勘など当たろうとも大した意味を持たない。対処法など端から存在しないのだ。在ったらこんなに緊張していない。
「え?!ヘレン?!マジで?!」
サテルはラナスとヘレンを交互に何度も振り返った。
「分かったらそこどいてくれない?私は戦うつもりないんだ。ただアヴェルダンに行きたいだけだから」
ニコリと話すヘレンからは微塵も殺気は伺えない。しかしそのことを聞いて2人は驚いた。
「アヴェルダンに?!・・・噂にはきいていたけど、まさかアナタ・・・アナタほどの者が人間に肩を貸してるって本当なの?」
強い魔物ほど人間には牙を向くもの・・・。良い例が約300年前のティランだ。それに魔物がわざわざ赴いてまで欲しいと願うものはアヴェルダンにはない。『血の涙』など、魔物は欲しがらない。
「何か不思議かな?」
どことなく哀愁漂う笑顔でそう返した。・・・ラナスも女。その胸の奥に秘められた悲痛さがひしひしと感情を逆撫でてきた。
ヘレンは昔、人間嫌いで有名でもあった。「人など見るだけで反吐がでる」と吐き捨てていた。そんな人間嫌いなヘレンが人型の存在というのも皮肉なものだが、それほどまでに毛嫌いしていた人間の肩を持つと言うことがとても信じられなかった。
外見は若い女の姿、ラナスよりも年は上だろうが、見た目は年下だ。そんな彼女を見て何を思ったか、ラナスは話を切り出した。
「アナタがここまで来るのは実に数百年ぶりのこと・・・。アヴェルダンは変わったわ。昔よりももっと黒く濃くなった。私たちもそのせいあって離れの森に住んでいる。『血』以外の娯楽が好きな連中は誰一人としてあの地には残っていない。」
確かにカードで遊んでるような連中はもとより場違いだろう。しかしそんなことは問題じゃない。
「私がアナタに言うようなことじゃないけど、帰った方がいいわ」
「え?」と2人とも目を丸くした。ヘレンもまさか自分がそんなことを言われるとは思っても見なかった。寧ろ心外である。
「私達だって、ヘレン・ルートフィアと言ったら、その強さは分かっているわ。それでも敵わないかもしれない魔物が1体産まれたの。まさに悪魔よ」
興味あり気に話を聞き入るヘレンだが、ティランは内心首を傾げていた。「そんな話聞いたことねぇぞ」と。しかし自分の知らない300年間のうちに起こった出来事かもしれない。
「何の秩序も無かったアヴェルダンも、今やその悪魔によって統率しつつある。アヴェルダンと言ったら『血の涙』。アナタたちもそれが目的でしょうが、手に入らないわよ」
更に予想外の出来事。『血の涙』が手に入らない・・・?そんなことあり得ないだろう。しかし気になるので続きを聞いた。
「その悪魔の為の血の涙になっている。悪魔は主食として血の涙を食べているわ。どんどん力をつけている。でも魔物にとっても影響が大きいから、1週間に1度くらいのペースでしょうけど。血の涙は例外なく悪魔のもとに運ばれる。血の涙をそれ程までに欲した魔物は彼が初めてよ」
・・・だろうね。魔物にとってさほど魅力的じゃない。人間で言う栄養ドリンク的な存在だ。なくても構わないものだ。匂いだけでも影響があるため摂取する必要もない。だからアヴェルダンの魔物達は皆骨が折れるのだが、全く歯が立たないこともない。さすがに集団でかかって来られては魔力と体力の消耗が激しいいだろうが。そもそも血の涙には破壊力がある。好き好んで食べたり出来るほど軽いものではないのだ。口にするだけで悲惨な末路を迎える魔物すらいる。一体その悪魔とやらはどんな体の造りをしているんだ。
「だから帰った方がいいわ」
一通りのことを喋ると、最後にそう言った。ヘレンは「へぇ~」という感じで聞いていたが、ティランには解せない所があった。
「何でそんなことをいちいち教えてくれるんだ?」
その問いかけにはサテルも同じ感覚だったらしくラナスを見た。ラナスは眉を下げて笑った。
「自分の敵などいないってくらいに強い者が、果敢無気に笑うのを初めて見たから、かしらね」
その答えにティランは顔に「嘘?!」と書いてあるような表情でヘレンを見たがそっぽを向かれた。
「へぇ。ヘレンがそんな風に笑ったのか、仰天だな」
からかうように笑うティランだが、ヘレンは睨み上げるだけでラナスに言った。
「ご親切にどうも。でも私、一度決めた事は放置しない主義だから」
そういってさも当然のように歩き始めた。進行方向がラナス側だからそちらに歩いて行くのは当然なのだが・・・。
・・・こんな恐怖を感じたことがあるだろうか。まさに死が歩いて来るような感覚・・・。到底敵うはずのない大きな存在が、一歩一歩確実に迫ってくる。近づけば近づくほど思考回路は停止して行き、最悪な妄想に取り付かれてゆく。
目の前の人物に殺意が無いことは分かっている。自分に恐れを与えているのはその存在事態。しかし恐怖はあらぬ幻想を創り出す。本当は殺しに来ているのではないか、など思う。
しかしあっと言う間だった。さっきまでの妄想劇は幕を閉じた。
通り過ぎた2人を振り返ると、何でもない風に軽快に歩いている。今までの威圧感は耐え難いたったの3分間。恐怖が過ぎれば何の変哲のない風景がよみがえる。
「・・・ハァ」
安堵のため息をつくラナス。昔よりも格段に強くなっていたことが分かる。しかしそれでも、あの悪魔には・・・。
「なぁラナス、俺達何しに来んだよ。殺しに来んだろーが」
そんなこと言うサテルはツンとして不満気な顔をしていた。
「・・・無理ね。だってヘレンよ?私たちには殺せないわ」
紛れもない真実を言われて「ちぇー」とそっぽをむくサテル。しかし、不満だからといって今から突っ込んで行ったとしても軽くあしらわれてお仕舞いだろう。分かっている分、余計に悔しくなった。
*
だいぶ歩いてくると、水の音が聞こえてきた。川でもあるのだろうか。そんなことを思いつつ、この森の川に興味がわいたヘレンはその方向へと歩いていった。
「おぃどこ行くんだよ。そっちには何もねぇぞ、たぶん」
行き成り進行方向を変えたヘレンに向かって言うが、ヘレンはそのままひたひたと歩きだしてしまった。
来てみると、あまりにも別世界が広がっていたので驚いた。
「わぁ・・・」
感嘆の声を漏らしたヘレンの目に映るのは、この森には相応しくない絶景だった。虹色の湖に、色とりどりの植物達、鳥類の美しい魔物達が飛び交う空には唯一の青空が広がっていた。そして一際目を引いたのは、湖の中心にあるシンメトリーの大きな置物だった。両端には立派に輝く鳥の羽が形造られていて、その中心には1つ目があり、黄金色に輝いている。
ヘレンは一瞬自分がどこにいるのかも忘れるくらい魅了された。しかしティランは全く逆の事を口にした。
「殺伐としてて、俺が言うのもなんだけど薄気味悪ぃな。湖なんて血の海じゃねぇか」
・・・・・・え?
「・・・何言ってんだお前」
この色とりどりで美しい空間を、殺伐として気味が悪いだなんてどんな神経してるんだ。と思ったのは数秒間。中心の置物を見ると、何だかどこかで見たことあるような形だった。これは何かを意味する形だったはずだ・・・。
「ティラン、水の伝説で何かなかったっけ」
「え?」
「見る者によって景色が変わるシンメトリー・・・」
それを言うと、「あぁ」と笑った。
「あったぜ。心を映す『真』の『目』、そして『鳥』を略したニックネームがシンメトリー。ただのふざけた愛称にしか聞こえねけど。実際これ聞いたとき俺白けたし」
「あぁ私も」
各々の風景を眺めながら冷めた笑いを漏らす2人。
「じゃあ一丁お話してやるか」
その言い方はこの上なく気に食わない。
「シンメトリーが映し出すのは心に深く刻まれた記憶に拍車をかけた大袈裟なものだ。例えば花が印象的でいい記憶のような奴が見れば一面花畑のうえ限りなく爽快な景色だろうよ。でもあの置物には触れてはいけない。どんなに良い思い出だろうと悪い思い出だろうと、一際自分だけは存在感を圧倒させている置物。態と気づいてもらい、態と触れさせて極上から地獄に突き落とす。見えても透明、触れられても掴めない水のように、今ある幸せに満足していた者が更に上を見た場合・・・、欲をかいた場合、一寸先は闇だと言う事を具現化されたものがシンメトリー。光も闇も対で出来ている、水のような存在に希望を見出す、飛んだ鳥が羽を散らし堕ちてゆく、まさにその様を1つにしたものがこのシンメトリーだ。まぁ触らず景色だけで満足しろってことだな」
眺めていると、記憶の片隅に出てきた青年の姿もあった。本当にそこにいるかのようだ・・・。しかしその青年が立っているのは、あの置物の直ぐ隣だった。青年と目が合うが、ヘレンは表情を変えずに背を向けた。・・・所詮は自分の記憶と向き合っているのだと、自分に言い聞かせて・・・。
シンメトリーから離れ、本来のルートへと戻った。
「殺伐として薄気味悪いだなんて、ティランの人生は嘆かわしいねぇ」
「ぐ・・・」
もっと早くにシンメトリーと気づいていればあんなものの感想なんて言わなかったのに・・・!
「まぁ確かにティランの人生の一番の思い出なんて人食い位しか思いつかないしね」
「う・・・。か・・・勝手に決めんな!確かに殺伐としていたが人食いの記憶じゃねぇよ!」
これは事実だ。もっと昔の記憶だった。あるとしたら、凄く複雑な頃だった。見知った顔もちらほらいた・・・。特に・・・―――――
「別にいいんだけどねアンタの思い出なんて。あと2、3週間もすればまた別々なわけだし。もちろん違う世界で2度と会うことはないけど」
「なーんだまだ俺を殺す予定のままだったんだ」
「なんならアヴェルダンに置き去りにしてもいいなァ」
「出来ねぇよそれは。『仕事中』だしな」
「アンタを守る義務はない。死んだと報告してもいいんだぞ?」
いつものように悪態つくヘレンだが、ティランはあの湖から何か重たいものを思い出してしまった。忘れようとしていた記憶・・・。シンメトリーは時に・・・いや、その存在自体が残酷だ。
ティランはその残酷さをも笑ってごまかすようにころっと言った。
「はいはい、先を急ごうぜー」
「・・・・・・・」
何だこの態度は・・・。急に態度が一変した。しかし一瞬にしてどことなく懐かしさがこみ上げてきた。・・・これじゃまるで・・・・・
「・・・仲間みたいじゃないか・・・」
小さな声で呟いた。「え?」と振り向くティランだがヘレンは無視した。またスタスタとティランの前を歩く。
嫌な感覚が胸をくすぐる。
思い起こしたくない。
速い鼓動に眉をしかめる。
全力で否定する。
認めるわけがない。
裏切り者のことなど。
誰が仲間だと。
「・・・ありえないんだよ」
また小さく呟いた。今度はティランには少しも聞こえなかったようだ。・・・いや、ティランもティランで思いつめるものがあったのだ。