第14話
声を掛けられた2人。だが別段驚きはしなかった。
「出てくるが良い。俺は気は長いが隠れん坊は趣味じゃない」
ヘレンはふぅっと小さく吐息を漏らすと、わさわさと草むらから出てきた。ティランは少し木の枝に引っかかって遅れた。どうしてこういつも決まらない・・・。
「ほぅ・・・。見ない顔だが見た面だ」
「?」
ヘレンの顔を節穴のような真っ黒な空間から見つめる魔物はそう言った。
「私はアンタなんか知らない」
「当然だ」
意味の分らない事を述べる魔物にヘレンは不愉快だとも言いそうな顔で睨んだ。
そして率直に聞いた。
「アンタが噂の悪魔?」
それを聞いた魔物は一瞬キョトンとしたが、直ぐに可笑しそうに笑った。
「畏れ多いわ。俺はあの方ではない」
『あの方』・・・。こいつは悪魔に近い僕なのだろう。
「お前達は一体何をしに此処へ来た」
その問いにヘレンが口を開いた。
「その前にアンタは誰だ」
「畏れを知らぬ者よの・・・。良かろう。俺はサイレーン・ウィッグ。やがて魔王様へとなられる御方の忠実な僕よ」
・・・は?今、何て・・・?
「今から俺はあの方の命で仕事に行くのだ。極力無駄な争いはせん性分だ。邪魔をしなければ何もしない。・・・最も、お前たちの要件次第だが・・・」
「魔王?」
微妙に言葉を遮ってハッキリと言ったヘレン。
「噂の悪魔が、魔王になるっていうの?」
「いかにも」
全く躊躇うこと無く即答した。
これまで魔物の世界に魔王は存在していなかった。魔王とは人間で言う神のようなもので、実在させるものでもするものでもなく、心の平衡を保つ為にあるようなものだった。
それを実在させるとなればセカイが変わる・・・。
「何でそんなことを・・・。そいつの自己満足か」
「先にも言った。俺は気が長い。しかしあの方への口の利き方には気をつけろ」
「生憎私はその悪魔を慕っているわけでも、ましてや崇めているわけでもない。そんなことを言われる義理はないね」
「強情な娘よ、俺はお前の為に忠告したのだぞ。・・・まぁ良い。それで、お前達の目的は何だ?」
少し空気が張り詰めた。ヘレンは目を細め、若干眉を寄せた。そして不服そうな面持ちで言った。
「血の涙・・・」
「・・・そうか」
殺気が行き交う・・・。サイレーンは見えない目でヘレンを睨んでいた。ヘレンは不愉快そうな表情でその闇を見ていた。
「血の涙はあの方の為にある・・・。それを奪おうと言うならば仕事の前に掃除をしなければならない・・・」
しかし、ヘレンは不思議そうに首を傾げた。そして笑った。
「何言ってんの?誰も奪ったりしないけど」
「?」
殺気が少し止まった。ヘレンは続けた。
「ヒトのもん奪うなんて趣味が悪い。私達は堂々と貰いに行くんだよ」
それを聞いたサイレーンは怪しく笑った。
「可笑しな奴よのぅヘレン・ルートフィア」
「知ってたんだ」
何の意味もない笑いを見せたヘレンにサイレーンは続けた。
「知らぬ者は誰もおらぬ」
どこか遠くに話し掛けるようなその声音には一種の敬意が込められていた。それを感じたヘレンは一体誰に向けた言葉なのかはわからなかった。それでも、今の言葉が自分に向けられたわけではないことはわかっていた。
「あの方に敵うと思うのか?俺はそうは思わぬが、この頃のあの方は退屈されていた。お前たちに手を掛けることはせぬ。精々楽しませてくれ」
それだけ言うと、静かにヘレン達を通り過ぎた。
「・・・なるほど。さっきの雄叫びは魔王様ってか」
馬鹿にしたように笑ったヘレンは歩き出した。ティランはいつも言葉を発することなく終わる・・・。
数歩歩いたら後ろからサイレーンの声がした。
「ヘレンよ、」
響く声。足を止めたヘレン。その目は真っ直ぐに前だけを見つめている。
「ここに住むやかましい連中は俺が片付けた」
目の前に広がる血の海を見て呟くように言った。
「そりゃどーも・・・」
そして肉弾を避けつつ歩き出した。無駄な争いはしない、と言っていた。これは知能の低い獣達か、脇目も振らずに飛びかかっていった連中の末路なのだろう。
少し進むと、以前出会った犬の魔物、レジルが走って来た。警戒心は全く無いようだ。
ヘレンの所まで嬉しそうに走って来ると、レジルは飛びかかってじゃれだした。ヘレンは本当に邪魔そうにレジルをどかすと、また以前出会った女魔物ラナス、単細胞のバリ、更にコーレインまでが歩いて来た。
「私達を倒す準備でも出来たわけ?」
未だじゃれついて来ようとするレジルを片手で制しながら微小気味に言った。それにラナスが答えた。
「いいえ・・・」
続けてコーレインが
「僕たちヘレンに提案しに来たの」
相変わらず可愛く話してニコリと笑った。ティランは「俺の存在薄くね?」と内心傷付いていた。
「提案?」
「そう。私たちはあなたの邪魔を一切しないわ。その代わり、悪魔を倒して欲しい。もし、出来るならね」
最後の一言にムットするヘレンだが、話の続きを聞いた。
「このままあいつが本当に魔物達を征服するようになってしまったら、私達の暮らしはお仕舞いだわ。ここに来るまでに色んなモノに絡まれて厄介だったと思うけど、この条件を呑むのならスムーズにアヴェルダンへと誘導することを約束するわ」
この森はこいつらが仕切っているようだ。それは便利な提案かもしれないが、こっちはわざわざ危険を犯すようなマネは望んでいない。血の涙を持って帰るだけのことに本格的に命を賭けることは・・・・・・
「この条件を呑まなければ、人間達だってただではすまないわ」
・・・え?
「悪魔が頂点にたてば間違いなく人間達は餌になるでしょうね」
それを聞いたヘレンはうって変って興味の無さそうな目から真っ直ぐな目に変わった。
今でも忘れてなんかいない。あの約束のこと・・・。
「・・・分かった。で、状況はどうなってんの?」
ラナスも少々卑怯な手かと思ったが、言っている事は正しい。
「見ての通り、酷いぜ全くよぉ」
バリがうんざりしたと言わんばかりの大きな声でそう言った。
「弱い魔物はこの肉の塊になっているか、さっき逃げ出したかね。後は死を恐れて奴の配下になったものもいるわ」
話を聞きながらアヴェルダンに向かうことにした。
「魔物たちは皆、血の涙を悪魔へ運んでいるはずよ。紛れて様子を見るのがいいわね」
悪魔に関する情報を一通り聞き終えると、それからまた少しの日にちをこの森で過ごしアヴェルダンへと向かった。
ラナス達は森からは出ずに、見送りだけをした。レジルはシュンとしていてヘレンが初めて可愛いと思ったことは内緒。
*
アヴェルダンは岩に囲まれた場所で空気は淀み、腐敗したような鼻をつく臭いが立ち込めていた。
「うーわっ・・・」
一番最初に感想を述べたのはティランだった。思ったよりも悪くなっているらしい。
辺りを見渡すと魔物たちがうじゃうじゃとしていて気持ち悪いくらいだ。それぞれの手には大きな壺が抱えられており、中には赤くプカプカと揺れる液体が入っていた。『血の涙』だ・・・。
ヘレンはそれを確認すると、近くにいて油断していた魔物を2体ボコり、マントのような服として所持、変装し、壺を抱えて列に紛れ込んだ。
大きなフードにすっぽりと頭が入り、こちらからは周りが見えるような細工をフードに施した。
「俺は上手くいかねぇと思うぜー・・・?」
「そういうネガティブな事を口にするな、マイナスの気を引くでしょ。どうせならポジティブな事だけを言ってなよ」
小さな声でヒソヒソ話をする2人。いよいよ悪魔の近くにやって来た。他のモノと同じように壺を置くと、ヘレンはしっかり大きな椅子に座っている悪魔の顔を確認した。・・・が、側近の2匹も合わせ皆仮面を冠っていて素顔は分からなかった。そして3体とも赤マフラー・・・。
もしもの時の保険として、血の涙を少し頂戴しておいた。そしてまた他のモノと同じように去って行こうとした。しばらく情報でも集めつつ様子を見てからどんな策で倒そうかを考えようと思ったのだ。
「待て」
しかし呼び止められてしまった。仮面でくぐもった声に・・・。
「貴様、その手の中にあるものを見せろ」
声からして女であろうことが分かった。元より褐色の滑らかな肌に、白髪の長い髪と長身で体のラインの美しい姿から見て取れるが・・・。そして気の強そうな声だ。
内心「私に命令してんじゃねーよ」と思ったが、深いフードの下は動くことなく手のひらを返した。そこには何もない・・・。
「もう片方もだ」
躊躇することなくヘレンは手の平を返した。そこにはやはり何もない。
「・・・良い。行け」
内心ほくそ笑んだヘレン。・・・が、
「お前だけ!!」
割れるように響く声が聞こえた。振り向いて見ると知らない魔物がもう一人の僕の赤マフラーの仮面魔物に拘束されていた。
「お前だけずるいじゃないか!!」
何の事を言っているのかさっぱりだが、その魔物は明らかにヘレンに向かって言っている。
「黙れ」
でかい図体に薄汚れたマント一枚を纏った仮面魔物。肌は少しも見せない格好だ。しかし仮面越しでも声はよく透る。そしてこちらも女のようだ。
僕の仮面が冷酷に告げると、腕を捻り上げた。苦しそうな呻き声を出しつつも魔物は続けた。
「俺は見たぞ!お前達が此処の魔物でないことは知っている!!余所者のお前たちが魔王様にお咎めを受けず何故俺だけがこんな目に!!犯した罪は同じなのに!!!」
その男の手には半固体状に変わった血の涙が握られていた。見るからに衰弱しているであろう体だ。血の涙で回復しようとでも思ったのかもしれない。
血の涙は形状変化する。元はその魔物の持っている半固体状の形。潰せば液体へと弾け変わる。しかしまた個体になったりもするカタチのないもの・・・。
拘束された魔物の言葉をを聞いたさっきの仮面の魔物がヘレンに近づいて来て言った。
「それを脱げ」
はぁ・・・とため息をついたヘレン。「余計なことをベラベラと・・・」と、ブカブカなマントとフードを脱ぐと、周囲にいた魔物たちの目の色が変わった。仮面の下の表情は分からないが、動きが止まったことから驚いたことが分かる。そしてヘレンの首元にはしっかりと血の涙が飾られていた。
「初めまして。ヘレン・ルートフィアと申しまーす?」
ふざけた口調でそう笑うと、次の瞬間大量の使い魔達がヘレンの周囲から召喚された。