第10話
ルディアと関わりがあると知らない人間達の為に、ヘレンは自分でルディアを埋葬することはなかった。自分が何かするより、国に任せた方が何かと立派なものを用意してくれると思ったのも理由の一つだ。ルディアがいなくなってしまった喪失感は大きいが、ヘレンはせめて最後の最期まで見送るつもりでいた。・・・しかしそれは叶わなかった。
ティランに何かと邪魔されたのだ。おかげで葬式に立ち会う事も、埋められる所を見届けることも出来なかった。ヘレンはティランとルディアが知り合っていることを知らないため責めることが出来なくもどかしい。
しかし「大切な用事があるんだ」と言っても阻止されたので、真顔で「恨むよ?」とは言った。
結局ルディアに次会ったのは、墓の前だった。しかもそれが国が造った偽墓だとも知らない。この下にルディアは眠っていないのだ。
そんなこと知るはずもないヘレンは、ほぼ毎日その墓に寄っていた。遠目から見ているティランにとっては心苦しいものであった・・・。
「ヘレーン!森に遊びに行こうぜー!」
「行きたくない」
事情は知らせていないが、ミジェルとナトルにも「ヘレンは今物凄く落ち込んでる」とティランが言っておいた。だからミジェルが元気付けようと遊びに誘ったが、即答で断られた。
「ヘレン、ご飯は?」
「食べていいよ」
決めた訳ではないが、成り行きで面倒みの良いナトルが食事係的な事をやっている。高い木の太い枝の上で、幹に寄りかかるようにして座って夜空を眺めるヘレンに下から声をかけたナトルだが、どうも食べてくれない。3人は座ってご飯を食べている。ティランはふとヘレンを見上げた。
数分後、ティランはスープを片手にヘレンの所までやって来た。このスープはルディアに教わったものだ。
「体に悪ぃぞ。食え」
「だからいらないって言・・・」
くんくんと鼻を動かすヘレン。どうやらスープの匂いに何か感じたようだ。「ほら」と言って差し出すと、ヘレンは案外大人しく受け取った。不意にティランを見上げると、ずっとこちらを見ていた。どうやらヘレンが食べるまで見ているようだ。
視線を感じつつもそれを口に運ぶ。するとその味がじわりと口いっぱいに広がった。・・・驚くほどに、美味しかった・・・。
少し泣きそうになった。ティランから顔を背けるように背を向けると、穏やかな声がヘレンの耳に届いた。
「美味いか?」
「!」
全く初めての食事の時と同じだ。ヘレンは堪えきれず静かに涙をこぼした。そして小さく頷いた。
「ふっ。そっか。食い終わったら持ってこいよ」
そう言ってティランは再び下へ降りた。ヘレンは少し振り返り、それを確認するとまたさっきと同じ体制に戻った。
泣いてしまったせいで喉の通りが悪い。それでもヘレンはスープを全部飲んだ。食器はもっと夜が深くなったら持っていこうと思い、近くの枝の上に置いておいた。
いつのまにか少し寝てしまったようで、ふと先ほどの枝を見るともう食器はなくなっていた。そして頬に当たる風が少し冷たく感じた。触れてみると、無意識のうちに泣いていた。
自分でも不思議に思っている反面、当然だとも思っている。ヘレンが泣くのは‘ルディア’だからだ。約束したとはいえ、ただの人間の為に涙するはずがないのだから。
「・・・ハァ。このままじゃいけないな・・・」
自分がこんなにも弱かったとは・・・。ほとほと嫌気がさす。
翌朝、ヘレンは朝一番に起きた。まだ皆は寝静まっている。ヘレンはそっと、静かに料理を作ってみることにした。
いい香りが漂う中、ナトルが起きてきた。
「・・・っあれ、ヘレン・・・」
「おはよう!」
「!・・・おはよう」
急に元気になったヘレンの笑顔にまだ寝ぼけた頭でも驚いた。次にミジェルが起きてきた。
「ふわ~ぁ~・・・おっはよーう・・・」
あくびをし、目を擦りながら歩いて来るミジェルに、またしても「おはよう!」と元気なヘレンの声が届いた。キョトンとしつつも挨拶を返したミジェルは、サッとナトルを見た。しかし首を横に振った。
朝食が完成した頃、ティランも起きてきた。
「おーはよう。いい匂いだなぁ~」
ぐっと伸びをするティラン。ふとヘレンを見ると、元気に挨拶してきた。
「おはようティラン!昨日はありがとう!」
「!?」
ヘレンが素直にお礼を言うような性格ではないことを知っていた。3人はギョッとしてヘレンを見た。するとミジェルがヘレンに怪しげに近寄り、ジーっと顔を見た。少し目を細め、何かを見抜こうとしている。
「・・・何?」
少し笑って言うヘレンに、ミジェルはいきなりヘレンの頬を摘んだ。「いひゃいいひゃい!」と訴えるヘレンに、パッと指を離すとまたキョトンとした顔で見た。ヘレンは頬を摩りながら、ミジェルを見つつ首を傾けていた。すると今度は、軽く頭を叩いてみた。
「?」
ヘレンからしてみれば「何してんだ?」と思っている次第だが、ミジェルからしてみれば怒りもしないヘレンに違和感を感じていたのだ。
「ヘレン、」
「ん?」
「ファット ユア ネーム?」
「・・・・・・・・・ハァ?」
下手くそな片言英語で、しかし真顔で言うミジェルに呆れていた。
「バカじゃないの?第一『ヘレン、』って呼びかけてるしさぁ。折角ご飯作ったんだから、アホなことしてないでさっさと食べようよ」
このハッキリした言い方、「あぁ、いつものヘレンだ」と思ったミジェルだが、やはり少し違うことに疑問を感じていた。が、ご飯が冷めてしまうので食べることにした。ティランはそんな様子を訝しげに見ていた。
朝食も済み、まったりとした時間を満喫していた。今日はヘレンは仲間と一緒に柔らかい草の上に横になっていた。
「いいもんだね、こういうのも」
爽やかな顔していうヘレンに、ティランが言った。
「お前今日何か変だな。いやに素直じゃねーか」
もう立ち直ったのか?と思ったが、ヘレンは柔らかい笑みで言った。
「つまらない事を気にするのはやめたんだ」
言えばよかった、伝えれば良かった、なんて・・・もう思い知った。
「伝えたいことはきちんと伝える。言いたいことはしっかり言う。アンタ達とは長い付き合いだから何だか当たり前のように傍にいるけど、考えて見ればいつ消えちゃうかも分らないんだよね。だからちゃんと言葉にする。後悔しないように」
それを聞いた3人は笑った。かと思えばミジェルが大きな声で叫ぶように言った。
「みんなありがとーーーう!!!いつも感謝してるぜーーー!」
笑いながら「うるさいよ耳元で」と言われていた。
*
その日ティランは政府に侵入していた。気配を消し、地下へ通じる階段を音も無く歩いていた。千里眼を持つティランがわざわざ侵入することはないが、どうしても直で見ておきたいモノがあったのだ。
「!・・・これは・・・」
ブクブクと泡立つ不気味な液体の中、数十人もの人間が浸っていた。色は様々で、どの色が何を示しているかなど検討もつかない。しかし確実に分かっていることは、やはりルディアの言っていた通り、『血の涙』の研究のようだった。
「・・・チッ・・・馬鹿なマネを・・・」
魔物であるティランには、『血の涙』がどういうモノなのかが分かっている。人が手を出してもいい代物じゃない・・・。
その中で、赤紫に薄く光る液体に漬けられたルディアを見つけた。その時、別の青く薄く光る液体に漬けられていた人が研究者によって外に出され、取り分け大きな水槽に入れられた緑の液体に移された。
小さく水しぶきをあげながらその液体に漬けられると、研究者の中で違う格好をした中年のおじさんがやって来た。恐らくここの責任者だろう。
「順調かね?」
言われて頷く研究員。おじさんは緑の水槽の前に立つと、別の真っ青な液体を数滴流し込んだ。すると人間はドクドクと脈打ち、筋肉が急速に進化していった。・・・しかし直ぐに止まり、本来よりも更に痩せ細った姿へと成り果てた。
「・・・『もどき』でも作ろうとしてるのか?」
そんな事を考えていたら、今度はルディアと同じ色に浸されていた人間が同じように液体に漬けられた。すると今度は水槽全体が揺れ、死んでいたのであろう人間が目を開けた。
「おぉ成功か?!」
そんなことを言っていたおじさんだが、目を開けた人間はもはや『人』ではなかった。牙が生え、耳は尖り、目は大きく開け放たれ、体は骨の様子がよく見えるような痩せようで、手足は獣の如く変化し鋭い爪を有していた。そして血走った目で二人の研究者を見つめていた。
「ロウさん、やりましたね!」
そう呼ばれたおじさんは自信気に笑っていた。
変化を遂げたモノを水槽越しに眺め、声をかけた。
「元ジテル君、言葉は解るかね?」
ジテルと呼ばれた元男性は、大きな目にロウを映す。特に反応は無く、ロウは短くため息をつく。
「まぁ、初めて成功したわけだ。それだけでも十分な収穫だ。ジテル君、君は・・・」
言いかけてロウは止まった。ジテルは獣のような呻き声を出していたのだ。
「おぉ、何か言ってみなさい」
期待の眼差しでジテルを見る。ジテルは血走った目を少し細め、口を開いた。
「・・・じィ・・ヴ・・・」
「・・・何だって?」
嬉しそうな表情で問いかけるロウだが、ジテルは次の瞬間口を大きく開けて言った。
「・・苦・・し・・・い・・・!!!!」
「!!」
そして身が跳ねた・・・。緑の液体は澱んだ赤と紫に変わり、えぐい臓器などがプカプカと浮いてきた。
「・・・どうやら失敗だったようだ・・・」
感想はそれだけ。研究員は顔を引つらせている。
「水槽は掃除しておきなさい。それと、次はもっと良い結果を期待している。なぁに、ここまできたらあと一歩だ」
そう言って去って行った。かと思えば途中で振り返り、思い出した風に言った。
「アレを捕まえられるよう、そっちの研究も頼んだよ。どっちが先に成功しても嬉しい限りだが、もしこの研究が成功すれば、それを使ってアレを捉える戦力に出来るからな」
アレコレと代名詞の多くて面倒な言い方だが、それほど口に出してはいけない事なのだろう。言い終わると、ロウは今度こそ去って行った。
ティランも地上へ戻り、さっさとこんな所からはおさらばした。
陽の当たる大地に戻ると、ティランは眉を寄せていた。ルディアもいずれ・・・
「・・・・」
ティランは山に戻ることはせず、しばらく街を歩き回っていた。その間にも、先程の光景が鮮明に脳裏に染み付いていた。
別にグロイモノが苦手でも、人間が好きでもなく、どちらかと言われれば嫌いの方に偏る。ただその‘絵’がどうしても解せなかった。
ルディアの事は気に入っていた。彼が死ぬ前に、一つの約束をした。その約束を果たすため、ティランはある事をしなければならなかった。‘それ’は、今までで一番力が要り、そして何よりも覚悟の要ることだった・・・。まずは力をつけなければならない。
彼の死には、一つだけ人工的なモノが作用していた事をティランは知っている。そして本人も知っていた。
ルディアから以前、気になる事を耳にした。『政府がヘレンを‘欲しがって’いる』ということだった。どういう意図かは分らない。しかし、先ほどの実験室を見る限り、万が一にでもヘレンが捕まえられるようなことがあれば命はないだろう。そして恐らく・・・いや必ず、実験として使うつもりだろう。国民に優しい国、とはよく言ったもんだと心中嘲笑した。
街を行き交う人間共。様々な表情を見ることができ、様々な‘要素’を孕んでいる。呑気でしかし平和な住民達を尻目に、ティランは街を後にした。