第11話
ティランがルディアとの約束を果たす日は、それからおよそ100年後のことだった。長く下準備がかかった。力を蓄える為に時間が必要という事は分かっていたが、満足するほどの力を手にする為にこれ程の歳月がかかるとは思わなかった。ティランは約束は守る主義だ。・・・例え何年かかろうとも。
その日ティランは決心した。いつものように夕食を終え、夜が深くなってきた頃だった・・・。ヘレンはだいたい木の上で寝ていて、ナトルとミジェルはいつも決まった場所に星草を蓄え、その上で寝ている。ヘレンには、今日は簡単に目覚めないように無臭の睡眠薬を料理に盛った。
ティランはいつもその2人と同じ所で寝ている。2人が寝静まった頃、ティランは目を覚ました。静かに起き上がると、不意に2人の寝顔を眺めた。
今日も普段通りに振る舞っていたティランだが、内心は落ち着いていなかった。特に今日は、3人と過ごす時間を何よりも尊んだ。しかし、そうやって大切にすればする程、何をしても胸が苦しくなった。ざわつく感情をどこに放てば良いのかも分からぬまま、ティランはこの日覚悟を決めたのだ。
――――――心を殺し、鬼となれ――――――
そう自分に言い聞かせ、目を閉じ深い呼吸を一つ吐くと、ゆっくりと開いた。その開かれた瞳にはもう迷いは無く、鋭く光を宿していた。
ルディアと最期に約束したこと。
『ヘレンを守って欲しい』
ルディアらしい約束事だった。
ティランはYESと答えた。
何でも共通の話題は中身の裏まで知っていた2人だったが、ルディアは一つだけ知らなかった。知っていたらそんな事は頼まなかっただろう。ヘレンは十分、自分の身は自分で守れるほど強い。人間の魔術師にどんな才があろうともヘレンは屈しないだろう。それでも頼んだのは、やはり心配だったからだろう。ルディアは薄々政府の狙いに気づいていたのかもしれない。
ヘレンは決して正体を明かさない。あれほど愛していたルディアにさえ明かさなかった。しかしティランはこう思うようになった。
ヘレンが人間嫌いになった理由は知っていた。全て本人から聞いた話だ。
力の無かった幼い頃、人間に酷い目に遭わされたのだ。生みの親など知りはしない。育ての親など知りはしない。ヘレンは生まれた時から一人だった。・・・いや、物心ついた時から独りだった。
ヘレンが魔物か人間かは分らない。しかしヘレンはこう言った。
『皆殺された』
実際に見ていたかと聞かれればそうではない。その場にいたわけでもない。千里眼も持ってはいない。
美しく産まれた彼女は醜い場所に生まれ落ち、下劣で低俗なモノやキタナイことを見てきた。自分勝手に遊ばれ虐げられ、帰る場所など無く、住まう所もありはしない。散々見世物のように扱われたかと思えばゴミのように投げ捨てられ、その度に憎悪が増して行く日々。それらが全て人間だった。ヘレンにとって、人間とはそれが全てだった。
しかしヘレンは何時しか力を持った。冷酷で冷たく、大抵のモノなら笑い飛ばせる程の力を手に入れた。そんなヘレンの前では、ヘレンの目の前に立つ人間の末路は悲惨なものだった。今までの恨み憎しみのぶつけ場所を見つけたかのように、人間には生地獄を次々と与えていった。しかしどんなに痛めつけようと苦しませようと、ヘレンの気が晴れる事は無く、人間嫌いには拍車がかかっていった。
立場が弱くなると媚び諂い、怯えながら嫌気のさす媚びた笑みで許しを請う。そんな態度ばかりでヘレンは‘飢え’てゆく一方だった。
その後ティランに出会い、ナトルとミジェルに出会い、飢えが和らいだと言う。
そこでだ。ヘレンは一体どのように力を得たのか。何故政府が欲しがっているのか。
ティランなりの答えはこうだ。
『ヘレンは人間からあるモノを奪ったのかもしれない』
それは魔物なら大抵が知っているモノ。あるモノの材料。・・・そう、『血の涙』の材料だ。
ヘレンはそいつを奪い、莫大な力を手に入れた。『血の涙』そのものではないため拒絶はされず、副作用もない。例え人間であったとしてもだ。
しかしそんなモノ、人間が知る余地は無かった。永遠に知ることは不可能なモノが材料なのだ。だがヘレンはそいつを知った。そして今ではそんなモノなどなくとも素で強い。
『ヘレンは元人間なんじゃないか?』
そう思うようになっていた。もしそうならば、必ずいつかガタが来る。人間がモノを使った伝説は一つも無いし、例がない。しかしこの考えが合っていれば、ヘレンはこれまでに無い悲惨な末路を迎えることになり、‘ヘレン’は死ぬ。約束を果たす事は出来なくなる。
『ヘレンを守る』と言う事は、‘ヘレン’がヘレンでなくてはならない。そして美しい命のまま、守らなければならない。
この考えは合点がいった。人からモノを奪って力を手にしたならば、ヘレンの体を使えば必ず『血の涙』が完成するだろう。そしていくつものモノを得ていたヘレンからはまた、いくつもの『血の涙』を得る事が出来るし、例えモノを盗られても素で持った魔力をも取り出し使う事が出来るだろう。‘ヘレン’に無駄は無い。捨てる所は一つもないのだ。だからこそ尊く、政府は欲しがっているのではと。
どちらにせよ、ヘレンを守る為には覚悟が必要だった。
闇に輝く鋭い光は、これまでを共にしてきた大切な友人2人を映している。ティランにもう迷いは無い。静かに手を掲げると、魔方陣を発動させ、禍々しい魔物を召喚させた。それと同時に2人へ襲いかかったが、殺気を感じたのか寸での所で目を覚まし、研ぎ澄まされた直感を働かせ交わされた。
「ティラン?!」
ミジェルが驚愕の声を上げた。ナトルも信じられないという風な表情でティランを見た。
「おぃおぃ、寝惚けてんのか?!俺だよ俺!ミジェルだよ!」
しかしまた攻撃してきた。ティランの目は殺気に満ちており、操られている様子もなかった。
「悪い冗談はやめろ!」
聞く耳を持たないティランの攻撃は威力を増して行き、交わすだけでは危なくなってきた。2人が魔物を召喚しても音を立てても、ヘレンは起きては来なかった。
「ティラン!!いい加減にしろよ!!俺たちを殺す気か!?」
返事は無い。その代わり、更に3体の魔物を追加した。それを見た2人は真剣な表情でティランを見据えた。
「・・・そうかよ。分かったぜティラン・・・。どうしても止めねーってんなら・・・仕方ねぇ」
感情を押し殺すように声を絞り出すミジェル。ナトルも覚悟を決めたようで、真っ直ぐティランを見ていた。
「寝込みを襲うくらいだから速く始末したかったんだろうけど、お生憎様」
ナトルがそう言うと、2人は合わせて10体の魔物を召喚した。ティランは表情一つ変えずに構えた。
一際大きな破壊音でやっと薄らと目を覚ましたヘレン。しかし意識が朦朧とし、頭も働かない。もう一度大きな破壊音がし、むくりと起き上がったヘレンは明後日の方角を向いていた。
鈍い頭で「破壊音・・・破壊音・・・」と繰り返す。するとハッと心臓が跳ね、ヘレンは急いで3人の所へ向かった。
約100年もの間力を溜め続けたティランが2人に勝つ事は難しくはなかった。この長い年月の間2人も強くなっていて、4人全員の使い魔を合わせたら1000は超える程成長はしていたが、全く力を使わず溜め続けたティランの方が上で、既に2人は虫の息。仲良く隣で仰向けに倒れている。止めを刺そうと手を上げたが、ミジェルが消え入りそうな声で言った。
「最期に・・・教えてくれ」
心を殺したはずだが、思わず手が止まってしまった。
「・・・何で・・・俺達を殺す?」
ティランには強い覚悟があった為迷いを見せることは無かったが、2人は戦闘中でも戸惑いを隠し切れていなかった。それに肝心な所で力をセーブしてしまっていた。
問い掛けられたティランは若干目を細め、最期の最期になって泣きそうなほどの表情を見せた。そのことが、2人にこの行動が本意ではないことを伝えていた。
「・・・アイツの・・・為だ・・・」
苦しそうに喉から声を絞り出すティランの声は、2人に一時の笑顔を与えた。それは安堵の笑顔であった。ティランが殺したくて殺すわけではない、自分たちが嫌いになったわけではない。それが分かっただけでも嬉しかったのだ。
「・・・俺も・・・薄々思ってたぜ・・・ティラン」
それはヘレンの事だろう。それ以外に思い当たることは無い。
もしナトルやミジェルもティランと同じ考えであったとしたら、何故殺そうとするのかが容易に理解できた。真実という保証はないが、3人が同じ事を考えていたのならそれも確信に変わる。
元人間。だとすれば魔物の力を持つには徐々に体が悲鳴を上げてくるだろう。ならばどうする?
・・・俺たちの命をやればいい。
魔物には命と引き換えに『転生』させることが出来る者がいる。全てを見透すことの出来る千里眼の持ち主だけに許された儀式。・・・ティランにしか出来ないことなのだ。
しかしそれには当人の大切な者の命でなくてはならない。失敗する恐れがあるからだ。良く知る者であれば自然と体が受け入れるのだ。
『転生』は当人を・・・、ヘレンを‘ヘレン’のまま、魂を加えることである。足された魂の利点が加えられるのだ。
2人は強い魔物。ヘレンの中途半端な弱さを補ってくれる。身体も丈夫になるだろう。悲鳴も上げずにすむだろう。そして何より、悲惨な末路を迎える事は無くなるだろう。
懐かし気に空を見てフッと笑ったミジェルは、穏やかな口調で言った。
「いいぜ・・・ティラン。アイツの為ならこの命・・・くれてやる」
ナトルも笑っていた。
「ミジェルはヘレンが大好きだからなぁ・・・。ボクもいいよ、ティラン・・・。ヘレンの為なら惜しくない・・・」
最期の最期に覚悟を決めたミジェルとナトル・・・。ティランとは逆だ。
震える喉で唾を飲み、溢れそうになる涙を押さえつけ、ティランは手を上げ言った。
「・・・今まで本当にありがとう・・・。最高に楽しかった」
そう言うと、2人は嬉しそうに頬を緩め唇に弧を描いた。そしてティランは手を振り降ろした。それと同時に聞きなれた声で叫ぶ音が聞こえた。しかし振り下ろした所から発動した魔術は円心状に地を揺らしながら広がり、触れたもの全てを跳ね除けるように破壊していった。
振動が収まると、ヘレンの目の前には丸い大きな傷跡と、下を向くティラン、そしてボロボロに倒れ伏したミジェルとナトルだった。
あまりにも衝撃的な光景に言葉を失い、目を見開いて立ち尽くすヘレン・・・。震えた小さな声でやっと言葉を発した。
「なに・・・・・してるの・・・」
ティランは応えず、顔を背けた。
「・・・ねぇ・・・応えてよ・・・!ティラン・・・!!」
だんだんとハッキリとしてきたヘレンの声は、空気を裂くように響きわたった。
「アンタ・・・一体何してんの・・・!?」
何も応えず背を向けて、歩き出したティランに最後の悲痛な絶叫が突き抜けた。
「ティラァアン!!!!!!」
応えることも振り向くこともせず、ティランは次の目的へと向かうためヘレンの前から姿を消した。
ヘレンには見えない一粒の光を落として・・・。
*
やって来たのは街を一望出来る高台だ。30以上もの魔物を率いて遥か高くから街を見下ろす。その魔物も上等で、強者ぞろいだ。
「・・・行くぞ」
低く闇に響く声で合図すると、ティランは先頭の魔物に飛び乗り、一斉に街へ舞い降りた。明りは殆どついてなく暗がりだった街はあっと言う間に火の海と化した。
逃げ惑う人どもで混乱する街には、非情警報が鳴り響き魔術師達も駆け付け始めた。それを見たティランは更に50以上もの魔物を一気に召喚し優位に立った。それでもティランはまだまだ余裕があった。100年分の魔力を使い果たす意気込みで奇襲をかけたのだ。
ヘレンも早々と後を追って、成るべく近道になるように山の無茶苦茶な道無き道を走って来た。やや高い斜めの傾斜から見下ろす街は赤く燃え上がっていた。
「・・・ティラン・・・何で・・・」
火を放ち暴れ回っているのは間違え無くティランの魔物達。困惑するヘレンだが、頭に過ぎるのはルディアの笑顔。ヘレンは自分を震い立たせ、しっかりと前を見据えた強い目で火の海へと飛び込んで行った。
―――ヘレンには、仲間がいるね・・・。その仲間達のように、人間にも優しさを持って欲しい・・・――――
「・・・ルディア」
―――ヘレンには、俺にくれたような『優しさ』を、俺みたいに一人でいた人たちにも分けて欲しい・・・―――
「私・・・」
―――――そして何より、ヘレンが一人にならないでほしい・・・―――――――――
「一人になっちゃうかもしれない・・・。約束、全部は守れないかもしれない・・・でも・・・」
ルディアが愛した人間を、私は守ってみるよ。
ルディアが願った優しさを、私は持ってみるよ。
そう心で誓うように言うと、ヘレンは一気に100体もの魔物を召喚させ、ティランに向かって行った。